小説『木馬! そして…』26.

16.ざんげの旅

「あらためまして、皆さま、ようこそお越し下さいました。わたくしは、いつかこの日の来ることを待ちこがれていたのでございます。そして、ついにこの日が来たことを、心の底から喜ぶものでございます。と申しますのも、わたくしを支えて…いえ、わたくしの命を支えて下さったゆかりの方々と、とうとうこうして一つのテーブルを囲むことができたのですから。でも、そのお話をはじめると長くなってしまいます。あと十五分でお昼です。心はあせるのですが、お話はランチのあとということにいたしましょう。と言っても、同じテーブルにいながらお名前も判らないのでは困りますよね。ですから、それぞれの皆さまのお名前だけ、ざっとご紹介させていただきます。では、わたくしのお隣から時計回りでご紹介します。わたくしの左は、幼いわたくしを里子として迎えて下さった第二の母、孤児院の月丘恵子院長です。現在は函館で、私営の児童擁護施設を運営いたしております」
 月丘恵子が着席したまま軽く会釈をした。
「そのお隣は、その第二の母が理事長として運営している『コスモスの家』で、子どもたちのお世話をして下さっている保育士の大平美佐江さんです。その大平さんのお隣は、大平さんのお母さま。え〜と、お名前は…」
「古澤佐代と申します」と、娘の大平美佐江が代わって答えた。
「古澤さんのお隣は浜木みゆう先生。浜木先生のことはご存知の方も多いと思いますが、札幌で女性の駆け込み寺とも言われる『愛の里しんせん農場』を運営されています。わたくし、以前に浜木先生のご本、読ませて頂いたことがあるんですよ。その中で、『人間は過ちを犯すもの。問題はそのあと、じぶんがじぶんに成り切れるかです』とおっしゃっている言葉が印象的でした」
「恐れ入ります」
「じぶんを振り返る意味で、大変参考にさせて頂いているんですよ。さて、そのお隣は若島洋子さん。若島さんは浜木先生の農場の良き理解者だそうで、先ほど伺ったんですが、もう三十五年のお付き合いということですよね」
「はい。野次馬応援団です。浜木さんのところのお野菜には、どれにも命が宿っているものですからね」
「それは素晴らしい。今度『コスモスの家』を訪問した折にでも、若島さんのお店に寄らせて頂いて、命が宿ったお野菜のお料理を楽しませていただければと思います」
「ええ、どうぞどうぞ。大歓迎しますよ」
「ありがとうございます。さて、そのお隣にまいります。北海道の別海町からいらして下さった、競走馬を生産している『スタリバ牧場』の牧場主・星川一馬さん。ダービー馬を生産されるのがユメだそうですね」
「ええ。重賞の中でもダービーは祖父の代からのユメでして、祖父から父へ、父からわたしへと託された宿題でもあるんです」
「ご期待申し上げます。そしてそのお隣は坂本幸恵さん。東京の主婦の方です。那須へは何度かおいでだそうで」
「はい。主人のゴルフのお伴の形で。新幹線だと一時間で来られますから」
「おしどりゴルフとは羨ましいですよね」
「でも、相手が主人ですから…」
「あら、どういう意味でしょう?」
 初対面の場に笑みが広がった。
「さて、つぎのかたです。この那須でハーブ園『ハーブランド那須』を運営されている香川幸子さん。そして、長女のマリーさん。次女のコモさん、三女のレモンちゃん。ハーブ園はこの日のために臨時休業。お料理まで作って頂き、ご迷惑でしたよね」
「とんでもありません。一家で押しかけて、こちらこそおじゃま虫の集団で、恐縮しております」
「おじゃま虫どころか、レモンちゃんたち三姉妹には大感謝ですよ。だって、平均年齢をド〜ンと引き下げて下さっているんですもの」
 ゲストたちが一斉に会場を見回し、「なるほど」という顔で苦笑した。
「最後は、マイクロバスの運転手さん。じつは、わたくしのマネージャーの山下仙太郎です。わたくしは山ちゃんと呼んでおります。以上、ここにはわたくしを含めて十三人ですが、キッチンには長年お手伝いをお願いしているハマさんもいます。ハマさんもこの席へと誘ったのですが、デザートやら何やらがまだできていませんよって、ふられちゃいました。じつのところ、デザートの心配がなくても、いつも同じ答えなんですけどね」
 ハマさんを知る香川家三姉妹が笑みをこぼすと、みんなも頬をゆるませた。
「ではまず、皆さまのご健康を祈念して、シャンパンでの乾杯をいたしましょう。山ちゃん、お願いね」
「はい」と言うが早いか、マネージャーの山ちゃんは、シャンパンのコルクをポーンと飛ばした。
 パチパチパチと拍手が起こった。右手にシャンパン、左手にジュース。山ちゃんが慣れた手つきで、いずれかの液体を全員のグラスに注いで回る。
「乾杯の音頭はお母さんに」
