小説『木馬! そして…』27.

「本日は、お忙しい中、ここにこうしてお集まり頂き、ほんとうにありがとうございました。浜木先生と若島さんには、まだ申し上げてありませんでしたけど、じつはこの集まり、わたくしにとって長年のユメでした。ユメのきっかけは、今年四月のテレビ番組『わたしの宝物』への出演でした。そこでわたくしは、わたくしが生まれてすぐに小さな祠の前に置き去りにされた孤児であった事実を告白いたしました。その折、生死の境をさまよっていたわたくしのために、幸せを運ぶとされる木馬、それがこれです。この木馬をお貸し下さった方の話をしまして、その方に関する情報を頂きたいと訴えました」
 元町は、手にしていた木馬をテーブルに置いた。それを見る目はさまざまだ。平常心で見ている目、強い意志で見つめている目、さらに強く見入ったまま、まばたき一つしようとしない目。それぞれに想いの深さの違いが出ていた。
 元町は続けた。
「その結果、予想を超えるたくさんの情報を頂戴することができました。そして、その情報を下さった方々とのやり取りから、とうとう、木馬の持ち主が見つかったのでございます。その方、何と、この那須にいらしたではありませんか」
 一部から「ほーう」の声。
「しかもその方、ここにおいでです。ご紹介します。那須にお住まいの香川幸子さんです」
 香川幸子が頬笑みながら会釈をした。眼の前に当人が居たとあって、周囲からまた「ほーう」の声が起こったが、一番驚いたのは幸子の子どもたちだった。
「だからだったのね。あのとき、読んだこともない週刊誌を買い込んでいたのは」とコモが小声で隣のマリーに言うと、マリーも眼をからませて頷いた。
 元町にうながされ、幸子が立ち上がった。そして、木馬にまつわるいきさつを話した。旅行中の森の中の喫茶店で木馬を購入したこと。そのあとの岩見丸の沈没事故で両親を失ったこと。じぶんもその事故に見舞われたが、奇跡的に救助されたこと。そのとき、意識を失いながらも手の中にしっかりと握っていたのが、いまテーブルの上に置かれている木馬であったこと。そのことが、当時の新聞に「奇跡の木馬」として報じられたことまで話した。
 元町があとを引き取った。
「わたくしは香川さんからのお手紙で、そうした事実の幾つかを知りました。この木馬のお腹には、〝幸〟という字が彫られています。念のため香川さんに、お腹の文字の記憶を尋ねたところ、お答えはまさしく〝幸〟。これで持ち主は香川さんと確信したわけです。さっそく香川さんともお会いしました。ところが、そのあとで問題が発生したのです。こちらにいらっしゃる坂本幸恵さんから新たな情報が寄せられたんです。坂本さんがお持ちになっていた木馬にも、幸の字があったとおっしゃるではありませんか。わたくしは大変に戸惑いました。ですから、そのことは香川さんにはお伝えしませんでした」
 坂本幸恵が、申しわけなさそうに立ち上がった。
「お騒がせしてすみませんでした。じつはわたしも元町さんの番組を見ていて、そういえばわが家にも同じ木馬があったなあ…と。しかもその木馬、ずいぶん昔に失くしていたんです。その話を訪ねて来た妹にしたところ、『それ、幸恵姉さんの木馬じゃない?』って言いましてね、とりあえず元町さんに電話してみろとけしかけられちゃったんです。それが、番組を見てから一ヶ月以上経ってからのことでして」
「お電話を頂戴して真っ先にお聞きしたのが、お腹に何という文字が彫り込まれていましたか? ということでした。そうしたら、幸福の幸だとおっしゃったんです」
「ええ、その字はわたしの名前の一字でしたから、はっきりと憶えていたんです」
「内心、困ったなと思いました。同じ木馬が二つになってしまったんですからね。こうなってみると、果たして二つだけだろうかという疑問にもつながりますよね。そこで思い出したのが、番組後に頂いたお手紙の中に、『その木馬を彫ったのは、わたしの祖父だと思います』という情報があったことです。その手紙を下さったのが星川一馬さんです。星川さん、ごめんなさい。すぐにご連絡を差し上げればよかったのですが、香川さんとの話がトントンと進んだものですから、制作者という貴重な情報源を疎かにしてしまいました」
「いえいえ、いいですよ。まず持ち主を、と思うのは当然ですから」
「坂本さんからのお話のあと、わたくしは星川さんにご連絡をさせて頂いたんです」
「あの喫茶店、もう使用していないんですが、祖父が愛したものということで現在もそのままにしてあるんです。元町さんからお話があって、すぐに中を引っくり返してみたところ、いや、驚きました。出て来たんですよ、祖父のメモ帳が。そこに木馬に関する記載があったんです。それも、一々几帳面にね。それによると、祖父が彫った木馬は全部で五十九個でした。譲った人の名前も出ていました。お腹の文字は購入者の希望を聞いてのものでしたから、必ずしも買った人の名前の一字ではないんです。何と彫ったか、その字まで記載されていました。〝幸〟と彫ったのは二つだけでした。つまり、香川さんと坂本さん、このお二人だけだったということになりますね」
