心一つに立ち上がれ!26.

 勝蔵さんと心美ねえちゃん、そしてぼく。三人で立つ丘の上。三人とも、おばけ駅を見下ろしている。ぼくは、一年前のことを思い出していた。一年前の七月三日。
 その日も、ぼくたちはこの丘からおばけ駅を見降ろしていた。そこにはまだ一心じいちゃんもいた。
 あのとき一心じいちゃんは、鈴なりのディーゼルを見降ろしながら、満足そうに言ったっけ。

・・・○・・・○・・・○・・・○・・・

「おい、心美、心之助」
「何?」
「もう安心だわな。アチ、極楽浄土に行くことにする」
「えっ、行っちゃうの?」
「うん。いつまでも成仏しないままでは、天国にいるアチの両親も心配だろうしな。おまえたちのことなら、天国からいつでも見ていられるんだから」
「そうなんだ。ユウレイのおじいちゃんに会えなくなるのは淋しいけど、仕方がないよね。路頭に迷ったままではいけないものね」
「おまえには勝蔵がいる。淋しくはあるまい」
「ぼくにはだれもいないよ。ミサエちゃんは遠の昔に引越しちゃったし」
「おまえだって、淋しくなんかあるもんかい」
「えっ、ぼくにもだれかが現れるの?」
「まあな。読めてるところを教えちゃうとね、心之助、おまえの末広がりの八年後はフランスだ。それも高級ワインの産地ボルドーだよ。出会いはそこにある。ソムリエを目指しているニッポン女性」
「ヒューッ」と勝蔵さんが口笛を吹いた。
「どんな人?」とおねえちゃんが話に飛びついた。
「ミサエとかって」
「ミサエちゃん! それって、あの、心之助が好きだったミサエちゃんだ!」と、おねえちゃんが叫んだ。
「心之助ったら、すごいじゃない!」
 ぼくはそのとき、何と表現したらいいのか、足がガクガクふるえ出し、笑うとか、「イェーイ!」と叫ぶとか、そんなことの何一つもできないで、ただただ一心じいちゃんを見つめていた。
 じいちゃんは「やれやれ、この放心ぶり。逆目が出てたら、えらいことになっていたなあ」と言ってから、「さて、勝蔵」と話を変えた。
「孫の一員となったおまえに、一つ頼みがある」
「どんな?」
「四日後の晩、うん、通常運転終了後でいいんだが、一心おばけ鉄道の車両一両を、ほれ、そこのおばけ駅に回してくれんかなあ」
「四日後ってぇと七夕の晩ね。通常ダイヤのあとならいいすよ。午後十一時あたりでもいいすか?」
「上等だ。満点の星空が楽しめるだろうな」
「で、一心さん、あそこへディーゼル回させて、どうしようって言うわけ?」
「アチ、それに乗って行きたいのよ」
「どこへ?」
「天国へ。一心おばけ鉄道を星空へと走らせるんだ。乳をこぼした跡とも言われる天の川を渡ってね、その先にも川がある。三途の川だよ。そこを越えたら天国だ。アチにも両親がいる。出迎えてくれると思うんだな」
「すご〜い! 銀河鉄道だ」
「でも、どうやっておばけ鉄道のディーゼルを?」
「それは見てのお楽しみだ。勝蔵、協力してくれるかい?」
「もちろんですよ。そういうことなら、出立祝いの花火も一発用意しちゃおう」
「花火はいらんよ。静かに行きたい」
「だったら、一心さんの車両が消えて、三途の川を渡ったころ、天国入りの祝砲花火ってどう?」
「おう、それならいいかなあ」
「よ〜し、超特大、どでかいやつをぶち上げちゃおう」
「そんなことしたら、また警察に…」
「いいってことよ。心美、おれたちは、地区の連中も会社の連中も、一心さんには恩の一つも返せていない。その一心さんが天国だ。パッと開く男の花火を、天国から見てもらいてえじゃねえかい。男勝蔵、きっぱりやらしてもらいてえんだ」
 そこまで言われたら、おねえちゃんは言葉を無くす。勝蔵さんは翌日、銀河車両の手配をしたあと、会社を抜け出し三日がかりで、それはそれは、どでかい花火を作り上げた。

