心一つに立ち上がれ!6

 夕飯のとき、お母さんが笑いながらお父さんに言った。
「きょう、うちのぶどう畑でね、心之助が一心じいちゃんを見たって、真っ青な顔して逃げ帰って来たのよ」
「おやじを?」
「そうなの。その人、きのう供えたワインを飲んでいたんですって。昼間からユウレイだなんて、何寝ぼけてるのって言ってやったら、『ほんとうだよ』と言い張ってね。あまり言うから夕方チラリとのぞきに行ったら、ワイン、ちゃんとあるじゃない。これって、早くも夏休みボケかしらね」
 お母さんは笑いながらの報告だ。
 お父さんが言った。
「あそこは、傾斜度、日光の向き、高度、おやじが選びに選び抜いて作ったぶどう畑だし、自分の碑もある。おまけに心之助は、将来のワイナリーの三代目だ。そんなことから、じいちゃんの霊が強く出たのかも知れんなあ」
「えっ、あなた、まさかユウレイ話を信じたわけ?」
「可能性までは捨て切れないということだ」
「だって、ユウレイが飲んだって言うワイン、わたしが見に行ったら、ちゃんと封がされたままあったんですよ」
「ユウレイなんだから、飲んでも減るわけないだろう」
「ああ、そりゃまあ、ユウレイだったらそうでしょうけど…」
 一心じいちゃんが作り上げたワイナリーは、現在お父さんが社長をしている。そのあとを継ぐのがぼくだと、一心じいちゃんはそう言っていたし、お父さんもそう思っている。ぼくにはまだピンと来ない話だけどね。第一、社長とか言ったって、専務がお母さんで、従業員は破暮の人たち八人だけ。あとは、必要に応じて季節のパートを近所の人たちにお願いしている。
 そんなちっぽけなワイナリーだけど、品質はどこにも負けない。規模を広げないのは、じいちゃんの経営方針だった。「目の行き届く数しかつくらない。それが良いワインを生み出すコツ」─というのがじいちゃんの一貫した考えで、お父さんもその方針を受け継いでいる。だから、『一心ワイン』はこれ以上大きくはならない。大手のデパートが「当店で販売させて欲しい」と何度も言って来たが、じいちゃんは「独占はダメ」と首を縦に振らなかったし、お父さんもOKを出すつもりがない。
 そんなわけで、とても小さなワイナリーだけど、それでも今の破暮地区では一番大きな企業である。新たな企業も生まれない。そんなあたりにも飛べないドードーの影がチラつき、絶滅感は深まるばかりだ。

 ぶどう畑でユウレイを見たつぎの日、ぼくは改めて〝烏帽子山線のあるふる里〟を絵に残そうと、画板を下げて家を出た。向かったのは、ぶどう畑ではなく破暮駅。ホームからディーゼル気動車を迎える構図に切り替えたのだ。
 駅舎の前で声がかかった。
「よう人間村宝、どこさ行くだい?」
 近くの農家の茂平さんだ。
「どこも行かない。ホームで絵を描こうと思ってさあ」
「ほ〜う、駅の絵かい。ジージェルも入れ込むんかい?」
「うん。ディーゼルが、ホームに向かって来る絵にしようかと思って」
「そりゃあいい。今描かないと、ジージェル、無くなっちゃうからなあ。けど少し待つことになるぞ」
「えっ、ディーゼルに何かあったの?」
「うん。ジージェル、遅れるよ。三つ前の駅のあたりで、牛舎から逃げ出した牛と衝突しちゃったんだってさ」
「へーえ。どのくらい遅れるの?」
「五十分ってとこかな。まだハッキリしないけどね」
 破暮駅は駅員のいない無人駅だから、鉄道で何かが起きても、指令室からの情報をホームのお客に伝えられない。そこで鉄道は、無人駅の近くに住む人に「緊急時特別連絡員」の役目をお願いしている。破暮駅でその役を引き受けているが茂平さんだ。
「通常ならあと十分ちょっとで来るとこだが、この様子だと、あと一時間は待つかもなあ」
「一時間かあ」
「出直すかい?」
「待つことにする。構図を決めて、周囲のデッサンから始めればいいから」
「そうかい。もうすぐ、知った人らも来るだろうしな」
 ホームに上がると、すでに先客が1人いた。見覚えのない女の人。たぶん破暮の人ではないと思う。
茂平さんが声をかけた。
「あーもし、あたしねえ、この駅の緊急時連絡員なんだけど、あんた、十時十五分発のジージェル待ちかね?」
「ええ、そうですけど?」
「だったら、三つ前の駅近くの踏切で牛にぶつかってね、うん、牛身事故ね。まだ停まったままで、小一時間は遅れそうだね」
 うちのお母さんよりだいぶ年上らしいその人は、「え〜、そんなに」と言って、身を不規則にくねらせた。そして「あの〜う」と言った。顔も何だかゆがんでいる。
「何かね?」と茂平さん。