『蒸気機関車』

蒸気機関車
 明治五年に新橋で第一声を上げて以来、たゆまぬ努力で走り続けた蒸気機関車。昭和二十一年には五、九五八の車両が日本中で活躍していた。
 蒸気機関車に始めてぼくが乗ったのは信州に疎開した時らしいが、二歳児にはその記憶がない。僅かに憶えているのは、疎開から戻る際の六歳児での乗車。その時は新年度に合わせた帰京者らで超満員。オシッコをしたいのに、トイレまで行き着けそうにない。困り果てた母に、どこかのオジサンが「窓からさせなよ」と言った。「そうだそうだ」と数人の受け渡しで窓まで運ばれたぼくは、その場の人たちに支えられてジョーッとやった。「わっ!」と叫んだ人がいる。窓際に座る後方の客だ。「毒にはならねえ」と誰かが言って周囲が笑った。すっきりしてからは、「チビは上の方がいいだろう」と網棚に乗せられた。これらは母からその後に聞いた話。
 蒸気機関車は、大事に使うと他の鉄道車に比べ、恐ろしく長命なのだとか。JR九州の「8620形」は、大正十一年製造のものが今なお運行を続けていると聞く。
 あの人間臭い頑張り屋が愛おしい。東京─函館間約四時間。「リニアカーなら東京─大阪間が一時間になる」と聞いて、ロマンが砕けて散った。