 四日後の七月七日の夜、ぼくたち三人と一心じいちゃんは、ふたたびぶどう畑の丘に立った。眼下のおばけ駅に車両が一両。通常ダイヤは終わっているから、駅舎やホームの灯は消え、駅舎の前燈だけがぼんやりと辺りを照らしている。
「車両には運転手もいないけど、それでいいの?」
「ああ、それでいい。じゃあ心美、心之助。元気でな。何かあったら夜空を見ろな。アチ、そこのどこかにいるからな」
「うん。お元気で」
「さようなら」
「勝蔵、心美をよろしくな」
「任せて下さい」
「ではね」
 この一言を残して、一心じいちゃんは火の玉となった。じいちゃんの火の玉は、ゆらゆらとホタルのように舞いながら、おばけ駅の車両へと向かった。
 ぼくたちは、感動を無言の中にしまい込んで見ていた。
 じいちゃんの火が、無人の駅の車両に届いたようだ。
 プゥヲォ〜ン
「えっ、だれもいないのに警笛が鳴った!」
「きっと、一心さんが鳴らしたんだよ」
「あっ、ディーゼルが!」 
 ディーゼル車両がダブったように見えたかと思ったら、そこから淡く半透明の車両が抜け出し始めた。アロエの果肉で作ったように透けて見えるきれいな車両。それは、やがて頭をもたげ、夜空にだんだん昇って行く。先頭部分にポッチリと、火の玉らしいものが見える。あれは運転席のじいちゃんだろうか? そう! あれは、絶対に一心じいちゃんだ!
 じいちゃんが走らせるおばけディーゼルは、降るほどの満天の星の中へと溶け込んで行く。天の川が見える。川を挟んで、こと座のベガが織り姫の星。わし座のアルタイルが彦星の星。じいちゃんを迎えるように光っている。
 じいちゃんのディーゼルは消えた。うまく三途の川が渡れたろうか? じいちゃんに、思い残しはなかっただろうか?
「行っちゃった」
「安らかになれたのよ。ここまで、がんばり通しだったんですもの」
「そうだね」
 満天の星の夜は続いている。
「そろそろ天国到着だろう。祝電代わりの花を贈ろう。そら、心美と心之助はぶどう畑の向こうへ退避だ」
「えっ、あんな方まで?」
「三途の川を超えて飛ばすんだぞ。超々特大なんだから」
 そう言われての退避だったのに、甘くみていた。退避から数分後、ぼくと心美ねえちゃんは腰を抜かして、しばらくは立てないハメに合った。そのすごかったこと、亀の子山がくずれてなくなるかと思ったくらいだ。

 勝蔵さんは再犯ということで、三日も留置所に留め置かれた上、五十万円の罰金刑を喰らってしまった。
 四日後、前科二犯の勝蔵さんは、ニコニコ警察署の玄関から現れた。
「お疲れさま」とおねえちゃんが言った。こういう人のことを「極道の妻」って言うんだろうか?
「今夜は、出所祝いだからね」とぼくが言った。
「どこで?」
「大原さんの店。出席者は十二人だよ」
「十二人? あのメンバーなら十人だと思うが…?」
「うちのお父さんとお母さんも加わるんだよ。じいちゃんがユウレイとして活躍してくれていたこと、いつまでも隠しておけないから、全部話したんだ。四日前勝蔵さんが、また警察に捕まった夜にね。そしたらお父さん、『そうか、勝蔵がおやじを天国へ送ってくれたのか。そりゃ大層世話になった。だったら勝蔵の出所祝いを、全額、株式会社一心ワイナリー持ちでやろうじゃないか。ユメ会議のみなさんもお呼びしてな』って」
「そりゃ、めんぼくない」
「だから、あの人たちにも言ったよ。勝蔵さんが一心じいちゃんを極楽浄土に送ったってね。『あのバカ、またやらかしやがった!』と怒っていた地区長さんや校長先生も、大花火のわけを知ったら、コロッと変わって大喜びさ。地区長さんは『うん。末は社長かもな』と言ったし、校長先生は『わたしの教え子ですからね』だって」
「どっちも、疲れる話だなあ」
「二人とも照れ隠しよ。みんなとても喜んでくれたし、真っ先に『出所祝いやりましょうよ』と言い出したのは、ロハさんだったんだから」
「へーえ。一心さんの後光が、少しは乗り移ったのかなあ」
「そうでもないみたい。費用はうちのお父さんが全額持つと言ったら、『おお、ブラボー!』って叫んだからね」
「やっぱり、後光、乗り移ってねえな」
 勝蔵さんには、二度目の犯行ということで、罰金五十万円が科せられた。でもそのうちの六万円は、地区長さんを始めとする各メンバーからの自発的な献金。大原さんは独自に、前回と同じ三十万円を用意してくれた。残る十四万円は、『一心おばけ鉄道』の有志社員たちからの献金。勝蔵さんのほんとうの人柄が浮かび出ている。

