『街頭テレビ』

『街頭テレビ』
 テレビは昭和二十八年二月にNHK、同八月に日本テレビが相次いで開局した。当初の価格は二十一インチ三十五万円。サラリーマンの平均月収一万五千円程度、東京─大阪間の国鉄運賃は三等で六百八十円の時代だから、買える人は限られていた。野球も相撲もプロレスも、見たいと思ったら、日本テレビ正力松太郎が駅前広場に設置した街頭テレビを見るしかない。
 昭和二十九年二月十九日から三夜続けた力道山木村政彦対米国シャープ兄弟戦。力道山が空手チョップを浴びせて白人の大男を打ちのめす。占領下に味わった屈辱晴らし─と人々は熱狂した。新橋駅前のテレビには、一夜で二万人の群衆が押し寄せた。
 当時、わが家の周辺でテレビを保有していたのは、そば屋と新聞販売店、他僅か。そば屋は、プロレスとプロ野球の巨人戦がある日は、一杯十五円の「もりそば」「かけそば」だけの客はお断り。三十円以上の客しか店内に入れて貰えなかった。仕方がないから新聞販売店に回ると、店の前に店主がドッカリ構えていて「おまえの家はここの新聞を取っているかい?」と聞く。「ぼくの家は○○新聞です」と正直に答えたら、「あっそう。じゃあダメだな」と追い払われた。