『学校給食』

『学校給食』
 東京を含む八大都市で小学児童を対象とする完全給食が実施されたのは、昭和二十五年七月。全国にまで拡大されたのは二十七年四月から。「コッペパン脱脂粉乳、おかずとしては鯨肉」というのが、当初のぼくたちの定番だった。
 脱脂粉乳が飲めなくて給食のたびに泣く子がいた。泣くほど辛いものが毎日出るほど辛いことはないだろうと、日々同情しながら、ぼくは自分の分をゴクゴク飲んだ。コッペパンも甘みゼロで全体的に不評だったが、ぼくは重曹たっぷりの甘食よりマシだと思っていた。鯨肉はなかなか噛み切れなくて顎が疲れたが、嫌ではなかった。
 高学年になると、おかずにバリエーションが少し生まれた。カレーが出た日の記憶は一生ものだ。お代わりを五度も繰り返した。ぼくは元来大喰いではないから、多分、あれが自身の生涯大喰い記録になる。
 学校とは有難いもので、チョコレート状にした虫下しが出たこともあった。その名は「アンテルミン」。嫌がる子もいたが、こちらの口にはご馳走だ。旨い上に薬剤としての効果もテキメンで、翌日尻から長〜いやつがムズムズ出て来たのには驚いた。
 ぼくは学校給食に満足していた。今の健康も、幾らかは学校給食のお陰だろう。