『足踏みミシン』

『足踏みミシン』 日本の地を踏んだ最初のミシンは、アメリカ総領事ハリスが徳川将軍家定の奥方に献上したものだと言われている。国産品の第一号は、大正十四年上野松坂屋で市販されたパインミシン(のちの蛇の目ミシン)。しかし戦前の日本市場の九割までを…

『御用聞き』

『御用聞き』 御用聞きと聞けば、漫画『サザエさん』に登場する三河屋の三平さんと、その後任のサブちゃんが浮かぶ。どちらも好青年で、三平さんはカツオたちを実家に近い蔵王のスキー場に連れて行ったりもしている。時代背景を大切にした漫画だったから、こ…

『張り板』

『張り板』 貸衣装もドライクリーニングも無い時代、晴れ着のまま羽目を外す今のような成人式が行われたら、母たるものは途方に暮れたと思う。汚れたもの、傷んだものは、解いて洗い、縫い直すしかなかったのだから。 昭和二十年代の生活には、和服、どてら…

『行水』

『行水』 行水の捨てどころなき虫の声 江戸の俳諧師・上島鬼貫の句。草むらの楽隊を思いやる優雅な情景が目に浮かぶが、実際は「優雅」とばかりは言えなかったのでは? 風呂というものが一般的ではなかった時代のこと。秋深まっての行水を酷に思う日もあった…

『経木』

『経木』 経木とはスギやヒノキの板を薄く削ったもので、古くは経文を書き込むなど仏教儀式に使われていた。包装材としての利用も古く、昭和四十年頃までは庶民生活に欠かせない重要な役割を担っていた。 経木と聞いて想い出すのは、三角に包まれた納豆。遠…

『蠅たたき』

『蠅たたき』 「ウルサイ」を「五月蠅い」と書く。当て字も甚だしいが、それほど甚だしくうるさかったのが、初夏に向かって繁殖中の蠅だったという事だろう。ちゃぶ台におかずが運ばれた瞬間から、蠅はどこからか必ず出現する。いや、「どこから…」と詮索す…

『アイスキャンディー』

『アイスキャンディー』 夏になると、自転車の荷台に水色の箱を乗せ、「アイスキャンディー」と染め抜かれた幟をヒラつかせて、麦わら帽子のおじさんがやって来る。チリンチリンと鳴らすのは、学校の小使いさんから借りて来たような鐘。いつも、茹だるような…

『徳用マッチ』

『徳用マッチ』 販売マッチには徳用と並用があって、徳用一つと並用十二個の価格が同じだった。徳用に入っているのは約800本、並用は十二個分を合わせても500本。徳用の方が断然お得だったことになる。 欧州生まれのマッチが日本に伝わったのは明治初…

『蚊遣り』

『蚊遣り』 夏の夜の短い逢瀬を無粋な蚊共め。どんなに風情を求めても、蚊は執拗に迫り来るので、蚊遣りを焚いて追うしかない。 その蚊遣り、なぜか多くがブタ型だ。線香を入れるのだから、ぽっこりしたものが良いことは分かるが、「ブタでなくても…」と当時…

『配置薬』

『配置薬』 年に一度、越中富山の薬売りが、大きな風呂敷に包んだ柳行李を担いでやって来た。 「ドッコイショ」と降ろした柳行李を開けると、薬が何段にもギッシリと詰まっている。風邪薬のトンプク、六神丸。頭痛薬のケロリン。腹痛には熊の胆に赤玉。小児…

『割烹着』

『割烹着』 炊事、洗濯、掃除、針仕事…。わが家の頼もしい守護神は、何をやるにも身を割烹着に包んでいた。 割烹着は「郷愁」のつるべと言える。手繰ると割烹着から、続々と萬の郷愁が連なって浮かび上がる。手拭い、姉さんかぶり、着物、足袋、下駄、たらい…

『蚊帳』

『蚊帳』 蚊帳の多くは萌黄色に染めた麻で、茜色の縁取りがされていた。高価だが無くてはならないものだったから、嫁入り道具の一つにもされた。 蚊帳に入る時は、裾をパタパタ払ってから素早く入る。蚊を中に入れないためだが、どんなに注意しても、蚊をシ…

『そば屋の出前』

『そば屋の出前』 疎開先から東京に戻った時、まず驚いたのは第二京浜国道の幅の広さだ。(当たり前だけど)「うわーっ、車がいっぱい通ってる!」と驚嘆し、「これじゃ渡れない!」とオロオロした。 初めて見た東京には、他にも驚くことが山ほどあって、そ…

『火吹き竹』

『火吹き竹』 疎開先の家には、土間に大きなカマドがあった。炊飯・煮物の一切がカマド。燃料は山から切り出した薪。火つけにはスギの枯れた葉や皮を利用していた。 この火付けに欠かせなかったのが火吹き竹。竹筒の一端から息を吹き込むと、先端の節穴から…

『ねんねこ半纏』

『ねんねこ半纏』 「綿入れ」で想い出すのは、どてら、ちゃんちゃんこ、半纏…。大方の人が何より懐かしく思うのは、ねんねこ半纏ではないだろうか。 先日、『おぶわれ体験談』という書き込みを読んだ。「お母さんの声が耳からではなく、おぶってもらっている…

