『ねんねこ半纏』

『ねんねこ半纏』
「綿入れ」で想い出すのは、どてら、ちゃんちゃんこ、半纏…。大方の人が何より懐かしく思うのは、ねんねこ半纏ではないだろうか。
 先日、『おぶわれ体験談』という書き込みを読んだ。「お母さんの声が耳からではなく、おぶってもらっている背中から響き、何とも心地よかった感覚を今でも覚えている」と綴られていた。言い換えると、ねんねこ半纏に包まれた赤ちゃんの押しなべて安心しきった寝顔は、お母さんの心音を肌で聴いていたから─ということになる。
 その心音は、負われている児の将来の基礎(土台)を、コツコツと築いてもいたことでもあろう。手が空くだけではない効用が、おんぶにはあったということ。
 ねんねこ半纏は、児が歩き出すことで一応の役目は終わるが、「はしか(麻疹)にかかるまでは置いておくもの」だったとか。風に当てずに医者まで連れて行くためだ。
 人間は便利なものを好む。それは当然のことだけど、「便利」という名の下で、大切なものを削ぎ落としてはいないだろうか。「便利さ」は、物質的な満足度を高めてはくれるけど、心の満足度を、逆に薄めてしまっていないだろうか。
 気がつけば、あんなに溢れていた子守唄を、最近殆ど耳にしない。