「これで、二つだけということが判ったのですが、さて、わたくしの手元にあるのは香川さんのものか坂本さんのものか。すっかり考え込んでいたところに、再び坂本さんから電話が入ったんです」
 坂本がきまり悪そうに話し出した。
「お騒がせして、ほんとうにすみませんでした。夏休みに実家に行ったのですが、ふと思い立って納屋の中を探したところ、出て来たんです。これと同じ幸の字の木馬が。持ってまいりました。これがその木馬です」
 坂本幸恵が包みの中から木馬を取り出しテーブルに置いた。
 みんなが二つの木馬を見比べた。一方にリボンがなかったら、見分けがつかないほど二つはよく似ていた。
「というわけで、わたしの木馬は手元にあったわけです。ほんとうに、お騒がせ虫でした、わたし。ごめんなさい」
「いえいえ。坂本さんのお陰で星川さんに辿り着き、彫られた木馬の数から何から、すべてが判明したんですから。それに、納屋から出て来てくれたことも助かりましたよ。それがあったから、わたくしの命の恩人である木馬の持ち主が香川さんと決まったわけですからね」
「お騒がせしただけなのに、これ、どっきり賞でしょうか。こんなご招待にあずかるなんて、いやだ、恥ずかしい」
 消え入るような声で言ったので、みんながどっと笑った。
「まずはめでたしです。ただ…課題が一つ残ってしまいましたけれども。でも、ここまで辿りつけたことが素晴らしいのです」
「残った課題と言うと?」と月丘恵子が元町に尋ねた。それには、香川幸子が代わって答えた。
「わたしが木馬を失くしてしまったということです」
「はあ?」
 何人かが首をひねった。
「つまりですね、元町さんが祠に置き去りにされたときには、木馬はすでにわたしの手元には無かったということです。ですから、生死の境にある元町さんに、幸せを運ぶ木馬を渡したのは、わたしではないということです。ほんとうの恩人は、他にいるということです」
「ああ、そういうことですか。すると、その人が誰なのか、それがまだ判らないということですね」
「ええ。それだけが残された課題なんです。でもお母さん、わたくしは、ここまで辿りつけたこと、それはほんとうに素晴らしいことだと思っているんですよ」
「ええ、ええ」
 月丘理事長が元町の目に向かって、しっかりと頷いた。
 元町も理事長に頷き返してから、その視線を全員へと移した。
「この木馬は物心のついたときから、ずっとわたくしの手元に置かれていました。当初は、それを普通の置物としか見ていませんでした。ところが十八歳の春、この木馬がわたくしの人生に大きく関与していたと、はじめて知ったのです。じぶんの命を支え続けてくれていた木馬だったんですね。孤児であるじぶんにとって、木馬は、そのときからとても大きな存在になったんです。同時に考えました。木馬に託して、わたくしの命を守って下さったのはどなただったのか? それを、ずっと知りたく思っていました」
 飛び込み参加の形となっている浜木みゆうが、身じろぎもせずに聴いている。
「課題は残りましたが、少なくとも木馬の持ち主には巡り会えたのです。さらに北海道の別海町という、木馬のルーツにも辿りつけました。わたくしは幸せです。その幸せを得られたことに関して、わたくしは皆さまに感謝申し上げなくてはなりません。それがきょうの会の趣旨の一つでした。そこにもう一つ、うれしい趣旨が生まれました。図らずも、迷い子たちの味方・浜木先生をお迎えできたことです。こうなりますと、尽きない話が山ほどです。尽きない話を尽きるまでとはまいりませんが、きょう一日、楽しい時間が持てたらと思っております。夜は寿司懐石をご用意させていただきました。その席で、木馬を製作されたおじいさまのことや、香川さんを救ってくれた木馬の話。それと、木馬以外にも、浜木先生のご活躍のご様子などをお聞かせいただけたらと思っております。と言って、夜まではだいぶ時間がございますので、その間に、温泉を組み込ませていただきました。あとで山ちゃんがバスでご案内いたします。山ちゃん、このあとのスケジュールは?」
「はいはい」と、マネージャーの山下が立ち上がった。
「温泉へのバスは、午後の三時半に出します。この温泉は白戸川という川の渓谷沿いにあって、川底が源泉になっていましてね、ええ、川の温泉なんです。全長百メートルにわたって三つに区切った露天風呂の川の湯が名物なんです。神経痛などに効能が高いですから、その線でお悩みでしたら、きょうからしばらくは、子ども時代の肉体に戻れますよ。あっ、レモンちゃんは気をつけてね。へたをすると赤ちゃんになっちゃうから」
 みんなが笑った。
「出発まで、まだ四十分ほどありますね。それまでお部屋で休まれても、お庭を散策されてもよろしいですよ。出発までは自由時間ということで…」
「ちょっと待って下さい。お願いがあるんです。出発までのその時間、わたしに頂けないでしょうか?」
 そう言って立ち上がったのは、大平美佐江の母の古澤佐代だった。
 ギョッとする娘の大平美佐江。(続)