『靴磨き少年』

『靴磨き少年』
 東京の国鉄の駅に近いガード下では、戦地で負傷した復員兵(傷痍軍人)が木綿の白衣を着て、ハーモニカやアコーデオンを奏しながら、通行人からの金銭支援を仰いでいる姿がよく見られた。戦争に行ったにしては若過ぎる─と思える人も居たと聞く。
 そのガード下に、靴磨きのおばさんや少年も居た。多くが、戦争で夫を亡くした女性であったり、空襲で両親を失った孤児たちだ。ガード下は雨露凌げる格好の場ではあるけれど、そのくすんだ景色の在りようは、哀れを一層強調させた。
 ぼくは、そんなガード下が苦手だった。おばさんの悲劇にまでは思いが至っていなかったが、自分と同じ年頃のシューシャインボーイを見てしまうと、平常心が乱される。ひどく申し訳ない気分になって、コソコソ逃げ出すしかなかったのだ。
 靴磨きの少年は、戦後の駅周辺に相当数居たと思う。というのも、NHK『紅白歌合戦』の第2回(昭和二十七年)と第3回(同二十八年)では、暁テル子が『東京シューシャインボーイ』を歌っているし、第6回(昭和三十年)では宮城まり子が『ガード下の靴みがき』を歌っている。
 今尚海外の貧困地域では、靴磨きはストリートチルドレンの収入源になっている。