『小さなうそ』その6

 九月二十六日金曜日。
 夏休みの作品展。全校生徒の工作と絵が講堂いっぱいに展示された。最優秀賞には金色のリボン、優秀賞には銀色のリボン、努力賞には赤いリボンがつけられている。
 純一は講堂に入ると真っ先にあの絵をさがした。絵はすぐに見つかった。だが(えーっ、うそーっ!)
 その絵に、まさかの問題があったのだ。純一はうろたえた。思いもしない事態が起こっていた。
「すげーっ! おまえ、また金賞じゃん」と、肩を叩いてきたのは山田だった。
「ちょっと、おまえの絵とちがうみたい」と言ったのは、一年からずっと同じクラスの久保だった。
「おまえの絵って、絵の具をたっぷりつけて描く絵だろう? でもあの絵、何かちょっとちがうんだよなあ。犬の絵だからか? まあ、うまいやつが描いた絵は、どんな描き方をしても、見る人が見ればうまく見えるってことかなあ」
 久保は太い筆づかいでグイグイ描く絵の方が好きらしい。純一も同じだった。絵の実力も正直な話、友美より上だと思っていた。友美の絵が賞を取るなど考えもしないことだった。賞は無理だと思うから、こんなカラクリがやれたのだ。友美を勇気づけるため…。いや、本心をさらけ出せば、二人だけの秘密が欲しいという純一自身のためである。賞などいらないものだった。
(どうしよう! いまさら合作でした─なんて言えやしないよ)
 金色のリボンのついた絵を見上げる純一の心に、じんわり重さが加わり始めた。
「柴山君。…ねえ、柴山君」
 ふり返ると、笑顔の景子先生が立っていた。
「すっかり、じぶんの絵に見とれちゃっているんですもの。三回も呼んだのよ」
「すいません」
 景子先生は「ふふっ」とほほ笑み返してから、「良いお知らせがあるの。ちょっと校庭に出ない?」と言った。
 泉川景子先生には、四年生のときから教わっている。やさしいだけでなく、児童それぞれの個性を大切にした教え方が、純一はとても好きだった。
 校庭に出た景子先生は、イチョウの木にもたれかかった。
「今度の絵、とてもすてきね。いつもの強いタッチで押し切るのもいいけれど、あの細かい筆づかいをベースにしたのって、あれもいいと思うな。下地とした色合いも強調せずに生かしていたじゃない。その手法もよかったしね」
 金賞のショックに負けないショックだ。明らかに先生は、ベースとなる友美の絵を評価している。
「いつから、ああいう絵を描き始めたの?」
「あれが初めてです」
「そうなの。だったら、そっちも楽しみね。さて、そこで良いお知らせね。良い絵には良い話が来て当たり前なんだけど、じつはあの絵、区の広報誌の表紙を飾ることになったのよ。さっき区の広報の人が来て、全校生徒の金賞作品の中から、あなたの作品を選んだの。すごいでしょう? ここの区に住む全員が柴山君の作品を見ることになるのよ。何十万という人たちが、あなたの絵を鑑賞することになるってわけ」
 先生はここで一度言葉を切って、純一の顔をのぞき込んだ。
「変ねえ。あまりうれしそうじゃないわねえ。もしかして、照れてる? だったらその必要はないわ。いい絵だから選ばれたんだもの、胸を張っていていいのよ」
 そう言ってから先生は、小さなメモを取り出した。
「広報誌が配られるのは十一月の十日ですって。来月の八日に区の広報の人が絵の写真を撮りに来るわ。そのときあなたにも会って、感想を聞きたいんですって。ほんの一言だから、ものたりないかも知れないけどね」
 最後に先生は「おめでとう」とささやくように言い残し、職員室に戻って行った。

 その日、下校した純一は子ども部屋にこもって考えた。
(景子先生が見抜けなかったのだから、絵が区の広報誌に載っても、第三者から、それが友美の作品だと見破られる心配はまずない。時間が来れば終わってしまうこと。深く考える必要はない)─。金賞受賞は想定外だったが、罪悪感を持つほどのことではないというのが、当初の純一の結論となった。

 翌日の授業前、久保が順一の席にやって来た。
「ねえねえ、あの絵だけどさあ、あれ、ほんとうにおまえが描いたの?」
「どういう意味だよ!」
 純一は、瞬間的に怒鳴っていた。久保はギョッとして純一をまじまじと見た。そして、「あ〜びっくりした。こいつマジだよ」と言い捨てて去った。
 純一は(しまった!)と思った。
(久保は、じょうだんのつもりだったかも知れないんだ。それなのに、おれは…)
 強い否定は肯定の裏返し。火の気のないところに、わざわざ火ダネを投げ込んでしまったのかも…。不自然な怒り方をしてしまったことを悔やんだ。
 純一は、この日一日、久保のことで思い悩んだ。(あいつ、あの絵のことで、ほんとうにおれのことを疑っているのだろうか? おれの不自然な否定が、あいつの疑問を確信に変えたりしなかっただろうか? もし久保がインチキに気づいたとしたら、このままにしていていいのだろうか?)
 純一の心の中で、二人の純一の争いが始まった。
(悩むことなんかあるもんか。だまっていればすむことじゃないか。友美との想い出づくりを、そんなことでつぶしてしまっていいのかい?)─と〝純一A〟が言う。
(合作を自作と偽るのは賞どろぼうだ。そんなインチキが、いい想い出になるはずがないじゃないか)─と言ったのは〝純一B〟。
 すかさず〝純一A〟がまくしたてた。
(いまさら「合作でした」と申し出る方が迷惑なんだ。インチキを見抜けなかった景子先生、インチキ作品を区に提出した学校、区報に載せようとした区の担当者、うそつきの親にされてしまうおまえの両親、そして共犯者にされてしまうのが友美なんだぞ。おまえの一言で、だれもかれもがキズつくんだよ。静かな池に石を投げ、波を立てるようなバカはことはやめるんだな!)─と。
 〝純一B〟も引き下がってはいない。
(告白は一度でいいんだ。たった一人で何十万人にうそをつく。そんな心のキズを一生背負って生きるなんて最悪だ。いまなら引き返せる。勇気を持ってもどるんだ!)─と。
 心の中のAとBは、どこまでも平行線の主張を繰り返した。
 金賞受賞は想定外だったが、当初の純一は、友美の絵を提出したこと自体に、罪悪感と言うほどのものを感じてはいなかった。(二人だけの想い出づくり。だれにも迷惑をかけるようなことではない)と思っていた。ところがAとBの論争が刻々問題を掘り下げて、根の深さをあらわにさせた。結果として純一は混乱し、心の納まりどころを見失ってしまった。(続)