『銭湯』

『銭湯』
 三年生の末に引っ越した家からは、徒歩七〜八分内に三軒の銭湯があった。その頃まで、ぼくは母に連れられ女湯を利用していた。体格としてその程度の時代だったのか? はたまた、わが家が世間の常識に疎かったのか?
 当時の入浴料は、大人(中学生以上)十六円、中人(小学生)十二円、小人(未就学乳幼児)六円。女性が髪を洗う場合十円増し。
 銭湯と聞くと、東京育ちの人なら、入口の構えが唐破風の宮型造りをイメージするだろうが、あれは東京近郊だけのもので、他ではそうした造りは殆ど見られない。壁絵にしても、映画や漫画に出て来る絵は富士山ばかりだが、あれも関東中心の絵柄。  
 銭湯の壁絵も富士山の絵柄も、始まりは東京・千代田区の『キカイ湯』。主人が静岡の絵師に頼んで描いて貰った。大正元年のこと。その富士山の画が評判となって、銭湯の壁絵が全国に広まった。『キカイ湯』跡地には、その旨のプレートが掲げてある。
 銭湯のピークは昭和三十年代。東京都の調査資料によると、昭和三十九年の銭湯利用世帯は39.6パーセントだったが、三年後には30.3パーセントへと激減している。人々がモーレツに働き、マイホーム時代へと走り出した頃である。