心一つに立ち上がれ!24.

 あとで判ったことだけど、驚いたのは社名の『烏帽子山鉄道』を『おばけ鉄道』に─という冗談まで、勝蔵さんが本気で実現させようとしていたことだった。
 ある日勝蔵さんは、心美ねえちゃんとぼくを『おばけ駅』のホームに呼び出して言った。
「おれねえ、『烏帽子山鉄道』を『おばけ鉄道』にされかねない─とだれかが言ったこと、あれは名案だと思っているんだ。だから社長にかけ合ったら、大株主の県が首をタテに振らないからダメだと言われちまった。つまり、県のトップが「そんなのダメだ」と言っているわけさ」
「トップって?」
「知事だよ。それがまた相当の女怪物で、一度首を横に振ったら、彼女の脳みそをかき回すぐらいのことをしなきゃ、その方針は変えられないんだと」
「それじゃ、さすがの勝蔵さんも、あきらめるしかないわね」
「そうはいかないよ、心美ちゃん。『おばけ駅』にした効果を見れば、二の矢が必要だと判るだろう? おれは『一心おばけ鉄道』にしたい。この鉄道を永久のものにするためには、そうすることが必要なんだよ。一心さんへの恩返しにもなるしな」
 ぼくは勝蔵さんの目を見た。かがやいている。
「ふふふ…。勝蔵さんはあきらめないな。で、ぼくたちにどうしろと言いたいわけ?」
「さすがIQ少年。読みが深くなったなあ。じつは一心さんに会いたいんだよ。このホームでの一件以来、おれは一心さんのユウレイに会っていない。この件で、一心さんの力を借りたいんだ。心美ちゃん、心之助。きみらの力で一心さんのユウレイを、ここに呼び出して欲しいんだよ。なっ、頼む!」
 ぼくとおねえちゃんは顔を見合わせた。
 おねえちゃんが、コックリとうなずいた。(引き受けよう)─の意味だ。ぼくもおねえちゃんにうなずき返した。
 幸い今はディーゼルの来る時間ではなく、ホームに人影はない。ぼくは宙に向かって「おじいちゃん、出てよ」と呼び掛けた。すると、空気の中に何やらぼんやりとした形が生まれ、それがボワボワ〜ッとタテ長に伸び、一心じいちゃんの姿になった。
「おっ、これは一心さん! その節はどうも」
「勝蔵。おまえ、がんばっているようだね」
「何とかね。でもね、でっかいテーマが解決できないんだな。でね、一心さんの力を借りられないかと…。それ、聞いてもらえる?」
「いや、聞かなくていい」
「えっ、ダメなの?」
「ダメなもんかい。黙っていれば、アチが読み取る。…ほうほう、…なるほど。うん…アチの名まで入れ込むんかい。ちとはずかしいが、まあいいか。…分かった。ではあしたね。はい、ドロン」
 おじいちゃんは、勝手にしゃべって消えてしまった。
「よろしく〜っ!」
「ねえねえ、勝蔵さん。一心じいちゃんを呼び出させておいて、ぼくたちには何の説明もないじゃないか」
「そうよ。ひどいじゃない」
 ぼくとおねえちゃんが抗議すると、勝蔵さんは笑って言った。
「それは、あしたのお楽しみ。あしたの午後、二人とも時間を空けておいてよ」
「どういうこと?」
「あしたの午後三時、おれは県庁に出向いて、烏帽子山線の宣伝報告書を知事に手渡すことになっている。二人には、それに同行してもらおうと思ってる。問題はその席で何が起こるかだな。お楽しみだぜえ。…え? …ああ、はいはい、…はい。その件了解」
「何言ってるの?」
「いや、一心さんから今、一報が入ったんだ」
「おじいちゃんから? 何て?」
「あしたの知事面接の席では、一心さんが現れても、一切見えないふりをしているようにって。話も聞こえないふりをしているようにって。それ、二人にも言っていることだからね、頼むよ。ふふふ…面白くなりそ〜う」