『蒸気機関車』

『蒸気機関車』 明治五年に新橋で第一声を上げて以来、たゆまぬ努力で走り続けた蒸気機関車。昭和二十一年には五、九五八の車両が日本中で活躍していた。 蒸気機関車に始めてぼくが乗ったのは信州に疎開した時らしいが、二歳児にはその記憶がない。僅かに憶…

『ちゃぶ台』

『ちゃぶ台』 食事はこの絵のように一家で囲むイメージが強いが、それは大正デモクラシーを経て昭和に入ってからのこと。それ以前の日本では、個々に〝銘々膳〟と呼ばれる個別のお膳で食事をしていた。東京生まれのぼくは、小学校に上がる昭和二十四年四月の…

懐かしの昭和20年代

『はじめに』 ぼくは、子どもの頃、別けても小学時代(昭和二十四年四月入学〜三十年三月卒業)のことが、何から何まで懐かしい。貧しかったが、貧しさそのものまで懐かしい。 父の休みは、月ごとの一日と十五日。あとは正月三が日だけだった。その年間三十…

『小さなうそ』その16

景子先生の視線が、ゆきえから児童たちに戻された。 「お母さまに代わって電話口に出た水之江さんのお父さまが、おっしゃいました。あしたにでも、つまりきょうのことですけど、学校に電話するつもりでした─と。柴山君のこと、とても心配していらして、必要…

『ちいさなうそ』その15

石黒先生は続けた。 「とにかく先週は家出。きょうは仮病。あっちへふらふら、こっちへふらふらと、恥らいを知らん恥っかきだ。このままでは、この世に生まれた意味がない」 じぶんの児童の登校拒否がよほど不愉快だったのだろう。純一に対する石黒先生の言…

『小さなうそ』その14

「友美、日本からお手紙よ」 お母さんが一通の手紙を持って、友美の部屋にやって来た。 「だれから?」 「河原崎さんって書いてあるけど」 「河原崎さん?」 友美は手紙を受け取って、差出人の名前を見た。 「ああ、ゆきえさんかあ。ほら、矢口町小学校で同…

『小さなうそ』その13

「空を見てごらん」と、おじいさんが言った。 言われるままに空を見た。 「大きいだろう。どこまでも澄んでいるから青い。太陽があるから明るい」 「…」 「真田の絵には、いつも太陽が描き込まれていた。こんな雄大な空のもとに生きていながら、地球の小さな…

『小さなうそ』その12

一時間後、純一はお台場にいた。 (やっぱり来ちゃった) じぶんのことなのに、そんなふうに思った。 この日も新都市交通『ゆりかもめ』を利用したが、下車したのは『台場』の一つ先の『船の科学館』。何となく足を伸ばしただけ。科学館に入るつもりはなかっ…

『小さなうそ』その11

おじいさんはこのあとも、絵の基本についていろいろ話した。 「うん。陰は一気に彩色すると言ったけど、その彩色も、遠くの陰から始めることだ」 「水面の陰は筆を左右に動かしながら、ぼかしぎみにな。ほら、こんな具合にだよ」 「波の様子は、白や青の線を…

『小さなうそ』その10

台場は人気の観光スポットだが、ウィークデーの朝ともなれば、さすがに人はまばらである。純一は、磯辺のプロムナードをゆっくりと歩いた。 水上バスの発着所を過ぎると、左手に人工の砂浜が広がった。ユリカモメの一群が波間でプカプカただよっている。 右…

『小さなうそ』その9

区の広報誌の担当者が、絵の写真を撮りに来る日─。 その朝、純一は登校しなかった。最初は登校するつもりだった。いつものようにランドセルを背負って家を出た。ランドセルを背負うと頭がズ〜ンと重くなる。原因は判っていた。教室に入るのがこわいのだ。教…

『小さなうそ』その8

明日は、区の広報誌担当者が絵の写真を撮りに来る。 純一は水之江友美を思い浮かべていた。友美は真実を知るただ一人の人である。大きく育ってしまった〝小さなうそ〟の苦しみを、判ってくれる人がいるとすれば、それは友美でしかない。 (水之江さんがこの…

『小さなうそ』その7

(このままでいいのか? だまっていていいのか?) 純一の心は、日に日に重くなってゆく。あと一ヵ月半もすれば、広報誌が区民すべてに配られるのだ。水を含んだ砂袋を背負わされた思いがした。 『ココロ』の絵に金賞のリボンがつけられてから十日が過ぎた。…

『小さなうそ』その6

九月二十六日金曜日。 夏休みの作品展。全校生徒の工作と絵が講堂いっぱいに展示された。最優秀賞には金色のリボン、優秀賞には銀色のリボン、努力賞には赤いリボンがつけられている。 純一は講堂に入ると真っ先にあの絵をさがした。絵はすぐに見つかった。…

『小さなうそ』その5

二学期が始まった。 最初の登校日、クラスのみんなは、夏休みの思い出話を山ほど抱えてやって来た。武藤基代は「家族でサイパンへ行って来たの」と言ったし、高井豊は「夏祭りのおみこしに、氏子代表で乗ったんだぞ」と自慢した。ほかにも「星空の下でキャン…