ナナカマドの仲間たち 1.

プロローグ
 わたしたちには、決して風化しない一日がある。昭和二十九年八月十六日にそれは起こった。きょうは、あれから六十回目のその日である。
 あの日の荒くれがウソのよう。とんぼ沼は青い空と真綿のような浮雲を、その水面に映し出している。
 武、光子、信之、わたし(吉松)の四人は、とんぼ沼のほとりに立った。予定の中には源治もいたが、のっぴきならない用事が重なり、「すまんなあ、信之」の言葉を残して出かけて行った。信之が、この日のためにわざわざ東京からやって来たことへの気遣いである。
 信之は、東京の大学を出てそのまま東京の商社に就職した。世界を股にかける一流商社だったが、何と彼は、そんな大会社で社長の座にまで上り詰めた。
 七十歳でその座を退くにあたっては、用意された業界団体トップの要職や名誉職など、そのことごとくを断って、今は完全な自由人。雨なら読書、晴れれば自然を愛でる毎日である。現役時代はむずかしかったふる里訪問も、今なら可能だ。六十周年となるきょうのような日には、何を置いても飛んで来る。
 画家となって北海道に移り住んでいる里江の参加は叶わなかったが、彼女の場合、両親の墓がこの地にあるので、二年に一度ぐらいは墓参りにやって来る。そんなときは都合のつく者だけが寄り合って、臨時の『常男をしのぶ会』をやったりする。
 その『常男をしのぶ会』というやつがコッケイだ。古新聞の回収業者のスピーカーみたいに、すべてが「毎度おなじみ」なのだ。まず、とんぼ沼の話から始まって、すぐに話は八方に飛ぶ。イワツバメの巣を覗きに行って、危うくガケから落ちそうになった里江のこと。お化け屋敷の探検で、おしっこをちびった常男のこと。転入生をギャフンと言わせたくて企んだ〝ヘビ獲り競争〟だったのに、ギャフンと言わされたのは自分たちだったこと。担任教師が西部劇の大ファンで、すぐに荒野のガンマンに変身したがったこと。あれやこれやの想い出話は、百回だろうと千回だろうと、集うたびに同じ場面をクルクル回る。それでいて新鮮に聞こえるのは、人間が等しく持つ〝子ども時代への郷愁〟というものだろうか。
 輝いていた八つの星。そのうちの一つは、輝くことをやめてしまった。もう一つは流れ星。流れて来たと思ったら、どこかへ流れて消えてしまった。

 さて、とんぼ沼のほとりに立ったわたしたち。時計を見ると午後三時。六十年前のあの日の、あのときの時刻となった。
 武、光子、信之、わたしの四人は、沼に向かって手を合わせた。
 目を閉じると蘇えるのは、イカダのこと。突然襲って来た嵐のこと。欠けてしまった星たちのこと。常男は今、沼の底で何を思っているのだろう? 流れ星となったあいつは、どこへ流れて行ったのか。そして、今はどこで、何を照らしているのだろうか?

