小説『木馬! そして…』6.

6.

 宿直明けの朝、美佐江は理事長と共にテレビ番組『わたしの宝物』を見た。その中で、親交のある元町あかりが、自身の生い立ちの秘密を明かした。美佐江にとっても初耳だったし、思いも寄らなかったことである。だけど美佐江の関心は、それとは別なものに向かっていた。元町あかりの宝物。美佐江は、その木馬の方が気になっていた。
(わたし、どこかで見た。どこでだろう? 似たようなものをユメで見たのかしら? いやいや、木馬をユメで見ることがあったとしても、首に巻かれた黄色いリボン。そこまでユメと現実が一致するとは思えない。あれは現実の世界で見たリボンだ。どこかでわたしは見ている。どこで?)

 翌日は宿直明けで仕事が休み。美佐江は、札幌の『愛の里しんせん農場』にいる母を訪ねた。美佐江がここに来るのは、めずらしいことではない。少なくとも月に一度は来ている。説得のために。すでに母の佐代は八十八歳になっていた。農場での最長老でもある。
「もうここを出て、わたしの家にいらっしゃいよ。夫も、そうして欲しいと言っているのよ」と説得するのだが、「まだ働けるうちはね」と、母は説得に応じてくれない。
 ゲストハウスのテーブルで、母子はいつものように向き合った。
「お母さん、どこか悪いところはない?」
「ええ、この通りピンピンしてるわ。まだ当分はここで頑張れそうよ」
「またそれだ。老い木は曲がらないって言うわよね。まったくガンコなんだから」
「ごめんなさいね」
「いいわよ。元気が何よりなんだから。でも、ちょっとでも具合が悪いと思ったときは、すぐに連絡してちょうだいよ。ねっ、約束よ」
「ええ、そのときはね」
「まったく、いつまでここにいるつもりなのか…。はい。その話はおしまい。ねえ、話は変わるけど、ちょっと聞いてもいい?」
「おや、どんなこと?」
「ユメみたいな話だからって、笑わないでね」
「はい、はい」
「特別な話じゃないんだけど、お母さん、木馬に関する記憶ってない?」
「木馬?」
「ええ、手のひらに乗るぐらいの木彫りの馬なんだけどね」
「木彫りの…」
「ええ。きのう、女優の元町あかりさんがテレビの『わたしの宝物』っていう番組に出ていたのよね。それは、じぶんがこれだと思う宝物を見せて、その宝物にまつわる話を聞かせる番組なんだけど、元町さんの宝物というのが木彫りの馬だったの。で、その木馬なんだけど、それを見たとき、アレッと思ったのね。それ、わたし、どこかで見た記憶があるなって。だけど、どこで見たか思い出せないのよ。お陰できのうは一日、その木馬のことが頭から離れなくなっちゃって。(あっそうだ、お母さんなら知っているかも)─と思ったのよ。ねえ、その木馬、どこかで見た憶えない?」
「さあ…」
 母の佐代はうつむいた。美佐江は(母が考えている)と思った。
「首に黄色いテープっていうか、ヒモね。ヒモが巻かれてリボン結びになっていたのよ。それが頭のどこかにこびりついているんだけどね」
「黄色いリボン…」
「そうなの」
「木馬ねえ」
 母はうつむき、手の甲のシワを一方の手の指でさすっている。
「どう? 何か思い出した?」
「えっ? いえ…」
 母は両手で顔をつるりとぬぐうと、その眼を娘の美佐江に向けた。
「思い当たること…ないねえ」
「そうかあ。だとすると、友だちの家とか、学校でのこととか、でなかったらユメの中でのことかなあ。番組では、どんな命も守ってくれる木馬だって言ってたけど、その言葉も、ぼんやりとだけど記憶の中でダブるんだけどなあ」
「…」
「番組で知ったんだけど、女優の元町あかりさん、町の祠に置き去りにされていたんですって」
「へ〜え」
「それでね、うちの理事長が院長をしていたときの孤児院に、三歳のときに乳児院から移されて来たんですって」
「えっ? あなたのところの理事長さん、孤児院の院長さんをなさっていたの?」
「ええ、そうよ」
「で、そこに赤ちゃんだった元町さんが?」
「そうよ。そんなご縁だから、元町さん、ときどき理事長のところにお忍びで来るの。だからわたし、あの大女優さんとお友だちになっちゃった。いまでは年賀状も交換しているわよ」
「あなたと元町さんが? へーえ、そうだったの」
「そうだったのよ。世の中って広いようで、案外狭いものなのかもね」
「それにしても、奇遇だわねえ」
「奇遇というのはオーバーじゃない?」
「いいえ。奇遇ですよ。あなたがいるのが、その理事長さんの施設だし、あなたと元町さんがお友だちになっているというんですもの」
「どういうこと? 何だか話が分かりづらいんだけど…」
「いえ、何でもないわ。元町さんという大女優さんが孤児であって、それを預かった孤児院の院長先生が、いまあなたがお世話になっている『コスモスの家』の理事長さん。そのご縁であなたと元町さんがお友だち。それって奇遇って言わない?」
「奇遇って言うかなあ? まあ、それはどうでもいいけれど、結局のところ、わたしが知りたかった木馬のことは、何も判らなかったということよね」
「お役に立てなくてごめんなさいね」
「謝られる問題ではないと思うけど」

 帰路、美佐江の胸は、どこかすっきりしなかった。
(何かが引っ掛る。なぜだろう?)
 理由は判らない。
「ああ、もう考えるのや〜めた!」
 美佐江は麦畑の中道を歩きながらそう宣言して、木馬に関する一切のことを頭の中から追い出した。(続)