『アイスキャンディー』

『アイスキャンディー』
 夏になると、自転車の荷台に水色の箱を乗せ、「アイスキャンディー」と染め抜かれた幟をヒラつかせて、麦わら帽子のおじさんがやって来る。チリンチリンと鳴らすのは、学校の小使いさんから借りて来たような鐘。いつも、茹だるような暑さの昼下がりに登場する。貧乏な親泣かせの時間帯だ。
 極めて時々、母は「買っていらっしゃい」と五円玉をくれた。小学二年の頃は一本二円五十銭。兄の分と合わせて二本買えたが、母の分は買えない。アイスキャンディーに限らず、母はいつでも「わたしの分はいいからね」と言った。アンパンもおまんじゅうも「いい」と言う。個々に分けられたおかずに対しても、「わたしは、もういっぱいだから…」とよく分けてくれた。「大人って、あんまり食べないんだなあ」と、ぼくはいつでもそう思っていた。〝銭〟という単位の小銭が、昭和二十九年一月から使用禁止されることが事前告知されると、多分それが引き金となって、アイスキャンディーは一本五円に値上げされた。そして、ぼくたち兄弟の口からアイスキャンディーはいよいよ遠ざかったが、母の口からは、ずっと以前から諸々が遠ざかっていたことを、ぼくは悟るに疎かった。