『アルマイト弁当箱』

アルマイト弁当箱』
 江戸時代まで弁当容器として使われていたのは、曲げ輪っぱとか、竹やイグサを利用した行李などだ。軽くて丈夫なアルミニウムが使われるようになったのは、明治中頃から。更にその後、アルミニウムの表面を酸化アルミニウムの被膜で覆う〝腐食防止技術〟が開発され、アルマイト弁当箱の誕生へと繋がった。
 中学からはぼくも弁当。鞄からアルマイト弁当箱を取り出すと、パッキンなど無い時代だったから、包装の新聞紙は染み出たおかずの汁でベトベト。教科書も数か月でシミだらけ。それでもぼくは、「染み出し弁当」が好きだった。どんな味が染みてるにせよ、味付きごはん(麦めし)を愛していたのだ。
 他人の弁当で涎が出るほど旨そうに見えたのは、土木現場で見たドカ弁。覗けば、大抵がおかかの「猫めし」とか「海苔弁」なのだが、汗まみれのおじさんやおばさんたちが食べる表情の輝かしさ。何と旨そうに見えたことか。
  男に混じって綱を引き 天に向かって声あげて 
   力の限りに唄ってた 母ちゃんの働くとこを見た
 アルマイト弁当箱と聞くと、ぼくは美輪明宏さんの『ヨイトマケの唄』を想い出す。