 勝蔵さんは一人で喜んでいる。ぼくたちを利用しておきながら、ひどい。おじいちゃんもひどい。でも、一心じいちゃんと勝蔵さんがやることだから、将来にキズをつけるようなことにはならないだろう。ぼくとおねえちゃんはそう思い、あしたのお楽しみを待つことにした。

 一夜が明けて、つぎの日の午後二時。ぼくたち三人は、秘書室長の案内で、最上階の知事室に向かった。
 ドアをノックして知事室に入る。秘書室長が直立不動の姿勢をとって言う。
「二時面談の烏帽子山道宣伝部長の室岡さんと、ユメ会議のメンバーだった星心美さん、星心之助くん姉弟をお連れしました」
 知事さんは大きなデスクに化粧道具を広げ、お肌の手入れの最中だったらしい。短い筆とか、まつ毛をいじくるハサミみたいなやつとか、スポンジパフとか、ナンだカンだをメイクボックスに戻しながら、「そちらに掛けてもらって頂戴」と言った。
「はい」と秘書室長。ぼくたちに応接のイスを勧めた。
 知事さんは最後にスタンドミラーを覗き込み、そこで戦略的装備の不備に気付いたのか、せっかくかたずけた口紅をふたたび取り出してチョイチョイと塗り、やっと立ち上がってぼくたちの方にやって来た。
「はい、お待たせしました。戦後レジームからの脱却を目指して、日夜努力を重ねている県知事の阿部真子です」
 立ち上がった勝蔵さんが「どうも」と言って、初対面のぼくたちを紹介してから、「何です? そのレジームって?」と聞いた。
「押しつけられた体制のことですよ。美しい県というものは、自らの力で生み出さなくてはならない。美しい県としての在るべき姿は、他県との戦略的互恵関係を進める上において、何らの脅威を恐れることなく、堂々主張し、時に侵略があれば、それを排除できる県でなくてはならない。わたしはそれを目指しているのです」
「強靭だなあ」
「そう、強靭。三発のテッポウの玉です」
「三本の矢ではなく?」
「そう、三発のテッポウの玉」
 このあと、勝蔵さんが烏帽子山線宣伝報告書を提出し、その説明をした。
「報告は以上です。ところで知事、お願いがありまして」
「何です?」
烏帽子山線の社名の件ですが…」
「それ、おばけとかにしようってこと?」
「ごめいとう。それ、いいでしょう?」
「ダメ」
「ダメ? どうして?」
「おばけなんて、古人に押しつけられた伝説です。人の上におばけは立たず。あっ、そうか! あんただったのね。あたしの知らないうちに『破暮』を『おばけ』にしちゃったのは」
「でも、受けてますよ」
「一時のことです! そもそも不吉です! 大体が、おばけなんてものはこの世にいない。この世にいないものを…。うん? この世にいないものを…。この世に…いないはずのものが…」
 知事さんの目がカッと見開かれている。その目の先にあるのは、部屋の奥のサイドボードらしい。
 ぼくとおねえちゃんはふり返り、危うく声を上げるところだった。サイドボードの上に一心じいちゃんがいたのである。
 じいちゃんはサイドボードにお尻を乗せ、足をブラブラさせている。
 知事さんが叫んだ。
「吉岡! 吉岡―っ!」
「はいはいはい」
 隣の部屋から飛び込んで来たのは、先ほどの秘書室長だ。
「どうされました!」
「あそこを見よ! サイドボードの上!」
「サイドボードの上ですか? 何もございませんけど…」
「よく見ろ! そこに…? そこに…いたはずが…」
「どこでしょう?」
「いや。…いい。何でもない。もういい。下がれ」
「あっ、はい」
 吉岡秘書長は小首をかしげながら、隣の部屋へと戻って行った。
「ねえ知事、どうしたの?」と勝蔵さんが聞いた。
