『ニコヨン』

『ニコヨン』
 ニコヨンとは、昭和二十四年の緊急失業対策法施行を受け、東京都が日雇い労働者の最低保障日当を240円(百円札2個と十円札4個)としたところから出た言葉。しばらく日雇い労働者の通称となっていたが、現在は死語になっている。
 日雇い労働者の多くは道路工事などの肉体労働に従事していた。彼らは毎朝六時頃職安(職業安定所)に集まり、そこから現場に派遣された。実働七時間の重労働。肉体的に辛かったが、雨が降って仕事の無い日は、日当も無いから、そっちの方が労働以上に辛かった。最低賃金はその後、昭和二十八年に240円から272円になったが、「ニコヨン」の通称はそのまま暫く続いた。
 当時の工事現場でぼくがよく目にしたのは、基礎工事の〝エンヤコラ〟。カスリの着物にもんぺと地下足袋、頭に手拭い、姉さん被りのおばさんたち。男に混じって、重い槌落としの綱を引く。顔も腕も日焼けで真っ黒。
「おっとちゃんのためならエーンヤコラ、も一つおまけにエーンヤコラ」
 滑稽でも無し、好奇でも無し。どこか悲しいヨイトマケ。日本が高度成長期へと至る底辺を支え続けてくれたのは、このニコヨンと呼ばれた人たちだった。