『サンドイッチマン』

サンドイッチマン
  ♪ロイド眼鏡に燕尾服 泣いたら燕が笑うだろう 涙出たときゃ空を見る…
 昭和二十八年に鶴田浩二が唄ってヒットした『街のサンドイッチマン』。道化の陰に隠されている哀しさが、聴こうとする耳に、ジワリ染み入るような歌だった。それもその筈この曲には、元連合艦隊司令長官高橋三吉大将の子息が、生活苦から銀座でサンドイッチマンをしていたという実話(昭和二十三年)が下敷きとなっていたからである。♪この世は悲哀の海だもの…。♪笑って行こうよ影法師…。
 体の前後を広告看板で挟んだサンドイッチマンは、戦前にも居たが、その名を全国に知らしめたのは銀座のサンドイッチマン(右・子息とは別人)だと言われている。『モダン・タイムス』のチャップリンの扮装でおどけたら、これが想定超えの大当たり。人垣に次ぐ人垣を生み一気に全国版となったそうだ。
 サンドイッチマンの全盛期は昭和二十六〜二十七年頃。三十年代に入ってからも、東京には五百人ほど居たそうだが、広告エリアの拡大化で数を減らし続けている。
 今、猛暑日の街角で『モデルハウス展示中』などの告知を手に佇む人が居る。あれも一種のサンドイッチマンか。何となくだけど、ぼくは尊敬の念を交えて見る。