心一つに立ち上がれ!25.

 そして、旧破暮駅のホーム上での捕りもの騒動から三年が過ぎた。
 勝蔵さんは、三か月前、心美ねえちゃんと結婚した。ぼくの義理のお兄さんになったというわけ。
 ぼくたち三人は、亀の子山のブドウ畑にある一心じいちゃんの石碑の前に立った。
「じいちゃん、今ごろ天国で何してるだろう?」
「微笑みながら、わたしたちを見守ってくれていると思うわよ」
「ここは一心さんのお気に入りの場所だから、ここからオーイと叫びかければ、オーイと返してくれるかも知れないぞ」
「じゃあ、みんなでやってみようよ」
「よし、やろう」
 ぼくたちは空に向かって「オーイ!」と叫んだ。
〝オーイ!〟と返った。
「なっ、やっぱり返して来ただろう?」
「うん。聞こえたんだ」
「ハモったような声だったけどね」
 三人とも「あれは、ただのこだまだ」とは言わなかった。言いたくなかった。
 ぼくたちは、用意の花を手向けて手を合わせた。心の中で口々に、じいちゃんへの感謝の気持ちを述べ合った。
 この日、じいちゃんの石碑に花を手向けたのには、それなりのわけがあった。一年前のこの日こそ、一心じいちゃんが三途の川を渡った日なのである。つまり、この日が正式の命日ってこと。それを知っているのは、ぼくたち三人だけである。
 合掌をすませてふり返る。そこに、わがふるさとの大地が広がる。眼下に一点目立つのは、烏帽子山線復活への起点となった旧破暮駅。
「たった三年ですごいわよね。廃線が決まっていた赤字路線が復活したばかりではなく、今や観光の目玉になっているんだからね。三十歳の花火師をいきなり宣伝部長に迎えた会社もえらかったけど、それに応えた勝ちゃんって、ほんとうにすごいと思ったな」
「みんなが、いろいろヒントをくれたからだよ」
「そのいろいろを、上手に生かしたことがすごいのよ。全国だれでもネットで買える『三千円の年間定期券』の発売とか、七十歳以上の乗客に対しては、その同伴者一人を介助の付添い人とみなして無料にするとか。それを真似た鉄道も出始めていると言うじゃない」
「でも、あの程度の企画を並べただけでは、赤字の解消なんて望めなかったなあ」
「ヒット中のヒットは、やっぱり社名の変更よね。一心おばけ鉄道。あれで一気に全国区に躍り出たんですもの。県としても会社としても、勝ちゃんサマサマだわよ」
「いや、社名の変更は、あっちの成功があっからこそのことなんだ」
 勝蔵さんが指差したのは遠望の旧破暮駅。今のおばけ駅だ。
「ああ、あれね。駅名を替えた途端、一日の乗降客が何倍にもふくれ上がったもんね。でも、あれだって勝ちゃんの提案じゃない」
「提案したのはおれだけど、あれは心之助の手柄だよ。あの会議での名演説は歴史的だった。あれが無かったら〝おばけ駅案〟は、アワと消えていただろうから」
「あれにはわたしもビックリしたな。IQ175が、ほんとうかと思っちゃったぐらいだもの」
「みんな一心じいちゃんの力だよ。最初のころのぼくの発言は、一心じいちゃんそのものだし、そのあとだって、じいちゃんを意識したからこそ言えたことばかりだよ」
「そうすると〝おばけ駅〟の成功は、勝ちゃん、おじいちゃん、心之助の三人の力の結晶ってことになるわね。その延長線上に、〝一心おばけ鉄道〟の成功もあったってことよね」
 ホームを清掃している駅員さんが遠目に見える。二年と七カ月前までは無人駅だった。それが今では三人態勢。勝蔵さんは、更なる増員も考えている。
 駅前広場には、何本もののぼりが見える。ここからでは読めないが、それには〝おばけ大福〟の文字が染め抜かれている。一年と数カ月前にオープンした、駅前のおみやげ屋さんののぼりである。店主は武田三太夫さん。それ、元校長のロハさんのこと。
「ロハ先生のところ、成績はどう?」
「いい商売になっているよ。烏帽子山線を黒字にしたおばけの力にあやかりたいと、おばけ駅の乗車券を求めて来る人が、今もあとを断たないからな。乗車券を買うために下車すれば、つぎのディーゼルが来るまで時間ができる。どうしたっておみやげ屋に立ち寄るよな。立ち寄れば、何か一つぐらいは買っちゃうもん」
「それにしても、あの校長先生がねえ。想像できなかったわよ、おみやげ屋さんになるなんて」
「おれだって驚いたよ。かれこれ二年近く前だよな。ロハ校長がおれのところにやって来て、こう言ったんだぜ。『わたしは来年の三月で聖職定年です。今後は幸せを求めて全国からやって来る人々のために役立つことをしたいと思います』って。どういうことかと聞いたら、駅前にみやげ店を出すから、『一心おばけ鉄道特約店』という名称を使わせろ、だって。マジっすか!って叫んじゃったよ」
