『越中ふんどし』

越中ふんどし
 猿股が市販されるまで、ふんどしは男の下半身を覆う唯一の下着であった。猿股時代になってからも越中の愛用者は居て、ぼくの仲人もそうだったし、職場の先輩の中にも越中派は何人かいた。扱いは簡単だし、風通しが好く壮快だし、洗濯も簡単だし、何より勇者の風格がある…と愛用者らは思っていたようだ。寒風の庭で冷水摩擦をする人たちを見ることがあったが、彼らは人目を憚らない。むしろ「見て欲しい」みたいな幼児的願望が感じられて可愛かった。大相撲、夏祭り、滝の荒行、寒中水泳…。それらに漂う豪気の魅力を、ふんどし派は愛してやまなかったのだろう。
 小学三年の頃、多摩川での遊泳では、ぼくも市販の黒いふんどしだった。これは、一物を覆う三角の布に紐がついただけという簡素なもの。黒ではなく金色だったら、日劇ミュージックホールから借りて来たと思われそうな代物だった。
 多摩川ではみんなもそれで泳いでいたのに、時の流れは貧乏家族だけを置いてきぼりにしてくれた。五年の時に参加した千葉県岩井の臨海学校では、黒い三角ふんどしがぼく周辺から消えていたのだ。ハゲの校長先生は、黒いつなぎの海水パンツ。世は〝明るいナショナル〟〝カンカン鐘紡〟時代に突入していた。