『量り売り』

『量り売り』
『浪花恋しぐれ』の春団治が「酒や酒や酒買うて来い!」と怒鳴ると、女房は仕方なく信楽焼きの徳利を持ち、酒せいぜい三合ほどを買いに行く。わが家の父は下戸ゆえそんな憂き目と無縁だったが、当時は酒に限らず、味噌、醤油、佃煮、乾物、多くのものが量り売りだった。魚にしても、切り身だろうと一尾だろうと、まずは量って「なんぼ」の世界だった。
 今は何でも数量パック。「塩五十グラム」とか「小麦粉百グラム下さいな」みたいな買い方が出来ない。大量生産大量処理の時代だから、一々量って売っていたのでは、手間が掛かり過ぎるという理由らしい。
 売り手が手間を惜しむのは最もかも知れないが、買い手が見た目ばかりのパッケージを好むのは残念でならない。見た目を支えているのが、多くの場合、「資源の無駄」や「環境破壊」だからである。不愉快なのは目覚ましの電池が一本でいいのに、それが買えない。パソコン・インクが一色だけが欲しいのに、それもダメ。メーカーがバラ買いをさせないのだ。そんなの理に適わない。文明とかいうものは、便利追求の顔をして、昔は有った一途な客向け魂を、パチンパチンと潰していないか?