 1.ハッカケ誕生

 おれ(吉松)たちの学校は、長野県・南佐久郡の山あいにある。正面には浅間山がそびえ立ち、背後に蓼科山が迫っている。
 深山小学校の全校生は二十六人。四月から、つまり昭和二十九年の新学期から六年生となるおれたちは、男が源治、武、信之、それに常男とおれ(吉松)の五人。女は光子(ミッコ)と里江(里っぺ)の二人。計七人のクラスである。
 都会では、女は「おはじき」「人形遊び」「ぬり絵」なんぞをチャラチャラやっているらしい。男は「ビー玉」「ベーゴマ」「めんこ」あたりが主流とか。言わせてもらえば工夫がない。どれもおカネを使ったおもちゃばかりだ。おとなが作った遊び道具に、うまいこと、遊ばされているだけじゃないか。
 おれたちはちがう。おとなの知恵もおカネもいらない。頭をピコピコ働かせれば、おカネでは買えない上等な遊びを、ポッコンポッコン生み出せるんだ。
 そもそもおれたちの遊びには、楽しいことが三つある。
 一つは、遊び道具を作る楽しみ。棒っ切れ、やぶの笹、すりへったゲタ、川原の石ころ、空きビンや空きカン、穴があいて使えなくなったバケツやヤカン…。目につくものは何だって、工夫一つで立派な遊び道具に変身する。その応用がおもしろいのだ。
 二つには、遊びのルールを自分たちで生み出す楽しみ。世界に一つしかない遊びを、おれたちは、きのうもきょうも生み出したし、多分あしたも生み出すだろう。
 三つには、男だとか女だとか、そんな区別なんかありはしない。全員がひと群れのサルとなって夕日の中まで遊びまくる楽しみは、どんなものにも代えがたいのさ。
 おれたちの先生は「ハッカケ」。もちろん「ハッカケ」とはあだ名だが、本名の早乙女薫という女っぽい名前よりは、はるかにこっちの方が合っている。
 ハッカケは、すごい根性の持ち主だ。毎朝せまい農道を、おんぼろ自転車でやって来る。家から七キロの道のりは、曲がり坂にくねり坂。真夏も真冬も半端じゃない。夏は釜から逃げ出したタコみたいな顔でやって来るし、冬は〝ミノ虫のおばけ〟みたいなスタイルでやって来る。
 ところが、どんなときでも、好きなことはやめられないらしい。ハッカケは西部劇が大好きなのだ。朝の農道でおれたちに出会うと、「待ってました!」とばかりガンマンに変身する。「黄色いリボンのジョン・ウェイン!」とか「真昼の決闘、ゲーリー・クーパー!」とか、わけの分からないことを叫びながら、指を拳銃代わりにしてバンバ〜ンと撃って来るのだ。
 そうなったら、おれたちも応戦する。カバンやランドセルを放り出し、ときにはゴロンと転がって、撃ち殺された真似もしてやる。これをやると一時間目の授業が脱線するから、そこがねらい目。源治なんか、指拳銃を撃つ前から「やられた〜っ!」と叫んで転がったりする。
 あるときハッカケが言った。
「なあ源治、おまえ、撃つ前から転がるんじゃないよ」
 源治はズッコケるし、おれたちは腹を抱えて大笑いだ。
 登校時の撃ち合いは、五年生の春から始まった。春休みに先生が、町で『真昼の決闘』とかいう西部劇を観て来てからのこと。「あしたからはグリコのパックと呼んでもらおう」と先生は言ったけど、意味が分からない。後ろの席の信之に「グリコのパックって何だ?」と聞いたら、「ちがう。グリグリペッコって言ったの。西部劇の主役の名前だよ。あっちじゃ有名なんだな、うん」と教えてくれた。級長だけあって信之はモノ知りだ。
「グリグリペッコ」と呼んで欲しかった先生に、それとは似ても似つかない「ハッカケ」という名が付けられたのは、撃ち合いが始まって二カ月が過ぎたころだ。あれは調子に乗り過ぎた。
 その日も先生は、あぜ道をおんぼろ自転車でギコギコとやって来た。
 それ見ておれが言った。
「おい、グリグリペッコが来たぞ」
 源治がニヤッと笑って「やる?」と言った。
「やるやる」とおれたちみんな。
「じゃあ、先制攻撃で行くべ。よし、散れ」
 おれたちは、左右の草むらにバラバラとかくれた。
「いいか。あの〝へのへのもへじ〟のかかしまで来たら、飛び出すんだぞ」
「分かった」
 ギコギコギコ…と、先生がかかしに差しかかった。
「撃てーっ!」
 源治の号令で草むらを飛び出したおれたちは、先生に向け指拳銃を撃ち出した。
「バンバーン!」
「バンバーン!」
「バンバンバンバーン!」
 不意を喰らっても、先生は動じない。「おっ!」と叫ぶや、坂道七キロの疲れも何のその。「ちょこざいな!」と言い放って、心は早くもグリグリペッコだ。腰から拳銃を引き抜くと、つまり、拳銃を引き抜いたまねをすると、「バンバンバーン!」と応戦に出た。
「パカッ、パカッ」という音も拳銃音に混ぜ込ませる。これは馬のひづめの音。愛馬にまたがっているつもりなのだ。監督、主演、効果音…。何でも一人でこなしてしまう。
「パカッ、パカッ、バンバンバーン!」
 この日の先生、よほど気分が良かったらしく、二丁拳銃の暴挙に出た。愛馬のつもりの自転車から両手を離して─。
 正面から「バンバーン、バン、ババーン!」
 すれちがいざま「バンバンバーン!」
 ふり返って「バンバーン!」
 この、〝ふり返って〟がいけない。ただのオッサンが、せまいあぜ道で、ハンドルから両手を離しての背面射撃だもの…。「わっ!」と叫んだ早乙女先生、つぎの瞬間、自転車もろともドロ田の中へと突っ込んだ。
あじゃーっ!」と、おれたちは棒立ちになった。
「やっちゃったべーっ!」
「えれえこっちゃ!」
「だいじょうぶか? ケガしてねえか?」
 えらいことだ。先に仕掛けたのはおれたちなのに、だれ一人、助けに走ることもできない。ただ、ぼう然と突っ立ったまま。
 ドロ田の中の先生は、あお向けのカメが元に戻るみたいに、やっとこさ体を半回転させると、そのあとは、生まれたばかりの子牛みたいにヨロロ、ヨロロと立ち上がった。顔はさながら、ぶっかけ汁の中のサトイモだ。水ゴケだの浮き草だのが耳や肩にかかっている。
「ぺっ、ぺっ、ぺっ…」と口からドロを吐き出すと、シャツのはだけた胸元からドジョウが一匹ポチャンと逃げた。
「げぼっ、ぺっ、ぺっ」
 ここで先生はおれたちを、上目づかいにギロリと見た。
 ゾゾゾゾ〜ッ。
 へその下がキュ〜ンとなって、ブラックホールに吸い込まれていく感じ。
 早乙女先生、ジ〜ッとおれたちを見つめてから、一転「デヘヘへ…」と笑い出した。右手で頭をポコンとたたき「しくじっちまった〜っ」と言ったのだ。
 どうやら自己責任と思ってくれたらしい。おれたちは顔を見合わせたあと、安全確認ができたように「あはははは…」と笑い出した。それを見た先生も笑う。おれたちはもっと笑う。里っぺ(里江)は涙をふきふき笑っている。
 笑いが収まりかけたとき「何だろう? 先生変じゃない?」とミッコ(光子)が言った。
 なるほど、確かにどこか変。
 どこだんべ?
 源治が叫んだ。
「あっ! 歯っ欠けじゃん!」
 先生の、上の前歯が三本消えていたのだ。
 その日から早乙女先生は「ハッカケ」になった。以来、ハッカケの歯は「歯っ欠け」のまま。入れ歯や差し歯は考えもしない。「す」の発音が「しゅ」になったけど、へこんだ様子はみじんもない。〝歯抜けガンマン〟なんて絵にならないのに、その後も先生はおんぼろ愛馬にまたがって、指拳銃を撃ちまくっている。
 早乙女先生が「ハッカケ」となったことで、めいわくを受けているのは、教壇の最前列に座るおれと里っぺ。授業中、パッパとつばが飛んで来る。これは実弾だから、指拳銃より始末が悪い。「ガラでもねえ」と言われながらも、おれがハンカチを持つようになったのは、こうした悲しい事情があってのことだ。