小説『木馬! そして…』8.

5.奇跡の木馬

 昭和二十九年九月二十五日。
 早朝、台湾の東の海上で北東に進路を変えた台風十五号は、ほとんど一直線に進んで、二十六日午前二時ごろ九州の大隈半島に上陸した。その後、四国・中国地方を斜めに横切り、スピードを上げながら日本海へと突き抜けた。
 大手水産会社に勤める香川幸子の父が、三年間の北海道支社勤務を解かれて東京に戻るため、家族とともに函館から青森に向かう青函連絡船『岩見丸』に乗り込んだのは、まさにそんな日だった。幸子が十歳のときである。
 波は埠頭の屋根まで立ち上がり、風は吹き上げ吹き下ろし、大量の雨が海の底を抜いてしまうかの勢い。まるで、波と風と雨とが〝人間いじめ〟を競い合っているかのようだ。タラップも、キーキーギコギコ泣き叫んでいる。埠頭と海との見分けはつかない。
 そんな状況の中というのに、岩見丸は乗客を乗せたまま、出航の機会を窺っていた。出航予定だった午後二時半はとっくに過ぎ、間もなく五時になろうとしている。
 あまりの風雨に恐れをなし、下船した客も中にはいたが、「この程度の風雨でしたら航行に支障はありません。念のための待機ですから、風速が少しでも弱まれば出航します」という国鉄職員の説得に、多くの客たちは不安を抱えながらもその場にとどまった。
 幸子一家も船室のイスに腰を下ろし、岩見丸の出航を待った。幸子の母は当初は下船を希望したが、本社への出社日を二日後に控えていた父は、「天下の国鉄の判断を信じよう」と主張した。結局、不安を抱きながらの待機である。わずかな希望は、心なしか風雨の弱まりが感じられたことだった。
 その風雨が、午後の五時を回ったあたりでピタリとやんだ。雲も切れて晴れ間も覗いた。
「海面に陽が射しはじめた!」
「台風、行っちゃったんだ!」
「もう安心だ。いよいよ本土に向けて出航だぞ」
 甲板に飛び出した人々は、波の静まりつつある海面を眺め、口々に旅のはじまりを喜び合った。
 船長は双眼鏡を覗き込み、海の様子、空の様子、雲の流れ、風の状態などを注意深く観察した。この時代、まだ気象衛星は存在していない。気象レーダーもない。気象予報官たちは空を見上げ、雲の流れや風の強さやその方向などから、気象状態を推し測っている時代だった。岩見丸の船長も例外ではない。三十年に及ぶ船乗り生活から、彼は、自らの気象判断に絶対の自信を持っていた。 海峡の変化をつぶさに窺った船長は、その時点での台風の通過を確信した。そして重々しく、自信を持って指令を出した。
「出航!」  
 ドラが鳴らされた。
 船が岸壁を離れたのは、定刻を四時間以上も過ぎた午後六時三十九分のことだった。
 岩見丸は、函館湾を南西へと進みはじめた。
 ところが─。大自然というものは、動物分類学上のヒト科動物ごときに見抜かれるほど甘くはなかった。去ったと見せかけた台風は、岩見丸の出航を待っていたかのようである。再び大きな拳を作ると、ド〜ン、ド〜ンと船の横っ腹を打ちつけはじめた。メガトン級の大波を三弾、四弾、五弾、六弾…。「きゃーっ!」と叫んで床に転がる乗客たち。大きな荷物が人と一緒に転げ回った。
 青天の霹靂。今し方まで海面を照らしていた、あの陽差しは何だったのだ! 天を恨んで泣き叫んでも通じない。以前にも増した激しい風のぶり返しは、船が岸壁を離れた直後からのことだった。
「怖いよう」
 船室の幸子は、体を丸めてお父さんにしがみついた。
「だいじょうぶ。この船は、全長百メートル以上もある大型船だよ。千三百人以上が乗っているんだ。台風ぐらいで引っくり返る船とはわけが違うよ」
「そうよ。安心して寝てしまいなさい。起きたときには青森港に着いているわ」
 普段は説得力を持つ両親の言葉だが、このときは違っていた。安心だと言っているお母さんの顔からして真っ青だ。素直に眠りにつける状況ではない。幸子はお父さんにしがみついたまま、小さな体をふるわせていた。片手はお父さんの背中のシャツを握りしめている。もう一方の手もお父さんの背中に廻しているが、その手で握りしめているのは、かわいい木彫りの馬だった。ほんの一ヶ月前の家族旅行中に、両親から買ってもらったものである。
 その家族旅行、お父さんからの提案だった。
・・・・○・・・・○・・・・○・・・・○・・・・
「三年間住みなれた北海道とも、来月にはお別れだなあ。本社の仕事に戻ったら、つぎはいつ来られるか判らない。どうだい、この夏休みを利用して、最後の道内旅行でも楽しもうか?」
