小説『木馬! そして…』17.

10.戻りのない旅立ち  

 昭和三十年四月二十八日の夕ぐれ時。 
「わたし、お金を盗みました」
 派出所にヌ〜ッと入って来た女が、大原巡査の前でそう言った。
「えっ、何? どうしたって?」 
 定年間近の大原巡査は、まゆ毛を八の字にし、耳を突き出して聞き返した。 
「この先のえびす屋さんの現金箱から、お金を盗んだのはわたしです」
「あっ、日用食品雑貨のえびす屋の件か。来た来た。あそこのおかみさん、女に金を持ち逃げされたって飛び込んで来たよ。それをやったのがあんたってわけね」
「はい」
「するとあんた、自首ってことね」
「はい」
「分かった。そこに座りなさい」
「すみませんでした」と頭を下げてから、女はパイプイスにお尻の先をちょこんと乗せた。服装からすると若そうだが、頬がこけているので、トシのころが掴みづらい。
「え〜と、さっきだったよね。まだ三時間ってとこだよね」
 大原巡査が台帳を取り出し、その記述のあるページをめくった。
「これだ。午後の三時ごろとある。店のおかみさんがほんのちょっと目を離したすきに、店内の現金箱の現金をわしづかみにされたってね。逃げて行く女のうしろ姿を見たそうだが、それがあんたってわけね」
「はい。すみません」
「被害額は五万円ぐらいだと思うが、実際の数字は分からない…とあるけど、いくら盗ったの?」
「千円札が二枚です」
「えっ、わしづかみで二枚だけ? ずいぶん被害額にズレがあるなあ。まっ、それはあとでいいや。じゃあ、まず名前から言ってよ」
「浜松望です」
「ハママツノゾミ。どういう字?」
「ハママツは静岡県浜松市の浜松で、ノゾミは希望の望という字それ一字です」
「希望の望の方ね。トシは?」
「十八歳です」
「未成年かあ。親が泣くなあ」
 大原巡査は台帳を広げ、浜松望と名乗った女の素性や犯行状況、その動機などを聞き出しに掛った。
「住所は?」
岩手県盛岡市の…」
「うんうん」