「あらあら、わたしが?」と言いながらも月丘恵子は「どっこいしょ」とイスから立ち上がり、シャンパン・グラスを手に取った。
「じつはわたくし、この会のはっきりとした趣旨を分かっていないんです。何でも、木馬の恩人が見つかったので、感謝の集いをしたいから来て欲しいって、それだけしか聞かされていないんです。そんなあやふやな状態なんですが、ただ、何となくですけど、きょうはこの席から、青い鳥が飛び立つような、そんな気がしておりますの。どうぞ皆さま、皆さまの健康祈念と合わせまして、青い鳥が飛び立つことを期待し、ご唱和をお願いいたします。乾杯!」
「カンパ〜イ!」
 グラスをかかげてから口に運び、そのあと品の良い拍手が鳴った。
「ありがとうございました。それでは皆さま、まずは、ここにおいでの香川さんと長女のマリーさん、それにキッチンのハマさんとで創作したお料理、題して『秋の那須高原テーブル』をお楽しみ下さいますように。セルフサービスで、どうぞ」
 白い壁ぎわに長方形のテーブルが三本用意され、その上にいくつもの大皿や大鉢、銀製鍋が並べられている。元町の挨拶の直前に、マリー、コモ、レモン、山ちゃんによって運ばれたものだ。温製のものからは湯気が立ち昇っている。
 元町にうながされてゲストたちは立ち上がり、『秋の那須高原テーブル』の皿鉢へと向かった。
「このスープは何かしら?」
「ああ、これはメインがタマゴダケです。タマゴダケは生のままだと毒々しい色をしていますが、火を通すとこのような色に変わり、とっても美味なんですよ。それに、幻のキノコと言われる通り、ほんの少ししか採れないので、価格が国産のマツタケ並みなんです」とマリーが答える。
「あらまあ、それは貴重ですこと。いただかなくては」
「これは何でしょう?」
「サルナシのワイン煮です。実は、大きめのオリーブほどしかないんですが、割ってみると切り口も味もキウイーそっくりなんですよ。秋の山の自然が生んだこの季節だけの一級品。ぜひ召し上がってみて下さい」
「これはお豆かしら?」
「いえ、むかごです。ヤマノイモのむかごを、あまからのキンピラ風に煮付けてみました。素朴な土の香りというか、独特の味わいが楽しめると思います」
「このお魚は?」
イワナです。イワナとウドのポワレ。めずらしい取り合わせですけど、グッド・コンビネーションだと思っているんです」
「これは? 何かのジュースのようですけど…」
「ええ、アケビのジュースです。アケビの実をすり鉢ですりつぶして、布巾で絞るんですけど、甘いんです。そう、甘酒のようですよ」
 ハマさんがキッチンから出て来ないので、幸子とマリーが説明役に回ってしまった。
「ごはんは山栗の炊き込みです。山栗は小さいけれど、味は大きな栗以上です。これ、この子が拾って来た栗なんです」
 この子と言われたレモンも「甘くておいしいですよ。いっぱい食べて下さい」と、じぶんの成果を勧めている。
 一時間もすると、最初の堅苦しさはすっかり抜け、初対面同士が打ち解けている。
「わたし東京なんです。だからこういう自然の中に入ると、いつも羨ましいなあって思うんです。お散歩も楽しいし」
「お散歩と言えば、気をつけないといけないことがあるんですよ。この間お散歩していましたら、何か書かれた紙が枝からぶら下がっているんです。それが丸まっていましてね。何が書いているのかと、手で丸まりを伸ばして読んでみたら、『さわるな。かぶれる』ですって」
「まあっ! かぶれたんですか?」
「もう免疫になったみたい。木の方が呆れていたと思いますよ」
「うちの馬、この間お尻がかぶれて困ったんですけど、あの馬、その類いの木に触ったのかなあ」
「馬もウルシにかぶれるんですか?」
「そりゃかぶれるでしょう。何しろデリケートな動物ですから」
「ウルシは触らなければいいけれど、怖いのはヘビですね。いつだったか、目の前をカエルがピョ〜ンと飛んで、そのあとから矢のようなものが走ったんです。それ、カエルを追って飛んだヘビだったんですね。怖いですよ。わたしの目の高さを、一直線に飛ぶんですから」
「そんなに高く!」
「北海道にもヘビはいましてね、トウキビを掴んだつもりで、こんな太いヘビを掴んじゃったことがありましたから」
「ヘビは嫌だけど、やっぱり、称えるべきは自然ですよね」
「そうそう。自然は一日として同じ顔をしていませんもの」
 初対面という壁が、和みの中で取り除かれてゆく。そんなゲストたちの交流談を、元町あかりが微笑ましく聞いている。

 メロディー時計が午後二時を告げたのを合図に、山ちゃん、マリー、コモ、レモンの四人がデザートを運びはじめた。ティーカップと、何種類かのティーポットも運び込まれた。マリーとコモが、好みを聞きつつ注いで回る。
 きりを見て元町が立ち上がった。その手には、いつ用意したのか木馬があった。(続)