小説『木馬! そして…』24.

15.別荘にて

 平成二十一年十月三十一日。土曜日。
 那須連山の紅葉は終わったが、ふもとの色づきはいまが盛りだ。赤や黄色に染まった林を抜けると、大きな空が頭上に広がる。そこに北欧風のおしゃれな館がある。元町あかりの別荘だ。いつもはひっそりたたずんでいるこの別荘、きょうは何やら華やぎそうな気配である。どの部屋のカーテンも開け放たれ、昼間というのに玄関灯が点されている。思い返せば、数日前には庭芝が刈られていたし、正門から続くアプローチには素焼きのすてきな花鉢も並べられた。
 花壇に植えられていたアメジストセージ、ラベンダー、ナスタチウムサルビアといった自然派の花も、高原の秋の最後を豊かな色で染め上げている。
 その花たちに水を与えているのは香川家の三女のレモン。五月に元町あかりにハーブ石鹸づくりを教えてから、二人の仲は急接近。元町が別荘に来たときには、レモンも別荘に顔出しするようになっていた。
 一階のホールには、近しい人しか招かないと言ったわりには、十数人が座れる長円形の大テーブルがある。そのテーブルにランチョン・マットを敷いているのは香川家の次女のコモ。コモは最近、女優という仕事に憧れている。手はじめに、元町あかりの付き人になってもいいな─と思っている。でもそのことは、じぶんひとりだけの秘密。まだ、誰にも明かしていない。
 キッチンで忙しくしているのは、元町家の家事手伝いのハマさんだ。
 ハマさんは、元町あかりが東京にいれば東京に、別荘に行けば別荘に、いつでも一緒に移動して、女優元町あかりの世話をしている。元町家の家事手伝いとなって、今年で三十二年になる。現在七十三歳。「このトシですから、そろそろおヒマを頂きたい」と申し出ているのだが、元町が「うん」と言わない。
 元町がハマさんを気に入っているのは、「かゆいところに手が届く」の言葉のように、元町の考えを素早く理解してくれるからだ。余計なことには一切口出ししないのもいい。料理もプロ級。元町の好みを生かしつつ、必要な栄養バランスを盛り込んでくれる。すべてにおいて、じつにありがたい存在なのだ。
 ただし元町が、うっかりしたことを口に出したり、間違った行動をしたと思ったときは、主人であっても容赦しない。「それはいけません」とビッシリ言う。面食らうこともあるが、それはそれでありがたいことだと元町あかりは思っている。
 そのハマさん、きょうは朝から大忙しだ。北海道からご主人さまのお母さまがお伴を連れてやって来る。他にも、牧場主やら、どこぞの人やらがゲストとしてやって来る。すでに面識のある『ハーブランド那須』の香川幸子も、そんなゲストの中の一人なのだと聞いている。ゲストの立場ではないけれど、香川家の三姉妹もランチとディナーには加わるそうだ。普段は那須に来ることの少ない元町のマネージャー山ちゃんも、きょうは来ている。
 とにかく大勢の人たちがやって来る。その人たちを迎えてのディナーでは、出張調理人の手配がされているからいいのだが、問題はランチ。昼までに人数分を用意しなくてはいけない。
 元町は当初、近くのレストランからの取り寄せを考えた。高齢のハマさんに大量の料理を押しつけるのは酷だと思ったからだ。ところが、それを聞いたハマさんが、「ランチだからって、遠来のお客さまに出前というのは愛想がないですねえ」と反対した。
「では、どうしましょう?」
 そんな思案を耳にしたゲストの一人の香川幸子が、「それでは…」と、長女のマリーとともに料理作りに加わることを申し出た。
「お客さまにそんなことを」
「いえいえ、ゲストではない娘たちの分もありますから…」
「マリーさんたちだって、間接的なゲストですよ」
 押し問答の末、三人によるランチの共作は決まった。結果、『ハーブランド那須』は臨時休業。『ハーブランド那須』が定休日以外を休みにしたのは、三女のレモンが香川家に迎え入れられた日以来だから六年ぶりということになる。
 共作は決まったが、困ったのは、このランチへの参加人数が確定していないことだった。元町が高齢の里親・月丘恵子を気遣い、「お伴の方をお連れして下さい。何人でも構いませんので」と言ってしまったからだ。いや、それだけではない。
「北海道で牧場を経営されている星川さんという方にも、よろしかったら奥さまやお仲間をお連れ下さいと言ってしまったの」と元町が、調理人三人を前に申しわけなさそうに言ったのだ。
「あらまあ、それは大ごとですよ」とハマさんが呆れ顔で言ったけど、目は笑っている。
「だったら、バイキング形式にしちゃったらどうかしら?」とマリーが提案した。
「そうね。お好きなものを少しづつ。おトシの方もおいでだから、そういうのも手かも知れませんよね」と幸子もバイキング案に賛成した。
「では、テーマ・バイキングにしちゃいましょうか?」とハマさんが合わせた。
「あっ、それいいですね。どんなテーマがあります?」とマリー。
「例えば『秋の那須高原テーブル』ですかね。この季節、ここにはおいしいものがたくさんありますからね。バイキングの素材のすべてを那須のものにしてしまうとかね。牧場のもの、野のもの、川のもの、山のもの。それらを〝那須の旬〟という一本の線でくくってしまうんですよ。いかがでしょう?」
 ポンと手を打って、「それよ!」と叫んだのは元町だ。
「秋の那須の幸を少しずつバイキングで頂く。作らない人がこう言ってはナンですけど、それ、いいと思うな。土地に行ったら土地のも。それが理想ですよね。わたくし、それに賛成しま〜す」
 元町のこの言葉で、おおよそのランチ形式が決まった。

 そんないきさつを経て迎えた当日の午前。キッチンでは、三人によるランチづくりが急ピッチで進められている。当家のあるじ元町あかりは、玄関前のアプローチに出てゲストの到着を待っている。
「おばちゃん、きょうのドレスはボリジの花みたいだね。わたし、その色大好きなんだ」
 花への水やりを終え、ポプリに使うパイナップルセージを摘んでいたレモンが、花たちの中から声を掛けた。
「ありがとう。このドレスはね、いいことがありそうな日に着ることにしているの。レモンちゃんが好きだって言ってくれたから、きょうは一杯いいことがありそうだわ」
「うちのお母さん、朝からソワソワだよ」
「お料理を作るから?」
「そうじゃないよ。おばちゃんの家のお食事会に呼ばれたからだよ。わたしも呼ばれてうれしいよって言ったら、あなたたちはきょうは付録。ゲストじゃないのよ、だって」
「あら、かわいそう」
「でもいいんだ。付録でも頂けるものは同じなんだから」
「そうよね。ハマさんのお料理はおいしいのよ。それにきょうは、お母さんとマリーさんもいて、お料理上手三人衆の揃い踏みですものね。十分に味わってちょうだいね」
「あっ、おばちゃん、お客さんたち、来たみたいだよ」
 森を抜けてレンタルのマイクロバスがやって来た。運転手は黒いタキシードに山高帽子を被っている。元町あかりのマネージーの山ちゃんだ。山ちゃんこと山下仙太郎は、元町あかりのマネージャーになって二十五年の大ベテラン。現在六十五歳。事務所の定年規定を超えてしまったが、元町の希望で特例扱いとなり、いまも元町のマネージャーをやっている。この日のタキシードと山高帽子は、お互いに面識のないゲストを東北新幹線那須塩原駅で迎えるための目印用としての着用だ。
 玄関前にマイクロバスが横づけされた。(続)