 浜松望はこのあと所轄の警察署に連行されたが、聞き取り捜査の結果、被害額の二千円が確定し、被害届も取り下げられたことから、一泊留め置かれただけで釈放された。
 警察から連絡を受けた両親は、郵送での二千円の賠償には応じたが、わが子の引き取りは拒んだという。
 浜松望は、つい先日まで函館市内のアパートに住んでいた。といっても、そこでの住民登録はされていない。住民票に載っている住所は岩手県盛岡市。両親と祖父がいずれも教師という教育一家に生まれ、格式ばった家風の中で育てられた一人娘だ。
 両親の望にかける期待は、実家の庭から見える岩手山よりも大きなものだった。学業成績では、常にクラスのトップを要求したし、子どもの意思と関係なしに、生け花、茶道、書道なども習わせた。それも、ただ習わせるだけではない。いずれについても昇進・昇段を要求し、母は絶えず、「こんなに子どもにお金をかけている家はないのよ。とにかく頑張ってもらわなくてはね」と娘を鼓舞した。
 母に輪をかけたのは父だ。
「人生のすべては学業からだ。人間の九十パーセントは落ちこぼれだが、この家には落ちこぼれという言葉がない。東大、京大、ダメでも国立大。私立だったら早稲田、慶応、お茶の水。悪いと言っても二流止まり。三流にでも転落してみろ。そんなもの、生きてる価値もないに等しい」と言い放った。その父が何大学の出身なのか、望は知らない。知ろうとしたこともない。
 望は中学のころまで、父を(ある程度立派)と思っていた。「目標は一流あるのみ」という父の言葉にも、(その通りかも…)と思っていた。両親の期待に添うことが、巡ってはじぶんの幸せなのだと思っていた。
 だが、高校に通いはじめて考えが変わった。目が覚めたと言っていい。
 親がつくった升目の道。升目の線を踏まないように、窮屈な歩幅で歩き続けて来たじぶん。定規から、はみ出すことの許されない道。(それは違う)─と望は思った。人間は、それぞれがじぶんの歩幅で歩くべきではないのだろうか?
 その道にしても、選択の余地を持たない直線一本道というのも変だ。左に見える花園に寄り、右を流れる大河を渡る。どこに寄るのも、どこに向かうのも、それを信念として選ぶなら、それを決めるのは、じぶんの足で歩いているじぶん自身であるべきだろう。なぜ、学業がすべてなのか? なぜ一流大学以外はクズ同然なのか? 
 部活で「卓球部に入りたい」と言ったとき、両親は飛び上がらんばかりに驚いた。望は幼児期に軽い脊髄炎を引き起こし、その後遺症から左足をやや引き摺っている。じぶんでは気にならない程度だし、運動にも支障があるとは思っていない。でも、両親としては気になっていたのかも知れない。「卓球部」と聞いて驚いたのは、そのためだろうと望は思った。
 ところが違っていた。まるで汚いものでも見るような目で、母は望にこう叫んだ。
「ダメよ、そんなの! ピンポンが何に役立つって言うの。ムダに体を消耗させるだけじゃない!お勉強はどうするのよ。お稽古事をどうなるのよ。何のために大金払ってあなたを育てて来たと思うの!」
 父はこうなじった。
「運動なんか能なしのやることだ! いいか。おまえには目指すべき使命がある。一流大学、一流職業、一流のムコさんだ。くだらんことに時間を掛けるヒマなんか、これっぽっちもありはせんのだ。おまえの人生が、おまえ一人のものだなんて、のぼせあがるのもいい加減にしろ!」
 二人のこの言葉が、望の心に繕いきれない穴を開けた。
(わたしは両親の満足のためだけに生まれてきた人間? わたしの人生は、あの人たちのもの? 違う! そんなことあるもんか! わたしの人生はわたしのもの。もう、誰にもわたしの自由をいじらせない!)
 その決意は、千度の熱を浴びても溶け出さないほど強固となった。
「一体、どうなさったんですか、おたくのお子さんは。遅刻、早退、サボタージュ。見てくださいよ、この鼻で笑った答案用紙。数学の答案用紙ですよ。描いてあるのはブタの絵じゃないですか。学年トップの優等生が、たった一ヶ月で別人ですよ」
 学校から呼び出しを受けた母親は、あろうことか、じぶんが天国から地獄に転落したことを知った。帰宅すると髪を振り乱して泣き叫び、しかし、どんなに泣いても手から離れてしまった風船のように、もう娘の心をじぶんのもとにたぐり寄せることができないと悟ったとき、一転、母は布団を被って丸くなり、北風の中のミノ虫みたいに、ただただ体を震わせ続けた。
 父親は、ユメを壊した鬼退治とばかり望に鉄拳の雨を降らせた。憎しみだけを丸めて固めた塊を、分別もなく放つ父。
 千度の熱にも溶けない意志。どんなに殴られようと蹴られようと、顔中アザにされようと、望は泣きも叫びもしなかった。
 父親は(なぜだ?)という顔をしてから、じぶんが負けたことを知った。望のユメではなく、じぶんたちのユメが微塵となって散ったのだ。このときの半狂乱の仕打ちによって左耳の鼓膜が破れ、以来左耳が聴こえなくなってしまったことを、望は両親に伝えていない。
(あの人たちに伝えてどうなるの? 笑う? 泣く? 茶番だよ。バカバカしい)
 親子の絆はプッツリ切れた。もともとが、お互いの意志で結びついていたものではなかったのかも知れない。望だけが一方的に信じていただけ。親からすれば、保身であったり、体裁を繕うだけの結びつきだったのかも知れない。望は高校二年で不登校となり、三年には進級できないまま退学処分となったが、両親はもう何も言わなかった。
 無断外泊にも口出しをしなくなった。教育者の娘が不登校を重ねた挙げ句の退学処分。家でゴロゴロされていては世間体が保てない。目立つところに居て欲しくない。外泊オーケー。外泊のまま帰って来なければいいと思っていたのかも知れない。
 望は自由だった。悲しいくらい自由だった。自由人には自由な人が寄って来る。自由過ぎた証しだろうか、いつの間にか、お腹に子どもができていた。
「ねえ、あなたって、誰の赤ちゃんなの?」
 お腹をさすりながら、望は、じぶんのお腹の赤ちゃんに尋ねた。
 妊娠という事実は、むろん親には言わなかった。怒られるからでも、悲しませるからでもない。じぶんのことを他人(と思っている人)に言う必要はないと思ったからだ。不幸中の幸いだろうか、望のお腹は、ほとんど外見では見分けがつかないほどだった。少し太ったかな? その程度。そういう体質だったことに関しては、親に感謝したいようなもの。率直にありがたかった。
 ただし、外見的に目立たないのは体形だけで、赤ちゃんの誕生がそれほど遠くないことは、望自身が気づいていた。このまま出産となったら、さすがに親の存在が気に掛る。だから、事前の家出を決意した。
(でも、どこへ?)
 思いつく宛てはないが、取り敢えずは身を隠すことが先決。双方の幸せのためだ。どこでもいい。両親の眼の届かないところへ行こうと思った。
(海を渡ろう。津軽海峡の向こうに行こう。さようなら。わたしと十八年間も暮らしてしまった人たち)

 昭和三十年三月十日。 望は北に向かう汽車に乗った。毎日見ていた岩手山が遠ざかって行く。感動を失くした目に映るのは、ただモノクロの山並みだった。
 青森からは青函連絡船へと乗り継いだ。
 甲板に立つ。この日の波は静かだった。左は津軽半島、右に見えるのは下北半島。どちらも本土と呼ばれているが、これから向かう北海道を本土とは呼ばない。旅行なら帰って来るが、この旅立ちは戻りのない旅立ち。それなのに潮風が、望の髪を本土に向けてなびかせる。
(うしろ髪なんて、誰も引いていないのに─)
 津軽海峡に出た。太平洋と日本海を結ぶ海。本土と他の地の境界線。人生を二つに区切るボーダーライン。望の心がバラバラに舞っている。
 連絡船が津軽の海を渡り切り、函館湾へと入って行く。
(このあたりかぁ)
 千三百余の人を乗せた青函連絡船岩見丸が沈没したのは半年前のことである。千百五十五人もの命を奪う大惨事があったことを望も知っていた。希望に燃えて本土を目指す人もいただろう。
(わたしが代わってあげてもよかったのに…)と、穏やかな海を見ながら、望はそんなことを思ったりした。

 函館港の桟橋に降り立つと、そこからは、元町、末広町、宝来町、栄町と、宛てのないままそぞろ歩いた。お腹が重い。足も重い。
(今夜はどこに泊まるんだろう?)
 他人事のような問い掛けに、(バカみたい)とじぶんで笑った。
 ネオンのときめく松風町は、大人の臭いがする街だ。その筋交いで望は一人の女に声を掛けられた。(続)