小説『木馬! そして…』9.

 とても小さなログハウスの喫茶店。そこのマスターが掘る木馬を、幸子が欲しいと言い出した。「う〜ん」とマスターは思案顔。
「木馬を譲って頂くことに、何か問題でもありますか?」とお父さんが訊いた。
「うん。問題ありだね。在庫が切れちゃっているのね。さあ、どうするかだが、う〜ん、仕方ないか。ではね、いま仕上げたばかりのこいつを譲っちゃうよ」
「それ、予約だったのではありませんか?」とお母さんが心配そうに尋ねた。
「そうなんだけどね、取りに来るのがまだ先なんだ。時間があるから、その分は、あらためて彫ることにするよ。お嬢ちゃんのためだもんねえ」
「ほんとうに、よろしいのでしょうか?」
「うん。いいの、いいの」
「無理を言ってすみません」
「いやいや。欲しいと言ってくれる気持ちの方がありがたいんだ。ではね、これはお嬢ちゃんのものだという印をね、この馬のお腹に彫り込んでおこうかね。お嬢ちゃん、お名前は?」
「幸子」
「どういう字を書くの?」
「しあわせっていう字」
「ほ〜う。そいつはいい。何しろこいつは、その幸せを運ぶ木馬なんだから幸運そのものだ。こりゃあ、幸子ちゃんには特別いいことありそうだなあ。あっはっはっは」
 おじいさんは楽しそうに笑うと、馬のお腹に〝幸〟の一字を彫り込んだ。
 こうして幸子だけのものとなった木馬を、幸子は「幸せちゃん」と呼んで、寝るときにはベッドに持ち込むほどの友だちとなった。
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 大波を受けるたびに体が投げ出されそうになる船内で、幸子は幸せちゃんを握り締めていた。何しろ幸せちゃんは、幸せを運んでくれる木馬なのだ。
(助けて! お願い、幸せちゃん!)
 船が大きく傾くと、幸せちゃんを握る指に力が入った。
 打ちつける波は地獄の使者か。全長百メートル余の大型船が、谷川の流れに落ちた木の葉のようだ。それもそのはず。その時点での最大風速は、瞬間五十メートルを記録していた。
 台風は通過したはずではなかったのか?
 そうではなかった。いっとき見せた晴れ間と無風は、寒冷前線温暖前線が重なったときに起こる「閉塞前線」と呼ばれる現象だったのだ。この時代の観測能力では、とうてい解明できるものではなかった。
 青い顔や白い顔の乗客たちが、船室内のいたるところで、右にゴロゴロ左にゴロゴロ、ダイコンやカボチャのように転がっている。オエッとやっても、泣き叫んでも、まわりの耳には届かない。恐怖の中で聴こえる叫びは、じぶん自身のものだけだった。
「投錨! 投錨だ!」
 船長が錨を降ろすことを命じた。海面にとどまったまま、魚釣りの〝浮き〟のように船を波間に浮かせたまま、台風をやり過ごそうというのである。
 錨が降ろされた。錨の鋭いツメが、海の底をガッシリ掴んだ。
 ところが、猛り狂う大自然のもとにあって、人間の知恵など、どれほどのものでもなかったのだ。風は船長の作戦をあざ笑うかのように、錨のツメに掴まれている海底の大きな岩を、船もろとも引きずり廻した。
 搭乗者たちに救命具の着用命令が下された。幸子にはお父さんが着せてくれた。
「幸子! お父さんとお母さんから離れるんじゃないよ!」
 幸子は、ぼんやりうなずいた。事の重大さに頭がついて行けないのだ。
 船員たちが壁に体をぶち当てながら、血相を変えて走って行く。船の最後尾にある車両搭乗口から海水が流れ込んだと言うのだ。車両を並べた甲板は、またたくうちに水に浸った。更に、そこから溢れた水がボイラー室にも流れ込み、機関室全体も水に浸った。
「船長! 機関室に水が入りました! 蒸気ボイラーへの石炭の投げ込みができません!」
「断たれたか」と船長はうめいた。
 燃料補給の道が絶たれた影響が形となって現れるまで、それほど時間は掛らなかった。左右にある舷の推進器タービンが止まったのだ。ほどなく左舷の発電機も止まった。
 巨船岩見丸は航海の自由を完全に失った。七重浜は遠浅だ。船長の自力に任されている手段は、あと一つしかない。
七重浜座礁させよ!」
 午後十時〇六分。ゴゴゴゴーッという不気味な重低音とともに、地獄の底から押し出されるような揺れを感じた。岩見丸の船底が海底の砂地に食い込んだ音である。
 船内アナウンスが流れた。
