『小さなうそ』その12

 一時間後、純一はお台場にいた。
(やっぱり来ちゃった)
 じぶんのことなのに、そんなふうに思った。
 この日も新都市交通『ゆりかもめ』を利用したが、下車したのは『台場』の一つ先の『船の科学館』。何となく足を伸ばしただけ。科学館に入るつもりはなかった。
 下車後に足を向けたのも、やはり海ぎわ。初代の南極観測船『宗谷』が係留されていた。純一は以前、映画の『南極物語』をビデオで見たことがある。そのときの南極観測船が『宗谷』だ。十五頭のカラフト犬は、この船で南極まで連れて行かれた。連れ出しておきながら、犬たちに帰路は無かった。人間の勝手な都合で置き去りにされたのだ。
 翌年、生き延びていた二頭が次期観測隊員によって発見された。それがタローとジロー。奇跡的な生還に日本中は沸き返った。感動が列島を包む中、残る十三頭は陰に置かれたままだった。
(人間って残酷だよね。タローとジローだけは生きて戻れたけど、でも…あの二頭は兄弟犬だったからだよ。「つらいけどがんばろうよ」と、兄弟で励まし合えたからなんだ。おれはちがう。おれは…ひとりぼっちなんだよ)
 林を抜けると大きな広場に出た。三日前に『台場』方面から訪れた潮風公園。きょうは『船の科学館』方面からの訪問だ。
 休日の公園は、にぎわっていた。バーベキュー場では、いくつものグループがけむりを囲んで楽しんでいる。サッカーに興じている子どもたちもいる。年齢的には、純一と同じ程度と思える子たちだ。
 海ぎわに噴水が見えた。幼い子たちが噴水の水を受けてはしゃいでいる。そして、その噴水の前には…。
(あっ、キャンパス!)
 純一は家を出るときから、ほんとうはこの出会いを予想していた。そうなりたいと願ってもいた。
 純一は、ぐうぜん出会ったとでも言いたいふうに、わざとゆっくり、おじいさんに近づいて行った。
「おう、来たな」
 筆を止めて、おじいさんは純一を迎えた。こちらも(予想通り)といった顔だ。
「待っていたよ。きみが絵を愛しているのなら、必ず来ると思ってね」
 おじいさんの絵は、すでに彩色に入っていた。海をバックにした噴水広場の絵だ。噴水のしぶきに手をかかげる幼児。少し離れたところから、それを見守る白い日傘のお母さん。
 実際の噴水広場には、何人もの幼児が遊んでいる。何人もの父母らしき人たちもいる。だけど、白い日傘のお母さんは見当たらない。
「画面にある日傘のお母さんは想像ですか?」
「いや、きのうはいたんだ。この絵は、きのうときょうの合作だよ」
「へ〜え、そういう合作もあるんだ」
「風景画に想像を加えるのは、あまり感心しない。しかし、事実に基づく記憶なら、それも事実なのだからよい。この絵の主役は、すでにデッサンに載せてあったきのうの記憶だよ。幼児のいっしゅんの動作が記憶のカメラに納まっている。それを、きょうの場に合わせて、この絵の中に落とし込んでいるってわけさ」
「そこがプロなんですね」
「きみもプロを目指しているんだろう?」
 純一は、力なく首を横にふった。
「ぼくは画家にはなりません」
 おじいさんは「そうか」と言った。それから筆を置くと、「ちょっと休憩だな」と言った。
「そこのベンチにかけよう」
 おじいさんは会話を求めているのかも知れない。
 純一は、少しためらった。最近の純一に会話らしい会話はない。ほんとうは(だれかとしゃべりたいんだよ!)と、心の中ではそう叫んでいる。だけど周囲のだれもが妖怪に見えてしまい、その結果、隠れるように逃げ出しまっていた。
 ところが、このおじいさんは、ほかの人たちとはどこかがちがう。このおじいさんのそばにいると、心の氷が解け出すような気がするのだ。
 純一はベンチにかけた。
 おじいさんは、海の向こうの遠い雲を見ながら言った。
「どうして画家にはならないんだ?」
「どうしても」
「どうしても…かあ」
「じゃあ、おじいさんは、どうして画家になったの?」
「悲しいからだよ」
「悲しいから?」
 意外な答えだった。
「どうして?」
「悲しいことは、この世の中にゴマンとある。あるだろう? たぶんきみにも…な。わしは両親を戦争で亡くした。父親は南の島で戦死だった。そのころ東京にも爆弾がたくさん落とされたんだ。焼夷弾というやつさ。あるときの空襲で、わしは母親に手を引かれ多摩川に逃げた」
多摩川ですか?」
「そう。わしの近所では、空襲に遭ったら『山へ逃げる派』と『川へ逃げる派』に別れていた。山というのは池上本門寺。川は多摩川で、わしの母親は川を選んだ。ところがアメリカの爆撃機B29というやつは、その両方を襲ったんだよ。山派は、多くの人が樹木の陰で難を逃れた。見通しのよい川派は、焼夷弾をまともに受けた。土手に転んだわしを助けようと、母はわしの上に覆いかぶさった。わしは母に助けられたが、母はわしの身代わりとなって天国へ行ってしまった」
「…」
「孤児となったわしは、孤児院に入れられた。そこには、わしと同じような境遇の子がたくさんいたなあ。真田晴彦。そこで知り合った親友だよ。真田は病弱だった。彼は日に日に細っていった。真田は絵が好きだった。毎日、紙があれば紙に、紙がなければクギで地面に、飽きることなく絵を描いていた。やがて入院したまま、とうとう戻っては来なかった。入院前のある日、わしは聞いたんだ。何で絵ばかり描いているのかって。真田は答えた。悲しいからだよって。そうだったのかと、わしは気づいた。いつも悲しげだった真田の顔が、絵を描いているときだけ、なぜか、そのときだけ、微笑んでいるように見えたんだよ。なるほど─と思ったな。どんなつらさや悲しみも、芸術にはかなわないんだなあってね。真田は、それを態度で教えてくれた。芸術に打ち込んでいれば、いつだって心が安らぐものだということをね。だから、わしも絵を描くことにした。だから、わしは画家になったんだよ」
 純一の心がふるえた。
(そう言えば、同じようなことを景子先生も言っていた。どんなに悲しいことがあっても、芸術はタフだから、きっと安らぎをもたらしてくれるって)
(続)