 勝蔵さんも驚くロハ先生の発想は、まぎれもないマジだった。勝蔵さんは、それに応えた。『一心おばけ鉄道特約店』の使用許可をもらった校長先生は、さっそく駅前に接続する茂平さんの畑の一画を格安で借り、退職金をつぎ込んで店を建てた。
 店名が、これもロハ先生らしい発想で『一心おばけ堂本家』。何もかも自分の力にしてしまうのはお見事と言うほかない。しかも見事な手法は、その一点にとどまらない。扱う商品のすべてが勝蔵さんたちの開発商品だったのだ。百パーセント他人のフンドシだけど、勝蔵さんは面白がって協力している。
 一番の売れすじは、のぼりにもある〝おばけ大福〟。正式商品名は『おばけ大福。子どもに喰わせるな!』。
どんな商品かと言えば、普通の大福のあんこの中心に、『一心ワイナリー』で開発したグレートエンペラーという大型のぶどうを一粒入れただけのもの。グレートエンペラーは、タネを抜いてワイン樽に一週間漬け込んである。そこがミソ。あんことぶどうとワインの三種が、互いの良さを引き立て合って、魅惑の味を生み出している。アルコールは微量だから子どもが食べても影響ない。だから、なら漬けなどの酒カス商品と同じで表示義務はない。それなのに、わざわざ「子どもには一日一個」と表示してある。
「子どもには一日一個」という表示も、「おばけ大福。子どもに喰わせるな!」という強烈なネーミングも、すべてが勝蔵さんの発想だ。
 この表示とネーミングが決め手となって、今や、県下の鉄道関連みやげの王座に君臨している。肥満が気がかりな子を持つ親からは、感謝の言葉も寄せられている。
『おばけ大福。子どもに喰わせるな!』の発想すべては勝蔵さんだが、その製造元は『伝五郎商店』が独占している。地区長さんが勝蔵さんの許可を得て、その製造・販売に乗り出したのだ。
 大福に包み込むワイン漬けのグレートエンペラーは、これも独占的に『一心ワイナリー』から仕入れている。
 おいしい上に独り占めの販売権を持っているから、とにかくよく売れる。気を良くした地区長さんは、枝豆畑の半分を、あんこ作りに必要な小豆畑に切り替えてしまった。枝豆がおばけになって、「それほどまでに愛想がつきて、未来永ごう見捨てるつもりか、伝五郎どの。うらめしいぞえドロドロドロ〜ッ」なんて出て来なければいいが…。
 校長先生と地区長さんの話をしたから、あとの人たちのことも話しておこう。
 大原さんは計画通り、農園と料亭をスタートさせた。料亭の名は『じねん流食楽処』。 スターの店は続かないと言われるが、この店は違う。スター人気におぼれることなく、徹底した食材とおもてなしにこだわっている。
 食材については、自前の畑では間に合いそうにない分の生産を、早くから茂平さんに依頼していた。茂平さんが作っているのは、切れば切り口がピンク色の黒大根、サラダほうれん草、ルッコラ、ビーツ、フルーツトマト、スナップエンドウ山わさびなど。大原さんからの依頼を受けて、初めて手がけたものばかりだ。
 手抜きのない茂平さんの食材は、お客さんから大好評。その要望が強いことから、大原さんは、レジの横で『じねん処健康野菜』としての販売を決めた。以来、手ぶらで帰るお客さんは少ない。
 大原さんは料亭の他にも、『大原演劇塾』という若手演劇人養成施設も運営している。そこで使うケイコ用寸劇台本を一年前から書き始めたのが門左さん。風変わりなセンスを大原さんが買っての起用だったが、最近異変が起きている。面白いのだ。喜劇じゃないのに笑えてしまう。それが、大きな岩からジワリ染み出るような超自然的なおかしさだから、演じる者の胸を打ってやまない。そのふしぎな魅力に気付いた大原さんは、門左さんの脚本による本格公演を実現させようと、今考え始めている。そのこと、門左さんにはまだ内緒にしているそうだ。あの人、どんな喜び方をするんだろう。
 住職さんは、一年ほど前から、月に一度の「精進料理教室」を始めている。
 この教室は、生徒が自分たちで食材を採取し、それを使って料理を作り、さらにそれをみんなで食べ合う─というもの。肉や魚を使わない本格精進料理とあって、健康志向の若い女性を中心に受けている。参加者のほとんどが車やディーゼルでやって来る遠方組だから、地区の活性化にも役立っている。
 赤イボ先生は「この世の名残は多けれど、トシは流れて止まりゃせん」と、ボヤキまくっていたけれど、嘆いてばかりではいられなくなった。大原さんの料亭はウナギ登りの人気だし、住職さんの教室も栄えているし、一心おばけ鉄道の本数も増えたしで、地区の人口減に歯止めがかかるどころか、このごろは、地区の人口が日々伸びている。それにともなって、診療所も大忙しとなってしまった。
