『サーカス』

『サーカス』 日本初のサーカスは、1864年『アメリカ・リズリー・サーカス』による横浜での興行であった。それまでの日本でも曲芸興行は行われていたが、どれも芸種別に一座を組んでの公演だったので、多様な芸を一堂に会したサーカスは大きな反響を呼ぶ…

『野良犬』

『野良犬』 穏やかな日の多摩川は、奥多摩から運ばれる水がゆったりと、また雪解け季節ともなると、気持ち滔々と流れていた。水際の砂地ではカニが戯れ、小穴を掘るとハゼ釣りの餌となるゴカイが幾らでも手に入った。 とても気持ちの良い川だったが、時々悲…

『野外映画会』

『野外映画会』 夏休み中の昼下がりの校庭に、二本の長いポールが運び込まれる。ぼくはこの時点からワクワクし始める。ポールに白い布幕が張られ、それが校庭の中央に立つ。映画のスクリーンだ。この主催の主がどこだったかは忘れたが、夏の夜の野外映画会は…

『赤バットと青バット』

『赤バットと青バット』 赤バットと言えば巨人の川上哲治。青バットと言えばセネターズの大下弘。野球ファンなら誰でも知っていることなのに、そのバットが実際に使われたのは、昭和二十二年の一シーズンだけだった─ということまで知っている人は少ないと思…

『野原の子どもたち』

『野原の子たち』 ぼくたちが野原に立つと、誰からともなく子犬のようにジャレついて、転がし合うのが常だった。野は絨毯のように柔らかく、赤チンの要らない遊び場だった。 女の子たちは、咲き誇るレンゲソウの花の中に身を埋め、首飾りを編んでいた。シロ…

『ホーローの看板』

『ホーローの看板』 ホーローの看板と聞いて大抵の人の頭に浮かぶのは、塩とたばこの看板ではないだろうか。子どもの頃、それを避けては通りを行き交えないほど、視野の一部を賑わしていた。それもその筈、塩とたばこは、今のようにどこからでも入手できるも…

『てるてる坊主』

『てるてる坊主』 運動会や遠足の前日の空を雲が覆うと、子を持つ家々の軒先に、白いてるてる坊主がぶら下がった。翌日の晴天を祈念するわけだが、雨の予報が出ている時ほどそうするものだから、頼まれる側のてるてる坊主は、「間尺に合わない」と、ブツクサ…

『台風』

『台風』 「台風○○号は間もなく和歌山県の紀伊半島付近に上陸し、夜には関東の首都圏直撃の恐れが出ています」 ラジオが大型台風の接近を知らせると、トントントン…と、どこからか釘打ちの音が聴こえ始める。音は次第にその数を増し、数時間のうちには町中ト…

『クズ屋』

『くず屋』 東京の下町にあるわが家の近辺には、リヤカーを引いたくず屋さんがよく廻って来た。 「くずィ〜、くずィ〜。くずや〜ァお払い」 声が掛かればボロ布、古着、古紙、金物、割れたガラス…、大抵のものを天秤ばかりに掛け、「一貫目幾ら」で引き取っ…

『アメリカザリガニ』

『アメリカザリガニ』 赤くて大きな爪を持つこの生きものを、ぼくたちは「エビガニ」と呼んでいた。イセエビにも似た立派な見栄えなのに、投棄物の多い不潔などぶ川にも居て、例えるなら、我楽多車庫に真っ赤なポルシェが置かれたような風景であった。 アメ…

『靴磨き少年』

『靴磨き少年』 東京の国鉄の駅に近いガード下では、戦地で負傷した復員兵(傷痍軍人)が木綿の白衣を着て、ハーモニカやアコーデオンを奏しながら、通行人からの金銭支援を仰いでいる姿がよく見られた。戦争に行ったにしては若過ぎる─と思える人も居たと聞…

『ニコヨン』

『ニコヨン』 ニコヨンとは、昭和二十四年の緊急失業対策法施行を受け、東京都が日雇い労働者の最低保障日当を240円(百円札2個と十円札4個)としたところから出た言葉。しばらく日雇い労働者の通称となっていたが、現在は死語になっている。 日雇い労…

『お正月』

『お正月』 何となく、今年もよい事ある如し。元旦の朝晴れて風無し─(石川啄木)。この人までもがそう謳ったお正月。子どもが冷静でいられるわけがない。商店街に最初の松飾りが立った瞬間、ぼくの心は正月色に染め抜かれた。口を突くのは ♪もういくつ寝る…

『バスガール』

『バスガール』 ♪田舎のバスはおんぼろ車 タイヤは泥だらけ窓は閉まらない…と歌ったのは中村メイコの『田舎のバス』(昭和二十九年)。♪若い希望も恋もある ビルの街から山の手へ…は初代コロンビア・ローズの『東京のバスガール』(昭和三十二年)。 『田舎…

『ポン菓子』

『ポン菓子』 昔のぼくたちは、音に対して敏感で、一音節で聴き分けた。「チリン」と来たら金魚屋だし、「カラン」と来ればアイスキャンデー。「カチッ」と鳴ったら紙芝居、「チンチンドン」はチンドン屋。「ド〜ン」と来たらポン菓子である。 ポン菓子とは…

