『小さなうそ』その4

 友美がニッコリうなずいた。
「いいわ。取り引き成立ね。でも、ジュンちゃんはもう一枚描くことになるわよ。宿題の絵、わたしがもらっちゃうんだから」
「描くことないね。トモちゃんの絵におれの名前を書いて出せばいいんだもん」
 スラスラ言えたじょうだんに、純一はじぶんのことながらびっくりした。
「それはいいわねえ」と友美も応じた。
「ジュンちゃんが描いた絵だと思って見れば、わたしのも、少しはりっぱに見えるでしょうからね。うん。それって、うまい話よ」
 友美がじょうだんに乗ってくれたことで、純一の口は、ふしぎなほど軽くなった。
「タイトル、眠る子犬。金賞。柴山純一!」
「共犯、水之江友美!」
「しーっ、学校に聞こえるよ」
「あはははは…」
「ははははは…」
 二人はおもしろがって笑い転げた。ココロが目をさまし、尾っぽをプリプリさせている。
 ひとしきり笑ったあと、友美が真顔になって言った。
「作品展は九月の終わりだけど、そのころわたしはジュンちゃんたちより一足早く、ロンドンの中学生ってわけ。それって日本人学校じゃないのよ。あちらの普通の学校だから、イギリス人の中にポツンと置かれた、たった一人の日本人ってわけ。だから、もしかして、この町を想い出しながらシックになっていたりしてね。もし友だちができなかったら、さびしいだろうなあ…なんて思ったりして」
「だいじょうぶだって。水之江さんなら、すぐに友だちできるよ」
「そうかなあ」
「そうだよ」
「例えばよ、いまのじょうだんがじょうだんじゃなくて、わたしの絵を矢口町小学校のみんなが見くれているんだって思うとするでしょう。すると、それだけのことでけっこう心強くなれるんじゃないかなあ…なんてね。…ふふ、うたかたのユメ物語」
 純一には、友美の気持ちが理解できた。言葉も解らない国にポツンと置かれたじぶん。考えただけで気が重くなる。同情しないわけにはいかなかった。
「ねえ。その絵、ほんとうにおれの宿題にしちゃおうかなあ?」
「ありがたいけど、すべてがうたかた。だって、そんなことできるわけないじゃない」
「できるよ、おれ」
「見つかったら大変よ」
「見つかるかなあ」
「泉川先生なら、ひと目で見破るわよ」
 その危険はあった。図工の泉川景子先生は、純一の絵を高く評価していた。その素質を伸ばそうと、授業が終わってからも構図の取り方や筆づかいで、こまごまとアドバイスをしてくれていた。その先生が、純一の絵を見あやまるとは考えづらい。
「水之江さんの絵に、おれの筆を加えたら、まずい?」
「どういうこと?」
「描き直すとかじゃないよ。上からおれの筆をちょっと足すんだよ。そうすれば泉川先生だって、ベースが水之江さんの絵だと見破れないんじゃないかなあ」
「カモフラージュ?」
「まあね。まずいかなあ?」
「だって、それってインチキじゃない」
「インチキと言えば言えるけど、だれにも迷惑はかからないと思うんだけど」
「そうかしら?」
 友美は考えた。
(じぶんの絵を純一が宿題として提出する。絵の力量は純一の方が上だから、損をするのは純一自身だ。それ以外に損をする人がいるだろうか? わたしは損をしない。クラスのみんなも損はしない。学校も損はしない。展示が終わればそれでオシマイ。だれも損をするはずがない。だとすると、これは二人だけのユーモアかも知れない。ゆるされてもいいじょうだんかも知れない)
 友美が言った。
「損をするのはジュンちゃんだけね。急に下手になったと思われちゃうから」
「そんなの、損なんて思わないね」
「ジュンちゃんは、それでいいの?」
 友美の目が純一を捉えている。純一は、その目を正面から受け止めた。
 純一は重々しくうなずいてから「いい」と言い切った。
 友美が表情をやわらげた。
「二人だけのユーモア劇場ってわけ?」
「そう」
 純一は、目に力を込めてうなずいた。友美の言葉「二人だけの…」が、純一の体中をかけめぐっている。 
「ジュンちゃんがいいならいいんだけど、問題が一つ残るわよ。ジュンちゃんの絵の受賞記録がストップするってこと」
「これは、おれがやりたくてやるんだよ。うまくいったら、賞なんかの何倍も大きな想い出を残すことになるじゃないか。ロンドンから帰って来たら、みんなにバラしてもいいんだ。笑える話だからね。ここは、おれにまかせて欲しいね」
 平手でポンと胸を打つ純一。しぐさや言葉に自信が宿っていたので、友美はすっかり愉快になった。
「ほんとうに、やっちゃう?」
「やっちゃう!」
「二人だけの秘密?」
「もちろんだよ。家族にも口にチャック!」
「ふふふ。じゃあ、指切りげんまんね」
 友美が小指を差し出すと、純一がそれに小指をからませた。純一にとって、じぶんでもおどろく行動だった。二人は間もなく広い地球の表と裏だ。そんな現実が、純一の背中を押してくれているようだった。
「指切りげんまん、うそついたら針千本の〜ます。指切った。ローソク一本切〜れた。タヌキのしっぽも切れ〜た!」
 幼稚園のころよくやった約束のおまじない言葉が、六年たったいまでも、二人の口からすらすらと出た。
「言えた!」
「ほんと。まだ忘れてなかったわ」
「ずいぶんやったからね」
「ということは、あのころ、秘密ばかりだったってこと?」
「そういうこと!」
「罪深い天使たちね」
「イエ〜ス!」
 二人はここでも笑い転げた。(続)