心一つに立ち上がれ!7.

 烏帽子山線の上り車両待ちの女の人が言った。
「この辺におトイレとかは…」
「ああ、便所ね。この駅には無いんだよね」
 茂平さんはそう答えてから、「あらら、もたない感じだなあ」とつぶやいた。
「ねえ、大きい方?」
 こんな聞き方、普通はしない。しかも相手は女の人だ。加えて、都会のセンスが図抜けた感じ。怒り出すかと心配したら、その人、それどころではないみたい。泣き出しそうな顔をして「はい」と小さくうなずいた。
 茂平さんは、自分の言葉を選ばない。思ったことを率直に言う。
「大の方かあ。そこらの草むらってわけにもいかんだろうし、そりゃつらいわねえ」と言ってから、畑越しの家を指差した。
「ほら、あそこ。あれ、あたしんち。行って来る?」
 茂平さんの家は麦畑の向こう側で、直線にすれば50メートルちょっと。道に沿って歩いても70メートルにはならない距離。女の人は、ますます切羽つまっている様子で、声も出せずにうなずいた。
「分かった」と答えた茂平さん。いきなり声を張り上げた。
「おーい! かあちゃーん! 便所、便所! …えっ? …いや、おれじゃなくて、ほら、この人! …そうそう、大きい方! 今行くから、貸してやってくれや! …ええ? …うんうん。そうそう。じゃ頼むな!」
 その声は、静かな田園地帯にとどろき渡った。そろそろ乗客が見え始めた中、「大きい方」だの「貸してやれ」だの、はばかることもない大声。青ざめていた女の人の耳たぶが、もみじ色に染まっている。
 茂平さんはアッケラカンだ。女の人をふり返ると、「じゃ、行っといで。ほら、そっちから降りて線路またいで、あっちへね。あっ、急がんでもええよ。ジージェル、だいぶ遅れるみたいだからね」と送り出した。
「すみません」
 ぎこちなく頭を下げた女の人は、おぼつかない足取りで、教えられた道をソロリソロリと進んで行く。
 乗客が続々ホームに上がって来た。心美ねえちゃんも来た。きょうは診療所の往診日。赤イボ先生のお伴である。
「茂平おじさん、おはようございます」
「おう、心美ちゃん、おはよう」
「あのお客さん、おトイレ?」
「うん。ほら、早歩きができないくらい弱っているだろう」
「かわいそう。駅にもトイレがあったらいいのにね」
「今更どうにもならんなあ。廃線が決まっているんだから」
 診療所の赤イボ先生は82歳。おでこに赤いイボがある。髪は真っ白で、アインシュタインをもっと老化させた感じだから、白衣を脱いだら、医者と患者の見わけがつかない。
「辞めたいのに代わりがおらん」と、これが赤イボ先生の十年来の口ぐせだ。運転は危ないからと、80歳で免許を返上した。遠出の往診にはディーゼルを利用している。
「みなさん、お早うございます」と、破暮高校の校長先生もやって来た。この人、生徒たちから「ロハ先生」と呼ばれている。その理由をぼくは知らない。
 烏帽子山線を利用している高校は、沿線に三つある。その一つが破暮高校。人口たったの600人という集落に高校があることをふしぎがる人もいるけれど、それこそが、むかし栄えた証しである。
 破暮の人たちは、ほとんどがこの学校の卒業生だ。古くは一心じいちゃん。新しくは心美ねえちゃん。ロハ校長先生自身もこの学校の卒業生で、教員試験に合格してからというもの、そのほとんどをふるさとの教壇で過ごしている。
 お坊さんが来た。この人は久永寺の三代目住職さんで、まだ30歳。破暮高校からお坊さんの大学に行き、そのあと三年間ほど料亭の板前さんをやったという変わり種。住職さんのお父さんもおじいさんも現役のお坊さん。みんな元気バリバリで、法事があると〝だんご三兄弟〟みたいに三人連なって出かけて行く。
 破暮の人たちは、どこかちょっと変わった人が多いけど、ちょっとじゃない人もいる。
「老いたまぶたの その奥に
 命の綱の ディーゼル
 若草分けて やって来た
 ああその雄姿の 薄れゆく
 行っちゃいやいや 行かないで
 破暮を捨てて 行かないで
 あなた恋しや 切なさや
 会いに来たんよ きょうもまた」
 わけの分からない歌詞を口ずさみながら、ひょこひょこホームに上がって来たのは、作詞家の門左さん。
「門左」というのは愛称で、近松門左衛門という名前から、真ん中の二字を抜き取ったもの。近松門左衛門は江戸時代の『人形浄瑠璃』の作者だが、この人が書くセリフはどれも七五調。門左さんが書く歌詞も、その多くが七五調。そこから「門左」という愛称が生まれたらしい。