心一つに立ち上がれ!5.

 夏休みの初日。ぼくは画板を下げて亀の子山を登った。亀の子山の南斜面には、じいちゃんがよいワインをつくるために丹精込めて育てあげた黒ぶどうの畑がある。そこからは広大な盆地が眼下に見渡せる。ぼくはこの眺めが大好きだ。「一級の詩人なら、一級の詩が生み出せる眺めだ」と、ぼくは思っている。
 盆地を上下に切り分けるように、ディーゼル鉄道『烏帽子山線』の線路が通っている。
 無人駅の駅舎も見える。地区の玄関口『破暮駅』だ。廃線になれば、線路も駅舎も消えてしまう。それは悲しい。ぼくがきょう画板を下げてここに来たのは、「烏帽子山線のあるふる里の風景」を絵に描き残したいと考えたからだ。
 北海道の富良野を走るディーゼル車は有名だが、烏帽子山線も負けてはいない。春夏秋冬、四季のどんな彩の中にあっても、季節ごとの舞台に見合う名優ぶりを発揮して、慌てず騒がず、コトリ、コトコトとやって来る。魅力の一つは電線が無いこと。素朴だし、のどかだし、優しさにあふれていて(ああ、何て絵になる風景なんだ)と、ぼくはズーッとそう思っている。
 日に四往復。午前中二本目の上り便は、破暮駅着十時十四分だ。その車両をしっかり目に焼き付けて、画用紙の中に落とし込むつもりでいる。
(さて、描く構図だが、どのポジションがいいだろう?)
 周囲を見回すぼくの目に、チラリと映った白いもの。(何だろう?)と目を凝らす。
 それは着物だった。だれかがいる。
(うちの畑に、だれだろう?)
 着物も白いが、それを着ている人の頭も白い。かなりの年寄り。女ではない。男のようだ。
 その男は、一心じいちゃんの石碑にペタンとお尻を乗せている。
 石碑は生前の一心じいちゃんが、「アチが死んだら、骨の半分は、こっちに納めてくれや」と言って、自分で石屋さんに造らせたものだ。星家代々のお墓は久永寺にある。もしものことがあれば、一心じいちゃんもそこで眠ることになっている。だけどじいちゃんは、それでは不満だった。久永寺のお墓からでは烏帽子山線を見ることができないからだ。そこで、ぶどう畑に石碑を立てた。骨の半分をそこに納めてもらうことで、烏帽子山線を見守り続けたいと願ってのこと。烏帽子山線への、じいちゃんの思い入れの深さが知れる。
「ぶどう畑に石碑を立てる」と聞いたとき、お父さんは「生きているのに、今から墓だなんて縁起でもない」と反対した。でも、じいちゃんは押し切った。じいちゃんが亡くなったのは、それから半年もしないうちだったので、お父さんは、「あんなもの、体を張ってでも立てさせるんじゃなかった」と悔しがった。「虫の知らせだったのかしら」とお母さんも肩を落とした。
 その石碑の台座に、白い着物男がお尻を乗せている。一週間前、久永寺のお坊さんに来てもらい、分骨の儀をすませたばかりの石碑というのに─。
「じいちゃんにケツなんか乗せやがって」
 ぼくはぶどう棚から顔だけ出して、着物男をにらみつけた。着ているものは白いペラペラ、それ一枚。帯の代わりは、細くて白いヒモ一本。ゲタもゾウリも見当たらない。裸足で来たみたい…。
(病院を抜け出して来たのかなあ?)
 男が何かを手にしている。『一心ワイン』の小ビンのようだ。一心じいちゃんが、長年研究に研究を重ね、ようやく生み出した自慢の銘酒。男が手にしているのは、きのうわが家で供えたものらしい。
 男はそれを口に運んだ。ゴクリとやる。いかにもうまそう。
(あいつめ、じいちゃんに供えたワインを!)
 がまんできない。ぼくはぶどうの陰から体を出した。
 着物男は、まだぼくに気づいていない。絶景盆地を見渡しながら、また、ワインをゴクリとやった。ひとりごとが聞こえる。
「やっぱり、ワインはこれだなあ」
 一心じいちゃんのワインをほめるのはよろしい。だけど、無断で飲むのはよろしくない。ぼくはゆっくりと男に近づいて行った。
 近づくほどに顔の青さが目に迫る。死人みたいで薄気味悪い。冷たい汗が背中に噴き出す。
 ぼくは勇気を出して声をかけた。
「あのねえ」
「うん?」
 返事はしたけど、顔は盆地を眺めたままだ。
(失礼なやつだ)
「あのですねえ…」
「どうしたい?」
「それ、うちのワインなんですけど」
「うん。うちのワインだ」
 着物男は景色を見ながら、たまワインの小ビンを口に運んだ。
「だから、そのワインは、うちのだと言ってるんです」
「うん、うちのだ」
「そっちのうちのじゃなくて、こっちのうちのだよ。うちのじいちゃんに供えたもんなんだから」
「そうね」
「そうねって!」
「うんうん。ありがとね」
 白い着物男は、ここで初めてぼくを見た。そして、青白い顔でニィ〜ッと笑った。
「わっ、わっ、わぁーっ!」
 驚いたの何のって、その顔、死んだ一心じいちゃんそっくりじゃないか!
「わわわわーっ!」と叫びながら、ぼくは亀の子山の坂道を、転げるように逃げ帰った。