2015-12-01から1ヶ月間の記事一覧

『ねんねこ半纏』

『ねんねこ半纏』 「綿入れ」で想い出すのは、どてら、ちゃんちゃんこ、半纏…。大方の人が何より懐かしく思うのは、ねんねこ半纏ではないだろうか。 先日、『おぶわれ体験談』という書き込みを読んだ。「お母さんの声が耳からではなく、おぶってもらっている…

『蒸気機関車』

『蒸気機関車』 明治五年に新橋で第一声を上げて以来、たゆまぬ努力で走り続けた蒸気機関車。昭和二十一年には五、九五八の車両が日本中で活躍していた。 蒸気機関車に始めてぼくが乗ったのは信州に疎開した時らしいが、二歳児にはその記憶がない。僅かに憶…

『ちゃぶ台』

『ちゃぶ台』 食事はこの絵のように一家で囲むイメージが強いが、それは大正デモクラシーを経て昭和に入ってからのこと。それ以前の日本では、個々に〝銘々膳〟と呼ばれる個別のお膳で食事をしていた。東京生まれのぼくは、小学校に上がる昭和二十四年四月の…

懐かしの昭和20年代

『はじめに』 ぼくは、子どもの頃、別けても小学時代(昭和二十四年四月入学〜三十年三月卒業)のことが、何から何まで懐かしい。貧しかったが、貧しさそのものまで懐かしい。 父の休みは、月ごとの一日と十五日。あとは正月三が日だけだった。その年間三十…

『小さなうそ』その16

景子先生の視線が、ゆきえから児童たちに戻された。 「お母さまに代わって電話口に出た水之江さんのお父さまが、おっしゃいました。あしたにでも、つまりきょうのことですけど、学校に電話するつもりでした─と。柴山君のこと、とても心配していらして、必要…

『ちいさなうそ』その15

石黒先生は続けた。 「とにかく先週は家出。きょうは仮病。あっちへふらふら、こっちへふらふらと、恥らいを知らん恥っかきだ。このままでは、この世に生まれた意味がない」 じぶんの児童の登校拒否がよほど不愉快だったのだろう。純一に対する石黒先生の言…