『サーカス』

『サーカス』
 日本初のサーカスは、1864年『アメリカ・リズリー・サーカス』による横浜での興行であった。それまでの日本でも曲芸興行は行われていたが、どれも芸種別に一座を組んでの公演だったので、多様な芸を一堂に会したサーカスは大きな反響を呼ぶこととなった。日本人によるサーカス一座は、1899年の『日本チャリネー座』がその最初で、その後、大正末から昭和にかけて、木下大サーカス、有田サーカス、シバタサーカスなどが誕生している。
 サーカスは各地巡回興行で、ぼくの町にもやって来た。その興行が伝えられた時、ぼくたち子どもは緊張した。謂れのない偏見が、ぼくたちを包み込んでいたからだ。親は往々にして重い言葉を軽く言う。例えば「いつまで遊んでいるの! 人さらいにさらわれたらどうするの!」─と。夕闇が迫るころまで遊んでいた子の殆どが、親からこの言葉を聴かされている。それがどんなに恐ろしかったか。「人さらいにさらわれるとサーカスに売られ、毎日酢を飲まされる。そして体がフニャフニャになったところで、厳しい芸を仕込まれる」と言うのである。妻は二十年程前『サルティンバンコ』をぼくと観るまで、「少なからずサーカスを忌避していた」と明かしている。