懐かしの昭和20年代

『はじめに』
 ぼくは、子どもの頃、別けても小学時代(昭和二十四年四月入学〜三十年三月卒業)のことが、何から何まで懐かしい。貧しかったが、貧しさそのものまで懐かしい。
 父の休みは、月ごとの一日と十五日。あとは正月三が日だけだった。その年間三十日にも満たない休日は、あばら家の修理や改修などに消えるばかり。
 母はそれ以上に忙しかった。三種の神器も無い中での家事だけでも大層なのに、昼には近隣職場の父が昼食を摂りに帰って来る。再度父を送り出すと和裁や袋貼りの内職をし、月末には町会費の集金バイトに駆け回った。内では割烹着、外ではもんぺ姿で大車輪の母だった。
 そうした中でも、夕飯時には一家揃っての和楽である。苦い話はトント出ない。あしたに続く明るい話題をちりばめてくれた。金銭的なゆとりが無くても、心のゆとりは充分あった。
 ぼくたちが今憶える郷愁を、今の子どもたちがぼくたちの世代になった時、果たして同じように憶えるだろうか? 今の子のポケットには、ボタン一つで生み出せる電話機やテレビが入っている。図書館も丸ごと入っていて、知りたいことは瞬時に解る。じつに便利に見えるけど、そのポケットには、招かざる詐欺師やストーカーやいじめっ子らも入っている。
 リニア・カーは点から点へ「旅情、感情あるものか」と、一徹邁進、人間を物のように直送する。「成長戦略」という言葉は、“心のゆとり”に一瞥もくれない。多くの人は、与えられた目的だけを追う日々の中に生かされている。
 それでも尚、時間の経過というものが、今に生きる人たちに「そののちの郷愁」というものを与えてくれるのだろうか?
 あの頃、ラジオはみんなで聴くものだった。テレビはみんなで見るものだった。遊びとは、お手玉、あやとり、ままごと、缶蹴り、チャンバラ…と、みんなで楽しむものだった。食事とは、一家が揃うものだった。買い物かごの中にあるのは、食べるものも包装物も、すべてが自然に還るものだった。自然回帰は当たり前のことだったから、わざとらしく「自然に優しく」なんてことは言わない。売るも買うも、仕事も遊びも、すべての行為は人と人。面と向かった会話の中から始まっていた。
 ぼくはその何もかもが懐かしい。何もかもが無くなったから、余計にそれが懐かしい。人間が人間らしく生きるために必要なのは、心豊かな環境だろう。その環境が過去には有った。今は…無い。
 せめてこの手に欲しいのは、安らかだった過去を笑って語り合える環境だろう。ぼくはそう思ってこのブログを始める。忘却の中に消えかけている諸々を、一つでも二つでも呼び戻そうと思っている。
(来週より、ほぼ週一を予定しています。お読み頂ければ嬉しいで〜す。) 
                         かねこたかし