 その日の晴れ晴れとした出所祝いは、「一心革命」を大成させた十人の結束を、より強固なものにした。また、このメンバーに初参加のお父さんとお母さんは、自分たちの親や子どもたちの活躍ぶりを聞き知って、驚いたり喜んだり、時として呆れたり、事のほかの喜びようだった。
 最後に地区長さんが提案した。「この会を『一心会』と命名してだな、毎年、一心さんが三途の川を渡った命日の夜、この店で『一心忌』を派手にやるべえよ」
 みんなはヤンヤと拍手をした。

・・・○・・・○・・・○・・・○・・・

 その日から一年が経ち、今夜が最初の『一心会』による『一心忌』がある。
 見下ろすおばけ駅に、二両連結のディーゼルが入線して来た。
「ぼくは一両だけの烏帽子山線が好きだったけど、でも、こうして見ると、連結の一心おばけ線もいいもんだなあ」
「うしろの一両は、勝ちゃんとおじいちゃん、そしてみんなの努力が生んだ一両。血の滲むような汗から生まれた成果を乗せた一両だからね」
「お客さんが降り出したね」
「お〜う、ぞろぞろだ。まず記念乗車券を買い求めて、駅舎をバックに写真を撮る。そのあと大原さんのところの『じねん流食楽処』へ。それが最近の定番らしいな」
「あそこ、無農薬で安心安全。その日採りたての新鮮食材。味もバツグン。言うことなし。茂平さんも、がんばっているからね」
「おねえちゃん、いま何時?」
「十二時少し前」
「いい時間だね」
「何が?」
「じねん流小懐石」
「それかあ、あんたの狙いは。でも、今夜はそこで第一回目の『一心忌』があるのよ。ダブっちゃうじゃない」
「いいじゃねえの。昼はランチで夜はディナー。昼夜の区別があるんだから、味わいも別々だと言いたいんだろうよ、心之助は」
「そうかなあ。ただ食べたいだけと違う?」
「そうで〜す。ごちそうさま〜あ!」
 ぼくはこのところ、ず〜っと爽やかだ。きょうもそうだし、あしたもきっとそうだろう。あさってのあとも、ず〜っとね。だって、フランスのボルドー。そのあとはパリ。そこで、ソムリエの修業をしているミサエちゃんと再会するって、一心じいちゃんが未来図を教えてくれたんだから。二人してここに戻り、ぼくは『一心ワイン』三代目としての仕事が始まる。その奥さんはソムリエのミサエちゃん。ふふふふ…。だめだ。笑いが止まらない。ふふふふ…。
 ぼくは自信を持って生きる。胸を張って歩き続ける。
 人はみんな一冊の本。どの人の本にも、前向きに生きさえすれば、きっと叶うその人のサクセス・ストーリーが書き込まれる。 
 もちろんきみの本にもね。
 一歩はすごい。一歩があるから万歩の先へも歩いて行ける。ここまで読んでくれたきみ。さあ、きみも最初の一歩を踏み出そうよ。きみの輝ける人生のために─。       (おわり)



 長らくお読み頂いた方々に、へぼおやじの書き手は、心よりの感謝を申し上げます。「ではこれで…」と引き下がればいいものを、「人生、時間が少ないから勿体ない」と考えるへぼおやじは、次なる作品にかかるのであります。
 次回からは題して『ナナカマドの仲間たち』。頃は昭和29年。山間の小学校の6年生総勢8人の睦まじき色々があり、やがて…。つまりは昭和17年生まれの少年少女が主役でして、それ、書き手と同じ年齢でして…まあ、書き手の郷愁でして…。では…。