「何でもありません。目の錯覚です。そこに…」と言いかけて、また絶句した。
「いた! ほら、やっぱりそこに!」
 見れば、いったん消えた一心じいちゃんが、また同じところに腰かけている。
「ほら! あんたたちも見ただろう!」
「何を?」
「だから、サイドボードの上!」
 ぼくたちは、じいちゃんを見ていながら「何もないけど?」と首をかしげて見せた。
「吉岡―っ!」
「はいはいはい!」
「サイドボードの上!」
「またですか? 何もありませんけど…」
「今、確かにいたんだ! よし、あんた、わたしの隣に座れ。いいね、ずっとあそこを見ているんだよ!」
「あっ、はい」
 知事さんは、吉岡秘書室長を自分の隣の席に座らせた。
「いいか。あそこを見ていなさい」
「あっ、はい」 
「さてと…、あらっ? 何の話だったか忘れちゃったわよ」と言って、左サイドの壁に目を移した知事さん。そこでまた「わっ!」と叫んだ。
「吉岡! あっちだ! あの絵!」
 どうやらおじいちゃんは、壁にかかった絵の中に移ったらしい。秘書長やぼくたちが見たときには、もう消えていた。
「うーっ!」
 知事さんは立ち上がり、頭をかきむしった。せっかくさっきおめかししたばかりなのに、一瞬で台無し。ヒョィっとふり返って窓を見ると、今度はそのガラスに一心じいちゃんが張りつき、ニタリと笑ってパッと消えた。コンマ一秒の差で秘書長の目には映っていない。
「ねえねえ知事、さっきから一人で何騒いでいるの?」
 勝蔵さんが真顔で尋ねる。
「おばけが…」
「おばけ? おれたち、だれも見てないよ。それに、おばけなんかこの世にいないって、さっき自分で言ってたじゃない」
「…」
「ここでは見てないけど、おれたちは、おばけはこの世にいると思っている。だってこの間、おばけがドロンと出て言ったんだもん。大事にされると守りたくなるが、戦闘的に出る者には、徹底的に呪うんだって。呪い方も教えてくれた。呪う相手しかいない風呂場の鏡の中に出るとか、夜道でハンドルをにぎる車のウインドーの中とか、夕暮れ時の高層ビルの窓ガラスの中とか、トイレの便器の中とかね。そこから、『おいで、おいで』と招くんだって」
「くーっ!」
「どうされたんです! 知事! 知事!」と秘書長さんがオロオロしている。
「特に鏡は怖いらしいよ。おばけは素顔だけじゃなく、いろいろなものにもばけて映るんだって。むかし踏みつぶした人形の顔だったり、いじめた覚えがある人の死に顔だったり、時には、みにくくゆがんだ自分の顔だったり。忘れたくても忘れられない過去の自分が、今の自分をせめるってことらしい」
「やめろー!」
「知事! お気を確かに!」
 知事さんはこのあと秘書長さんらに抱えられて退庁し、翌日、『一心おばけ鉄道』への社名変更案を受けるむねを、烏帽子山鉄道の社長に伝えて来たという。

烏帽子山鉄道』が『一心おばけ鉄道』と改名され、路線名も『一心おばけ線』に変わった。しかし勝蔵さんは手をゆるめない。その後も次々と、一心おばけ線の再生企画を打ち出していった。
 だれにも左右されないブレない姿勢。ゆるぎのない信念。いつの間にか、勝蔵さんを若造呼ばわりする者はいなくなった。最初のうちこそ飛び交っていた暴れ馬を不安視する声は、もう聞くことができない。信頼の声、期待の声が社の内外で飛び交っている。
 笑っちゃうのは、勝蔵さんを天敵のようにののしっていたロハ校長先生だ。このところ会う人ごとに「あれはわたしの教え子でしてねえ…」と、鼻高々に言っている。
「わたしが担任となってからですかねえ。あの子、急に伸び出したんですよ」だって。