『小さなうそ』その14

「友美、日本からお手紙よ」
 お母さんが一通の手紙を持って、友美の部屋にやって来た。
「だれから?」
「河原崎さんって書いてあるけど」
「河原崎さん?」
 友美は手紙を受け取って、差出人の名前を見た。
「ああ、ゆきえさんかあ。ほら、矢口町小学校で同じクラスだった子よ」
 すぐにピンと来なかったのは、おとなしくて目立たない子だったからだ。好感は持てたが、特別親しい間柄というわけではなかった。
「河原崎さんがわたしに何かしら?」
 首をひねりながらペーパーナイフで封を切った。
『いきなりですみません。どうしてもお知らせしたいことがあって手紙を書きました。いま柴山君が大変なんです。助けてあげて下さい。助けられるのは水之江さんだけです。よくないことですが、柴山君が水之江さんにあてて書いた手紙、出すのをやめて破り捨てたのを、わたし、忘れ物を取りに戻った教室で、ゴミ箱から拾って読んでしまいました。このままだと、水之江さんが描いた絵のことで、柴山君、どうなってしまうかわかりません。クラスの子たちは、わけがわからないまま柴山君のことをじゃま者みたいに見ていますし、石黒先生は柴山君に「びんぼう神」なんて言ったりしています。柴山君がビリビリに破いた手紙、拾い集めて元通りに張り合わせました。これを読んで、柴山君を助けて上げて下さい。ぜひ、よい知恵を出してあげて下さい。お願いします。矢口町小学校六年二組。河原崎ゆきえ』
 封筒には、無数に破かれた紙片をたんねんに張り合わせた、もう一通の手紙が入っていた。見おぼえのある純一の字だった。
『水之江友美さま。言葉のちがう国へ行って元気にやっていますか。ぼくは、あまり元気ではありません。ほんとうは、とても困っています。覚えていますか、夏休みの宿題の絵のことを。ぼくは水之江さんの絵にぼくの名前を書いて、あのときの約束通り、夏休みの宿題にしました。水之江さんの絵をクラスのみんなが見れば、遠い国にいる水之江さんのさびしさが、少しはなくなるだろうと思って、ほんとうに出したんです。ところが、それが金賞になってしまったんです。「なってしまった」なんて書いてごめん。水之江さんの絵がうまかったからです。でも、悪いけどぼくは困りました。そして、もっと困ることが起きたのです。その絵が区の広報誌に載ることになったんです。もちろん、ぼくの名前で載るんです。ぼくはたった一人で何十万人の人にうそをつくことになったんです。「あれはおれが描いた絵じゃない」と、何度も言おうとしたのですが、言えませんでした。十一月には広報誌が配られます。あの小さなうそが、でっかいうそに化けるんです。ぶくぶくふくれた〝うそおばけ〟が、おれに襲いかかって来るんです。おれ、ほんとうに困っています。みんなの目がこわいんです。だけどこんなこと、父や母にも話せない。話せるの、水之江さんだけなんです。水之江さんなら、こんなときどうしますか。教えて下さい。水之江さんの考えを。お願いします。柴山純一』

 三日間の休みが明けて、登校日の朝が来た。まくら元の目覚まし時計が、「ピッピッピー、ジカンデスヨー。ピッピッピー、ジカンデスヨー」と、かわいくない機械音で起床時間を告げている。
 純一はベッドから手を伸ばし、目覚まし時計の音を止めた。 
(さあ、起きよう)と手をついたが、うでに力が入らない。
(どうしたんだ?)
 体がだるい。頭も重い。純一は、しばらくベッドに体をあずけた。
 トントンと、ノックが聞こえた。「あしたは学校に行く」と告げてあったので、お母さんが起こしに来たのだ。
 返事を返すと、お母さんが心配顔で入って来た。
「きのう、行くって言っていたから…」
 お母さんは、純一の心変わりを心配していた。
「いま起きるよ」
 純一は、ふたたび起き上がろうとベッドの上に手をついた。だけど、やはり力が入らない。
「どうかしたの?」と、腰をかがめたお母さんが、「あらっ?」と言った。純一の首すじに光るものがあったのだ。
「それ、汗?」
 お母さんは、純一のひたいに手をやった。
「まあっ、ひどい熱! あっ、起きちゃだめ。寝て。早くベッドに寝て」
「だめだよ」と純一は言った。
「行かなくちゃ。きょうは、行かなくちゃダメなんだよ」
「何言ってるの! この熱ではむりよ。学校には電話を入れるから、さあ、早くベッドに入ってちょうだい」
 この日の登校は、おじいさんとの約束だ。純一は「行く」と言い張ったけど、これにはお母さんがガンとしてゆずらなかった。 

 お母さんから欠席の知らせを受けた石黒先生は、「ああそうですか」と、そっけなく受けて電話を切った。(あいつめ、今度は仮病をつかいやがった)─と、そんなふうに思ったからだ。
「いいか、おまえたちは柴山のまねなんかするんじゃないぞ。家族までごまかすようになったら、人間おしまいだからな」
 生徒たちの心も、日ごとに暗さを増した純一から、すでに離れてしまっていた。
「あいつ、何考えているんだか」
「急だよな。むかしはいいやつだったのに」
「むかしはむかし、いまはいま。学校をすっぽかすようじゃ救えないよ」
「いいじゃない。学校へ来なくても。そのほうがみんなも助かるんじゃない?」
「かもね。けっこう、気を使ったもんね」
「言える、言える」
 同感の笑いが起こる。
 クラスメートたちのこんな会話を耳にしても、石黒先生はいさめなかった。それどころか「びんぼう神だったからなあ。あやうく取りつかれるところだったよ」と、笑いを上乗せするしまつだ。(続)