2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧

『街頭テレビ』

『街頭テレビ』 テレビは昭和二十八年二月にNHK、同八月に日本テレビが相次いで開局した。当初の価格は二十一インチ三十五万円。サラリーマンの平均月収一万五千円程度、東京─大阪間の国鉄運賃は三等で六百八十円の時代だから、買える人は限られていた。…

『七輪』

『七輪』 太陽が西の空で赤みを帯び出すと、広場で遊びまくっているぼくたちの影が、分刻みで伸び出す。民家の二階よりも高い建造物は火の見櫓ぐらいだったから、伸び切ったときの分身(影)の頭は、何メートルもの先に達する。 職住接近が当たり前の時代は…

『オブラート』

『オブラート』 オブラートは、苦い薬を包み込んで飲むためと、菓子類のベタつき防止用という二通りの目的で利用された。昔の薬は苦かったから、常備薬を持つ家庭だと、ちゃぶ台から手の届くあたりに大抵オブラートの丸い容器が置かれていた。飲みやすい薬が…

『DDT』

『DDT』 戦後しばらく、ニッポンは蚤や虱の天国だった。 「蚤の夫婦」「蚤の息さえ天に昇る」「蚤の頭を斧で割る」「蚤の小便蚊の涙」「蚤も殺さぬ」─と、故事ことわざへの登場頻度からしても、蚤がぼくたちの生活に身近過ぎる寄生虫であったことが分かる…

『旅芸人』

『旅芸人』 昭和二十年代後期にテレビが登場するまでが、旅劇団(いわゆる「ドサ廻り一座」)の黄金時代だった。 ぼくたちの町にも年に一度ぐらい、初見の劇団が巡って来た。その中に『秋月正二郎一座』というのがあって、有名でもないだろうに、なぜかその…

『蠅捕りリボン』

『蠅捕りリボン』 食品を扱う商店には付き物だった蠅捕りリボン。目立って多かったのは魚屋だ。天井から何本ものリボンが下がり、それを縫って飛び回る蠅たち。ゲームなら最高のスリルだろうが、うっかり触れてしまえば地獄に落ちる。そう思って見ていると、…

『五徳』

『五徳』 「五徳猫」という妖怪がいる。江戸時代の画家鳥山石燕が描いたもので、頭に五徳を冠し、火吹き竹で囲炉裏の火を熾している二本の尾を持った猫のこと。地味に見える五徳だけど絵の題材となったのは、その当時、火回りの主役だったからだろう。 五徳…