心一つに立ち上がれ!8.

 破暮駅のホームがにぎやかになった。小さな地区だから、駅の利用客同士はみな顔なじみだ。会えば、だれかれとなく話が始まる。
「この駅舎のある風景も、あと半年ってとこだねえ」と赤イボ先生がしみじみ言えば、校長先生がそれを受ける。
「一心さんが亡くなるのを、待っていたかのような廃線ですもの、人の世の無情を見せつけられた思いですよね」
「生者必滅、会者定離。この世に、永久不滅は無いということです」と、久永寺三代目の住職さんも話に加わる。
「あんた若いのに、えらいなあ。さすが坊さんだ」と言ったのは赤イボ先生。
廃線の決定はついこの間のことなのに、それをそこまで達観できる。わしなんか未練タラタラだよ。80歳で運転免許を返上しちゃったから、廃線となれば往診も、よう出来ん。患者も通っては来られんだろうし、廃線とともに診療所も廃業だわね」と、お得意のボヤきが飛び出した。
「あっ、すいません。赤イボ先生のお立場も考えず、失礼なことを言ってしまいました」
「いやいや、いいのいいの。生者必滅、会者定離は、全生命体の定めだからねえ」
「あらっ?」と、心美ねえちゃんが茂平さんを見て言った。
「茂平おじさんがここにいるということは、何か緊急なことでも?」
「そうなんだよ、心美ちゃん。今、それを言おうとしていたとこなの」
「何があったんですか?」
 全員の目が茂平さんに集まった。
「弱りましたぞ、みなさん。ジージェルがね、牛に…いや、牛がジージェルにぶちかましたとかで、今止まっているのね。復旧には、早くて小一時間かかるそうですよ」
「おお小一時間 時は金なり 時計は進む 進んじゃいやいや 未練のホーム」
 さっきの歌もそうだけど、この口調が七五調。ロハ校長先生は、門左さんのこの言い方が気に入っていない。
「あなたが作詞家ってことは、地区のだれでも知ってますよ。だからって、何でもかんでも七五調でしゃべるの、どうにかなりません?」
「歩むひとすじ 道一本 雨が降ろうと ブタが降ろうと どうにも止まらない」
「ブタなんか降りませんよ」
 心美ねえちゃんは、こんな二人を相手にしない。
「赤イボ先生、どうします? きょうの往診?」
「きょうはだれだったかな?」
「柿の木坂のタミさん、横辻まがりのゼンさん、それに庄屋の金倉さんです」
「ああ、三人とも見込みが薄いな。きょうは帰るか」
「ちょっと先生。行って上げて下さいよ」と言ったのは住職さんだ。病気のうちは医者の客だが、死んでしまえば寺の客─とは決して考えない確かな眼差し。
「あっはっはっは、冗談、冗談。小一時間なら待つとするさ」
「破暮の人たちって、飛べないドードーみたいね」と心美ねえちゃんは嘆いていたが、このメンバーには、まだ冗談のセンスが残っている。少しの希望はあるみたい。
「校長先生は、時間、大丈夫なんですか?」と茂平さんが聞いた。
「臨時の校長会なんですがね、交通機関が止まったのでは、遅刻も仕方がないでしょう」
「方丈さんは?」
 方丈というのは、お寺の住職さんの呼び名の一つだ。
「わたしの料理教室は午後からなので、時間には余裕があります」
「料理教室って、住職さん、お料理習ってらっしゃるんですか?」と心美ねえちゃんが聞いた。 
「うん。このあたりは、過疎化が進む一方だからね。葬儀も法事も減るばかり。お弔いを願っているわけではないけれど、ディーゼルまで廃線となると、じっとしてたら倒産だよね。この際、うまい精進料理の腕でもみがいて、遠方からの座禅客でも呼び込もうと思ってね」
「へーえ、お寺さんも大変なんですね」
「都会では敷地内で幼稚園や保育園の経営という手もあるようだけど、ここには幼児も妊婦さんもいないからね」
「でもあなた、お坊さんの学校を出てからしばらく、料亭の板前やっていたそうじゃありませんか。何でそっちに曲がっちゃったか知りませんが、いまさら習わなくても、精進料理ぐらいできるでしょうに」と、ロハ校長先生が嫌みっぽい言い方をした。
「それが、三年いた料亭で、教わったのは大根のかつらむきだけでして…」
「えっ、三年もいて、大根の皮むいただけ? 三年と言ったらあなた、高校生活のすべてと同じですよ。非効率もはなはだしい」
「いやいや、それが日本料理の深みじゃろう。食うだけならブタと同じだ。皮のむきぐあい一つに、ブタでは解らん味の秘密がかくされている…とね」
「はい。赤イボ先生のおっしゃる通りのようですよ。口には出しませんが、親方の背中がそう言っているみたいでした」
「みたいでしたって、それだけのことで、きみは三年間も大根の皮をむき続けたわけ? 僧侶の修行も放ったまま、ブタと競争してたってわけ?」
 ヒマだから、ロハ先生の嫌味がねちねちしている。そのねちっこい嫌味を、涼しい顔でおちょくるのは茂平さんだ。
「ものは試しと言うでしょう。校長先生も百姓見習いで、あたしんとこへ来てみます? 最初の三年は、肥やしの担ぎ方とまき方教えますけど」
「くさっ!」と校長先生は鼻をつまんだ。