『赤バットと青バット』

赤バット青バット
 赤バットと言えば巨人の川上哲治青バットと言えばセネターズの大下弘。野球ファンなら誰でも知っていることなのに、そのバットが実際に使われたのは、昭和二十二年の一シーズンだけだった─ということまで知っている人は少ないと思う。
 二人の色付きバットの始まりは、運動具メーカーから川上が赤バットの提供を受けたこと。それを見た大下は、対抗心からか自らのバットに青い塗料を塗った。弾丸ライナーの川上対ホームラン量産の大下。色彩バットの競演はファンを魅了させたのだが、ボールに塗料が付着するとの苦情が審判団から出て、一シーズンの命となった。
 二人の活躍はその後も続いた。ぼくは巨人ファンだったから、現役時代の川上の試合は何度か見ている。川上のファーストミットは他の一塁手のものより小ぶりだった。多分特注だろう。(大選手は、攻守に探究怠りないのだなあ)と感銘の記憶がある。
 昭和三十一年から三年続いたのは、巨人対西鉄という同一カードの日本シリーズ。巨人の四番が川上、西鉄の四番は大下だった。結果は西鉄驚異の三連覇。三年目には長嶋が巨人のルーキーとして登場。それを見届けたように川上はそのシリーズを最後に現役引退。大下も翌シーズンを最後に現役から退いた。