『ヘップバーン刈り』

『ヘップバーン刈り』 昭和二十九年の夏、日本列島の若い女性の髪形が一気に変わった。その年の四月に映画『ローマの休日』が公開され、アン王女を演じた新人女優オードリー・ヘップバーンのショートカットに魅了されたのだ。ある銀行では、十八人の女性行員…

『チンドン屋』

『チンドン屋』 ♪空に囀る鳥の声 峰より落つる滝の音 大波小波と滔々と 響き絶えせぬ海の音 チンドン屋の定番曲『美しき天然』。清くして悲し気な旋律が、小学生のぼくを惹きつけた。見えない糸にぼくは挽かれ、町内グルグルついて回った日々がある。 チンド…

『サンドイッチマン』

『サンドイッチマン』 ♪ロイド眼鏡に燕尾服 泣いたら燕が笑うだろう 涙出たときゃ空を見る… 昭和二十八年に鶴田浩二が唄ってヒットした『街のサンドイッチマン』。道化の陰に隠されている哀しさが、聴こうとする耳に、ジワリ染み入るような歌だった。それも…

『雑巾がけ』

『雑巾がけ』 雑巾がけとは、雑巾で拭き掃除をすることであり、比喩的には、下積みの苦しい作業や経験を指したりする。その比喩をぼくたちは頷く。学校の掃除当番で一番辛かったのが、冬の教室の雑巾がけだったから。 教室の机と椅子を後ろに押しやり、冷た…

『蠅たたき』

『蠅たたき』 「ウルサイ」を「五月蠅い」と書く。当て字も甚だしいが、それほど甚だしくうるさかったのが、初夏に向かって繁殖中の蠅だった─ということだろう。ちゃぶ台におかずが運ばれた瞬間から、蠅はどこからか必ず出現する。いや、「どこから…」と詮索…

『量り売り』

『量り売り』 『浪花恋しぐれ』の春団治が「酒や酒や酒買うて来い!」と怒鳴ると、女房は仕方なく信楽焼きの徳利を持ち、酒せいぜい三合ほどを買いに行く。わが家の父は下戸ゆえそんな憂き目と無縁だったが、当時は酒に限らず、味噌、醤油、佃煮、乾物、多く…

『裁縫』

『裁縫』 ぼくと同世代の友人らに、「子どもの頃に見た母親の日常の一コマを写真に残すとしたら、どんなシーン?」と尋ねたら、諸々出たけど、絵になるのは「陽だまりの縁側で裁縫している姿」ということに納まった。 目を閉じると、そんなシーンが浮かぶ。…

『ちょうちんブルマー』

『ちょうちんブルマ―』 ブルマーとは、アメリカの女性解放運動家ブルマー夫人が考案した、裾口にゴムを通したズボン形式の衣服のこと。それを女子用体操着としたものが「ちょうちんブルマ―」である。だぶつきがあって、運動時の可動性を保つためにギャザーあ…

『蓄音機』

『蓄音機』 手でゼンマイを巻いてレコードを回す蓄音機。トーマス・エジソンが蓄音機を発明したのは1877年。自分で発明した機械から音が出たのを初めて聴いた時のエジソンは、飛び上がらんばかりに驚いたという話がある。 明治二十三年、駐日米大使はエ…

『ガリ版』

『ガリ版』 ガリ版とは、正しくは謄写版。ロウ引きの原紙をヤスリ盤に乗せ、鉄筆でガリガリ文字を書く。書き上がった原紙を印刷版に乗せて、上からインクを塗ったローラーを転がせば、原紙の下の紙に印字出来る。ぼくの小学時代、先生たちが作るテストや教材…

『囲炉裏』

『囲炉裏』 囲炉裏は、日本の伝統家屋に欠かすことの出来ない〝火の座〟だった。暖を取る。煮炊きをする。計画停電の夜長は採光を取る。かまどや火鉢への種火も取る。薪から出る煙は、家屋の防虫性や防水性も高めてくれた。何よりの恩義を上げるなら、家族集…

『自転車の三角乗り』

『自転車の三角乗り』 三角乗りとは、ハンドルの軸棒とサドルを繋ぐパイプの下の逆三角形の空間に片足を突っ込んでペダルを漕ぐ乗り方。子どもが大人用自転車に乘る場合、普通に跨いだのではペダルに足が届かないから、この乗り方をするしかなかった。 自転…

『バナナのたたき売り』

『バナナのたたき売り』 わが町の駅前通りには、毎週土曜日に夜店が出た。屋台、テント、敷物一枚…と、出店スタイルは様々だが、それが駅から左右に百店以上かそれ以下か、とにかく延々連なるのだ。毎週という頻繁なサイクルを考えると、香具師の皆さんにと…

『買い物かご』

『買い物かご』 冷蔵庫が無かった頃は、調理したおかずを(特に夏場は)明日、明後日へと持ち越せなかった。今夜の食事は今日作り、明日の食事は明日やること─と、毎日食材を買いに出るのが主婦の仕事だった。それも、スーパーとかデパ地下など無いわけだか…

『手押しポンプ井戸』

『手押しポンプ井戸』 朝顔やつるべとられてもらひ水 元禄の俳人加賀千代女の句は有名だが、その頃に「井戸端会議」という言葉も生まれたらしいから、千代女も井戸端での世間話に加わっていたかも知れない。 千代女の時代は「つるべ井戸」だが、ぼくらの時代…