ナナカマドの仲間たち 2.

2.海から来た男

 おれたちは六年生になった。
 校庭の四月のさくらは三分咲き。間もなく春の風が、花びらを教室の中にも送り込んで来るだろう。
「おはよう!」と、ハッカケが教室のうしろのドアから入って来た。前から来たり、うしろから来たり。廊下側の窓を、わざわざまたいで来ることもある。イメージとしては、そこが荒野の砦なのかも知れない。こういうとき「校長先生には内緒」と断るのだが、そこが幼児的でとてもかわいい。
 教壇に立つと、級長の信之が「起立!」「礼!」「着席!」とやる。ハッカケはこのやり方が好きではない。
「会えばおはよう、こんにちは。別れるときにはサヨウナラ。あいさつは自然の中から出て来るものだ。それを心の触れ合いと言う。号令なんかで強制的にやるもんじゃない」─というのが、ハッカケのそもそもの考え方。ところが、校長先生は忠実一路。何度も「学習指導要領通りに」と注意したあげく、一時期監視に来たりしたから、いまは仕方なく「起立・礼・着席」を信之にやらせている。
「さ〜て、きょうから六年だなあ。源治!」
「はい!」
「うれしいだろう?」
「何が?」
「最上級生だぞ。うまくいけば、学校一のガキ大将だろう」
「ああ…、へへへへ」
「だがしかし、うまくいくかどうかはまだ分からない」
「でも先生、相撲じゃ源治に勝つ子はいませんよ」と里っぺが言った。
「そうかい? まだやってはいないと思うけど」
「いつもやってますよ。さっきも武が投げられました」
「手を抜いただけだ」と武が反論したけど、みんなは「ははは…」と笑い飛ばした。見えすいた負け惜しみだったからだ。
「武じゃないよ。それ以外に、まだ源治と対戦してない子がいると言ったの」とハッカケ。
「そりゃあ、ミッコと里っぺだったら、まだだけどね」
「そうじゃないって。きょうから十六のひとみになるってこと」
「十六のひとみって?」
「おまえたちの目ん玉は全部でいくつ?」
「えっ、転入生?」と信之。
「当ったり〜ぃ」
「へ〜え」
 おれたちは顔を見合わせた。こんないなかの村に転校生。おれたちが入学してから初めてのことだ。よほどのモノ好きがいるもんだ。
 ざわつくおれたちを楽しそうに見回してから、ハッカケは廊下に向かって一声発した。
「ええよーっ」
「はい!」
 元気のよい返事が返ると、廊下側のドアがガラリと開いた。現れたのは、夏でもないのに真っ黒に日焼けしたやつ。黒ベコみたいに光っている。ハッカケが手招きすると、そいつ、ものおじもなく教壇にスタスタ上がった。
「ではね、自己紹介ね」
「はい!」
 黒ベコ野郎はおれらに一礼すると、ニッコリ笑って名乗りを上げた。
「海の男の大島太洋です。よろしく!」
 瞬間、オウム返しの声が飛んだ。
「こっちは山の男だ!」
 源治が名乗り返したのだ。
(山に来て、デカイ顔して「海の男」だと? ふざけんない!)
 たぶん、そんな気持ち。源治以外にも、そうした気持ちを持つ者がいた。バンバンバンと、手のひらで机をたたいたのは武だ。
「こんバカタレが! よろしくって言われたら、よろしくって返しゅもんだわ!」
 ハッカケは怒鳴ったが、目が怒っていなかったから、教室内はドッとわいた。
 大島太洋と名乗ったあいつも、ひとごとみたいに「ははは…」と笑った。それからそいつは教壇を降り、源治の席に向かって歩き出した。
 教室内から笑いが消えた。
(あいつ、やる気だ!)
 おれたちは緊張した。源治も顔をこわばらせ、迎え討とうと立ち上がった。右の肩を突き出して戦闘モードに入っている。
 勉強のリーダーは信之だが、勉学を離れてのリーダーなら源治だ。ハッカケが茶化したように、きょうからは最上級生。(名実ともに全校生二十六名のボス)─と内心ほくそ笑んだばかりなのに、とつぜん、目前に霞がかかって、栄えある地位が薄ぼんやりとしてしまっている。
 黒ベコ野郎は、机一つをはさんで源治の正面に立った。
「何だよ!」と源治がすごんだ。いつになく声が上ずっているのは、相手の力を測りかねているからだ。
 黒ベコ野郎は涼しい顔。ニッコリ笑うと、右手を前に突き出した。源治はとっさに体を引く。
(開戦だ!)─と思ったとき、あいつは明るい声で言った。
「おれ海育ちで、山のことはさっぱりなんだ。いろいろ教えてもらいたいと思ってさあ。なっ、よろしく」
「えっ?」
 源治はめんくらった。一瞬ポカンとしてから、やっと、相手の右手の意味に気づいた。
「ああ、何だ」
 肩の力がすっと抜けたが、こわばった顔の作りまでは、にわかな改修が間に合わない。
「うん、そうだよな。山のことは山のもんでなくちゃ。よし、分かった。山のこと、たっぷり教えてやっからよう」
 精一杯のセリフをはいて、源治は黒ベコ野郎と握手を交わした。
「あっはっはっは…。ええぞ、ええぞ。おもちれえのが入って来たなあ」
 ハッカケが歯のない顔でカッカと笑ったが、おもちれえかおもちろくねえかなんて(まだ分からねえ)とおれは思った。
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 [ここで、ちょっと茶話]
『ナナカマドの仲間たち』の途中ですが、ちょっと茶話を。
 私は只今、『かねこたかしの昭和郷愁かるた』を作っています。それは『ナナカマドの仲間世代』が郷愁と感ずるであろう50項目を絵札にした『かるた』です。幾つかを挙げれば、赤チン、ねんねこ半纏、蠅取りリボン、旅芸人、焚き火、DDT、行水、君の名は、街頭テレビ、ままごと、街頭テレビ、張り板、太陽族…などです。
「そんなかるたをなぜ作るのか」と問われれば、郷愁だからです。
 私たちの子ども時代、テレビはみんなで見るものでした。遊びとは、お手玉、チャンバラ、缶蹴り、ままごと…と、みんなで楽しむものでした。食事とは、一家が揃うものでした。その頃は、売るも買うも仕事も遊びも、すべてのことが人と人。面と向かった会話の中から始まっていました。
 今の時代は個の集合体。一緒に遊ぶ子どもたちさえ、手に掬い取れば、パラパラ零れてしまう砂のよう。そんな〝つなぎの無いソバ状態〟を見るにつけ、私は、あの時代の何もかもが懐かしいのです。
『かねこたかしの昭和郷愁かるた』は、間もなく完成(3月1日発行)します。興味のお有りの方は興味の向かうがままに走って下さいまし。
 郷愁とは、過去の自分に会いに行くこと。郷愁とは、初々しかった過去の目線を取り戻すこと。郷愁とは、心を浮かせる浮き袋。郷愁を語らうことは『回想法』という認知症予防法にも叶うそうですよ。…はい、ちょっと茶話でした。                 かねこたかし