『真空管ラジオ』

真空管ラジオ』
 家庭の娯楽の主体は真空管ラジオだった。『私は誰でしょう』『とんち教室』『向こう三軒両隣』『二十の扉』『三つの歌』…。
『三つの歌』は、前奏を受けて三曲すべて歌い切れば合格という趣向の聴視者参加番組。ある時、テンポのよい前奏曲を受け、待ってましたとばかりに若い女性が歌い出した。ところが「たんたんタヌキのキ」のところで急停止。そこから先の言葉が出て来ない。正しくは「出て来ない」のではなく「出せない」ことに気づいたのだ。キのあとを続けたら「ンタマは〜、風もないのにブ〜ラブラ」となってしまう。子どもたちの間で流行っていた有名な替え歌が、無防備の状態で飛び出したわけだ。普段笑うことの少ない父までがカッカと笑ったものだから、そっちの方も可笑しくて、ぼくたちは、手の舞い足の踏むところを知らぬほどに笑い転げた。
 民放が誕生する昭和二十六年九月まで、ラジオはNHKの一局体制。『鐘の鳴る丘』『三太物語』『笛吹童子』『紅孔雀』『じろりんたん物語』…と、童心の記憶に残る番組も多い。のちに〝NHK三人娘〟と謳われた黒柳徹子里見京子横山道代は、昭和二十九年の『やん坊にん坊とん坊』がその評判の出発点だった。