 訪問診療も、昔のようにのんびりとはしていられない。車で家から家へと飛び回らなければいけない始末だ。一度返上してしまった運転免許証は、いくらかけ合っても警察署は返してくれない。車も廃車にしちゃったからない。
「車をつぶすんじゃなかったし、わしの免許なんだから、返すもんじゃなかったんだ」と散々ボヤキながら買った中古の軽自動車を、なれない手つきでヨタヨタ運転しているのは、そのために運転免許を取得させられた心美ねえちゃんだ。
 さて、残る一人となったぼく自身にも触れておこう。
 おねえちゃんが、とっさの言いわけとして口にした〝IQ175〟。新聞や週刊誌でも報じられて一躍「時の人」にされたけど、ウソは三カ月ほどでバレた。何でもあばきたがるマスコミが、IQを判定するためのプロを連れて来たからだ。
 でも、ぼくはそれでよかったと思っている。人はそれぞれに力の量があり、盛り過ぎたものはこぼれるだけで、ロクなことにならない。真実を知ってもらって清々している。
 そのぼくも来年は高校生。もちろん、ロハ校長先生が去ったあとの破暮高校に入学する。そのあとのぼくの人生がどうなるか? 一心じいちゃんの目に見えた未来図が確かなら、ふふふふ…。ついつい笑いがこぼれてしまう。でも、その話はあとに回して、一心じいちゃんの石碑の前に立つぼくたち三人の場面に話を戻す。
 勝蔵さんが、お尻のポケットから新聞を抜き取って言った。
「心美は、今朝の朝刊の囲み記事を読んだか?」
「まだだけど、何か?」
「朝刊、ここにあるよ。『一心おばけ鉄道顛末記』という記事が載ってるんだ。読んでやろうか?」
「うん」
「『県北の破暮地区住民が起こした破天荒な独立騒動は、赤字まみれで廃線と決まっていた烏帽子山線を土壇場で復活させるという大逆転劇を演じて見せた。
 あれから三年。その赤字まみれだった鉄道が、いまや『一心おばけ鉄道』と名前を変え、地獄のふちを走り抜けた英雄として称えられている。騒動のあった破暮駅も、『おばけ駅』と改名されている。改名は、女優の大原美津江さんが委員長を務める烏帽子線赤字脱却会議の強い要望を入れてのものだったが、結果は、大方の予想を蹴散らすばかりの大ヒットとなった。
 地元ワイナリーのワイン漬けぶどうを使った和菓子の『おばけ大福。子どもに喰わせるな!』も、驚異的な大ヒットだ。駅売りの『一心おばけ弁当』は、遠来客の持ち帰り弁当のトップにある。
 ところで、ここで言う『一心おばけ』の『一心』とは、かつて烏帽子山線の廃線撤回運動を指導した『一心ワイナリー』のオーナー、星一心氏のこと。星氏は生前烏帽子山廃線阻止運動の先頭に立ち、死後もまた、落胆する地区住民らの夢枕に現れて、廃線阻止の戦術を授けたと言われている。それは幾多の証言で裏付けられており、そこから「おばけになっても破暮を救った星氏」と称えられるようになった。地元では現在、氏の大恩に報いようと『一心おばけ神社』の創設が検討されている。おばけサマサマの顛末記。どうやら顛末とは至らず、まだまだ続く様相だ』─だとさ」
「おもしろ〜い」
「だろう。でも、確かにおばけサマサマだよな。あのとき『立ち上がれ! ニッポンからの独立だ〜っ!』と叫んだのは、おばけの一心さんだったんだから。心之助の活躍も、タネを明かせば一心さんだし」
「あのときは泣きたい気持ちだった。でも今思えば、一生忘れられない体験だったと思う。『信念を持ってやれば、どんな険しい道も拓ける』ということを教えてくれたわけだからね。ここでもじいちゃんサマサマだよ」
「心之助には、アレのこともあるしね」
「そうだよ。アレはすごいぞ。あの子との劇的な再会。しかも舞台はフランスと来た。絵に描いたようだなあ、心之助」
「ふふふふ…」
「それだけ?」
「だって…ふふふふ…」
「言葉にもならない感動ってこと?」
「だめだよ。そんなこと、心之助には聞くだけヤボってやつだ」
「みたいね。でもわたしもあるんだ。個人的におじいちゃんに感謝したいことが」
「個人的に? どんな?」
「勝ちゃんのこと」
「おれのこと?」
「だって、おじいちゃんがユウレイになって出て来てくれたおかげで、破暮の独立運動が起こり、そのおかげで、いまこうして勝ちゃんと、この丘に立っていられるんだもの」
「あのねえ、そういう話は二人だけのときにしてよ。ぼくだって、ボルドーのことはだまっているんだから」
「ふふ…。ごめん」
「おっ、ディーゼル来たぞ。ほら、きょうも鈴なりだ。千客万来。何もかも一心さんのおかげだなあ」
「だけどその一心じいちゃんは、勝蔵さんに大感謝だよね」とぼくは言った。
「おれにかい?」
「そうだよ。決まってるじゃない」