「うん! 行こう!」と幸子は叫んだ。
「旅行なら、わたしはいつでも歓迎よ」とお母さんも大乗り気。道内旅行はたちまち決まった。
「問題は行き先だな。どこがいい?」
「山と海、両方」と幸子が言った。
「おいおい、ぜいたくだなあ」
「両方がある所を選べばいいんじゃない?」とお母さん。
「どこがある?」
「知床はどうかしら? お隣の森村さんが去年の夏にいらしたそうよ。岬に立つとオホーツク海が眼下にあって、国後島は眼の前だし、うしろを振り返ると羅臼岳。そこに昇ったら、たくさんの高原の花が咲きほこっていたわ…ですって。そこでしか見ることのできない動植物も少なくないらしいわよ」
「動物で言うと?」
エゾシカ、ヒグマ、キタキツネ、それとアイヌの守護神のシマフクロウとか…」
「ほ〜う、いいねえ。幸子はどう思う?」
「うん。そこへ行こうよ」
 お母さんの提案した知床行きが、すんなり決まった。
 心踊らせながら出掛けた北海道とのお別れ旅行。木彫りの馬は、その旅行中に立ち寄った別海町で見つけたものだ。
 そこは、こんもりとした森の中の、とても小さなログハウスの喫茶店。玄関口には古いランプが灯されていた。
「あっ、あそこ! おとぎの国のコビトさんの家みたい」
「おう、なるほど」と、お父さんが車にブレーキをかけた。
「ほんと。癒しの森のメルヘンハウスね。おいしい木イチゴのタルトがいただけそう」
「癒しの森じゃなくて、卑しい森だなあ。ちょっと寄って行く?」
「さんせ〜い!」
 車を寄せて中に入ると、ほかに客はいなかった。
「はい、いらっしゃい」
 カウンターの中で声がして、白い髪をうしろで束ねたおじいさんが立ち上がった。右手にナイフ、左手に木工品をにぎっている。
 その木工品をカウンターの上にポンと置き、エプロンの木くずをパッパと払った。
「かわいい!」と、幸子が木工品を見て叫んだ。
「ほんとに」とお母さんも微笑んだ。
「愛きょうのあるロバだなあ」とお父さんが言うと、「違うんだなあ」とおじいさんが笑って言った。
「ロバじゃない?」
「ずんぐりしていて足も短いから、みんなそう思うらしいんだ。顔付きもとぼけているからね。でもこれ、馬のつもりなの。わしね、競走馬の生産牧場をやっていたのね。いまは引退して牧場は息子たちに任せているけどね。とりあえず牧場からは、一頭だけだけど、重賞レースの勝ち馬も出せたし、まあ、馬のお陰の人生だったからね、馬に感謝のつもりで彫ったのよ」
「馬でしたか。それはどうも失礼しました」
「いいの、いいの。ロバと見る方がまともなんだから。いやね、スマートに彫れればいいんだけど、細くスラ〜ッとはいかないんだよね。何度彫ってもデブ馬になっちゃう」
「でも、これくらい太い方が愛きょうがあっていいかも知れませんよ」
「そう言ってくれる人が、けっこういるんだよね。年寄りを気遣っているのかなあ。敬老の日でもないのにねえ。いや、それとおかしいのはねえ、売るつもりじゃなかったのに、ここでこうして彫っていたら、誰かが言ったんだよね。〝幸せを運ぶ木馬〟だとかってね。それからなんだ。こんな不細工な馬なのに、欲しい欲しいとせがまれるようになっちゃってさあ。一ヶ月で二つぐらいしか彫れないけどね、いまじゃノルマみたいになっちゃったの」
 そう言って、おじいさんはおかしそうに笑った。
「幸せを運ぶ木馬ですか。どこから出た発想でしょう?」
「それが笑っちゃうの。こんなにずんぐりむっくりの馬では競走馬として勝てるわけがない。これが勝てないということは、誰かが勝つということ。そこだよね。これをじぶんのものとして持っておけば、じぶんに降りかかる『負け』とか『不幸』を、全部木馬が引き受けてくれる。ゼロサムだね。つまり、これを持つことで不幸は無くなり、勝利という名の幸せだけがじぶんに残るんだとさ。いやはや、誰がこじつけたのか、えらい屁理屈だよね」
 おじいさんは、また笑った。
「でも、イワシの頭も信心からって言いますよ。信じて持っていれば、ほんとうに幸せが舞い込むんじゃないですかねえ」
「まあ、そう思ってもらうしかないなあ。さて、お好きな席にどうぞ。メニュー表は各テーブルの上に…」とおじいさんが言い掛けたとき、幸子がお父さんの腕を引いた。
「ねえ、お父さん」
「うん?」
「わたしも欲しい」
「何を?」
「幸せを運ぶ木馬。ねっ、わたしにも買って」
「あらら。お嬢ちゃんも欲しいのかい。そりゃ、弱ったなあ」
 おじいさんは、両手をじぶんの頭の上で重ねた。目玉を天井に向け、何かを考える仕草である。(続)