お帰りなさい!巨人軍!

 あまりに下らん番組ばかりのテレビに、腹立てながらチャンネルをバシバシ替えていたら、どこかのBSで巨人の試合をやっていた。勝っている。ここ2〜3年、強い巨人の兆しを感じる。とてもめでたいことだと思う。だって、ひところの巨人ファンは皆しょぼくれてしまい、おちょくっても反応しないのでつまらなかったもの。
 常勝時代は面白かった。視聴率30%も稀ではない頃、巨人をおちょくると、タクシーの運転手も飲み屋のおやじも、客に歯向かえないものだからストレスを溜め、胃をキリキリさせているのが手に取るようで楽しかった。それが久しく落ち込んでしまい、晩秋のキリギリスを見るようで切なかった。 
 でも復活の兆し。お帰りなさい! 巨人軍! 万歳! ワタナベさん!
 かく言う僕。小学〜高校時代は超ド級の巨人ファンだった。当時(昭和三十年=中学一年)の選手の守備位置背番号のほとんどは、今でも諳んじる。試しに口ずさんでみると…。1番は外野南村、2番は遊撃広岡、3番二塁千葉、4は欠番、5番外野岩本、6番捕手広田、7番外野与那嶺、8番遊撃平井、9番捕手藤尾、10番投手堀内(庄)、以下守備位置は略。11別所、12添島、13なし、14欠番、15岩下、16川上、17藤本、18中尾、19?(のち坂崎)、20大友、21入谷、22加倉井、23柏枝、24樋笠、25笠原、26青木、27森、28内藤、29松田、30水原監督、(以下略)
 それほどまでに巨人を愛したのは、川崎球場での大洋戦を観戦したことに始まる。その日、関係者通用口から出て来た南村選手が、僕の頭に手を置いて、こう言った。
「坊、また来いよな」
 それだけの一言が僕の臍下丹田にビビッと来て、目からピンクのハートがひらひら舞い出た。そして、地元に近いという理由で応援していた大洋を袖にし、僕は圧倒的な巨人ファンとなった。
 当時の好きな選手は、一に当然南村、二に川上、三に森。川上は四番バッターだし、僕と同じ左打者。守備位置も同じファーストという理由。では、当時はまだ二軍で、公式戦への出場記録のない森をどうして三位にランクしたのか? それは以下のような理由による。
当時の巨人二軍練習場は多摩川べりにあり、そこに行けば、将来のスターを見ることが出来た。あるとき、背番号27のキャッチャーが、恐ろしく大きな投手の球を受けていた。今だから「恐ろしく大きな…」と、平易な表現で片づけているが、いやまず初めて見たときはブッタマゲタ。「世の中にこんなでかい人間が!」と目ん玉が飛び出る思いだった。大男の背番号は59。彼が振りかぶってのオーバースローは、打者からすると「球が飛んで来る」のではなく「球が落ちて来る」だったろう。
 それだけでも充分恐ろしいのに、輪をかけて恐ろしいのは、どこに落ちて来るが解らない超ノーコン。十球投げたら八球ボール。キャッチャーは曲芸のアザラシみたいに飛びあがったり、土をかっぽじる球にカエルのように飛びついたり。新種のスポーツ開発チームを見ているようだった。とにかく捕手の献身さがいじらしい。僕は、それっぽっちのことでそのキャッチャーが好きになった。それが森捕手だ。
 やがてノッポのノーコン投手馬場正平は野球に見切りをつけ、力道山の門を叩いた。ジャイアント馬場の誕生である。一方の森は一軍に昇格した。
 昭和三十五年三月十九日の巨人−西鉄定期戦(オープン戦)は、僕が森捕手を試合として観る最初のゲームとなった。その日の日記には、当日の内野席券の半券(200円)と翌朝の新聞切り抜きが挟んである。そして、大満足だった僕の気持が綴られている。それによると、3対3で迎えた九回の裏の攻撃は巨人。ツーアウトでランナーは二塁に王貞治。バッターは森。大方が延長戦を覚悟していたこの打席で、八番森は何とレフトオーバーの大二塁打をかっ飛ばしたのだ。王が生還してサヨナラ勝ち。森はこのあと、V9戦士に名を連ね、西武ライオンズでは常勝監督として〝知将〟の名を欲しいままにする。
 僕が巨人から足を洗ったのは、川上監督率いるV9戦士が、V9ロードの驀進中だ。金持ちの醜さがチラつき出したことが離縁の理由。
 それは昭和四十年の東映吉田勝豊獲りから始まった。同年近鉄からは関根潤三、四十一年西鉄から田中久寿男、四十二年西鉄から高倉照幸、同年広島から森永勝也、以下張本、シピン、落合、石井、ペタジーニ、江藤、小久保、清原、ローズ、谷、小笠原、ラミレス…。投手についても、あの大投手金田正一ヒルマン、川口、工藤、クルーン、グライシンガー、豊田、門倉、野口…。昭和五十三年のドラフトにからむ空白の一日事件の江川獲りは、僕に栄えある「アンチ巨人」の称号を与えて呉れた。実質的オーナーが正義の味方の大新聞の経営者で、カネを出すだけ口を出すのも、見ていて楽しく映ったものだ。
 その巨人がいくら大選手を引っ張って来ても、成績は上がらない。ファンからも見放され、テレビも見放し、これではあんまり気の毒だから、僕も「アンチ巨人」の称号をひとまず押し入れに仕舞った。
 ところが、帰って来たんです、強い巨人が! 阿部、長野、坂本、高橋、矢野、松本、内海、澤村、菅野…。自前で闘い始めたではないですか! これでいいのだ。押し入れから「アンチ巨人」の称号が引っ張り出せる。これって、変種の巨人ファンってことかしら? 取り敢えずはメデタイ…と言っておこう。