「当船は、七重浜への座礁に成功しました。当面する危険はなくなりました。当船はこのまま台風の通過を待ちます。ご乗船の皆さま、どうぞご安心下さい」
 実際には安心できる状態ではないことを、アナウンスをしている乗組員自身が知っている。取りあえず、乗客たちがパニックに陥ることを抑えたに過ぎない。
 このままでは凌ぎ切れないことを、一番判っていたのは船長だった。午後十時三十九分、船長はSOSの発信を命じた。
 ツートントン……。
 通信士は、テーブルに齧りつくようにしてSOSを発信した。
 ところが─。SOSを受けた青函局が、信じられないミスを犯した。SOSを「座礁したことを知らせるための発信」としか受け止めなかったのだ。
座礁させたのだから、最悪の危機は脱した。救助船を向かわせるのは、暴風雨が収まってから」と、当面の救助活動を先延ばしにしたのである。
 同十時四十三分、左舷の錨をつなぐクサリが切れた。右舷の錨だけでは耐え切れない。巨船岩見丸は、ここにおいて最後の生命線を絶たれた。大波を食らった巨船が右側に傾いた。第二、第三の大波は、それがゲームであるかのように、斜傾の船に伸しかかった。グワ〜ンと巨体が倒れて行く。
「沈没だ! 沈没するぞーっ」
「逃げろーっ! 甲板へ急げーっ!」
 乗客たちは、先を争って甲板を目指した。幸子のお父さんは幸子を抱えてハッチを駆け昇った。お母さんも追走する。
 甲板では救命ボートが、つぎつぎ荒海に投げ込まれていた。天地も定まらない海の中、救命ボートは有効なのか? いや、それ以前に、荒れ狂う波を潜って救命ボートに乗り込めるのか? すでに荒海へと身を投じた人々が救命ボートにむらがっているが、なかなかボートに這い上がれない。やっと乗れたと思っても、すぐまた波に打ち落とされる。
 船はいよいよ傾いて、自ら海に飛び込む人。いやでも海に投げ出される人。デッキにしがみついたまま「助けてーっ!」と泣き叫ぶ人。「早くその手を放すんだ!」と血相を変えて怒鳴る人。
 ガガガガグワ〜ン!
 けたたましく響いたその音は、満載の貨車が横倒しになった音。それはまた、巨船岩見丸が船体を寝かせたことを意味している。最後までデッキにしかみついていた人たちが、ボロボロと海に落ちて行く。幸子たちも落ちた。
「お願いだーっ、この子を! この子だけでも!」
 お父さんがボートに叫んだ。
 ボートから太い一本の手が伸びた。その手が幸子の襟を掴むと、ザザーッとボートの上に引っ張り上げた。
「ありがとう!」
 これがお父さんの最後の言葉だ。
 海よりも深い愛の言葉がじぶんに向けられたのに、それに気づかず生涯を終えてしまう人の数は、恐らく枚挙にいとまがない。例えば、顔を合わせれば文句の山。いらぬお世話を焼きまくられて、そいつの名前を聞いただけで虫酸が走る。そんな人物って居ないだろうか?
 じつはその人こそが親身の人。陰でその人が、じぶんに対する博愛の言葉を発信し続けていたとしても、悲しいかな、生前のじぶんはそれを知らないまま、不遜な態度を取り続けた。天国ではじめてそれを知ったとしても、あとの祭り。そんな例は、当人が知らないだけでいくらでもある。誰にでも、きっとある。
 幸子の場合、両親からの溢れる愛を知っていた。しかし、その幸子をして、あの荒海でお父さんが、身を捨ててボートの救助者に「ありがとう!」と叫んでくれた事実を、生きている限り、永遠に知ることはないだろう。すでに幸子は気を失っていたのである。

 青函連絡船岩見丸の沈没は、日本の海難事故としては、史上最悪のものとなった。乗客千百六十七名、乗組員百十一名、国鉄関係者などその他の人が三十六名、総勢千三百十四名のうち、じつに千百五十五名という尊い命が奪われたのだ。助かった人は、わずか百五十九名に過ぎなかった。
 生存者の多くは、浜までの数百メートルを自力で泳ぎ切ったか、運よく救命ボートで浜まで辿り着けた人たちである。大半の救命ボートは浜に辿り着くことなく転覆し、乗客もろとも大海に消えた。
 ただし、転覆はしたけれど例外的に助かった人が何人かいる。意識を失ったまま浜に打ち上げられ、応急処置によって息を吹き返した人たちだ。その中に、一人の少女がいた。大人でさえ助かったことが奇跡なのに、体力の備わらない少女の生存は奇跡中の奇跡である。意識のないその子の手には、木彫りの木馬が握られていた。新聞は「奇跡の木馬が少女を救った」と報じた。(続)