小説『木馬! そして…』4.

 みゆうの青春は〝労働〟の文字で埋め尽くされた。
 苦節十五年。溜めるつもりの苦労ではなかったが、結果としてお金が溜まった。
 みゆうはそのお金で、北海道札幌市の北の外れにある小さな農場を手に入れた。三十歳のときである。何のゆかりもない遠い地を選んだのは、じぶんの試みを真っ白な気持ちでスタートさせたかったから。
 農場開設の目的は、「過去のじぶん」と同じような悩みを抱える人々を、少しなりとも癒すこと。忘れることは究極の解放だが、じぶんが生み出してしまった過去の不快を記憶の外に追い出すことなどできるはずがない。だから、事実は事実として受け入れて、その上で汚れた心を洗うこと。つまり『洗心』。これこそが究極の解放だと考えた。農場建設は、そのための手段の一つだ。(そうすることこそ自ら犯した罪への償い)─と、それが浜木みゆうが考えあぐねた末の到着点だったのである。
 誠実な心は、語らなくても他人に伝わる。農場の開設から間を置くことなく、絶望の淵を歩く人たちが、一人二人とやって来た。みゆうは彼女らの悩みを聞き、欲する者をスタッフとして迎え入れた。
 数人迎えたところで、すぐ農場は手狭になった。そこでみゆうは、農場のまわりの土地を何ヘクタールか買い増した。耕作地を増やすとともに、悩める子羊たち二十人ほどが住み込める共同住宅も用意した。食堂、集会場、ゲストハウス、娯楽室なども作った。
 勿論、出費に見合う収入の道は疎かに出来ない。一に農業技術のレベルアップ。二に販路の開拓。販路の開拓では、料亭などとの直接契約。個人消費者向けの通信販売。農場の入口には、朝採り野菜の直売所も設けた。
 いまも絶望の淵の人々が、月に一人や二人はやって来る。そんな彼女たちを、定員の許すかぎり、みゆうは分け隔てなく受け入れている。じっくりと話を聞き、必要とあれば、自らの体験を話して聞かせる。
 スタッフからは「みゆ先生」と呼ばれ親しまれている。みゆ先生にとってうれしいのは、スタッフたちが絶望の淵から立ち上がり、再び社会に羽ばたくときだ。
 飛び立って行った彼女たちの中には、数年後、笑顔でその後の報告に来る者がいる。そんなときのみゆ先生は、「おーう、立ったわ、立ったわ!」と、小おどりしながら出迎えるのだ。

 そんな農園のいつもの朝。
「おはようございます」
 早朝の農作業から戻ったボクチンが、テレビに見入っていた最年長のリボンさんに、朝のあいさつをした。
「…」
 返事が戻らない。
「どうしたんですか? 何かおもしろい話題でも…」
「いえ、ちょっと」
 リボンさんは画面から目を離さないで、右手を少しヒラッとさせた。(黙っていてよ)の合図らしい。
 朝一番の顔合わせには、いつも笑顔で応じてくれるリボンさんなのに、きょうはどうしたのだろう? 「おはよう」の一言が返らないばかりか、「いえ、ちょっと」ときた。(何事が起こったのだろうか?)と、ボクチンもテレビ画面を覗き込んだ。女優の元町あかりがしゃべっている。
 ボクチンはその内容に耳を傾けた。
・・・・○・・・・○・・・・○・・・・○・・・・
「わたくしを発見したのは、偶然そこを通りかかった方でした。わたくしを近くの医院に運んで下さったそうです。ところが、よほど弱っていたようで、特別な治療が必要だということになり、救急車で大病院に移されたんですね。わたくしを発見して下さった方も、救急車に乗り病院まで付き添って下さったそうです。この木馬は、その方が『この子のお守りに…』と言って病院の看護師さん、当時は看護婦さんと言っていましたけど、その看護師さんに手渡してくれたものだそうです」
「お守りに…ですか?」
「はい。その方は、こうおっしゃったそうです。これは、どんな命も守ってくれる木馬ですよって」
「すごい木馬なんですね」
「発見されたときのわたくしは生死も危うい状態だったそうですから、その方の口からとっさに出た、ある種の慰めごとだったのかも知れませんけどね」
「でも、こうして命が守られたわけですよね」
「そうなんです。そのことが気になるんです」
「その方とはその後?」
「お会いしておりません。この事実を知ったのは、わたくしが孤児院を出ることになった十八歳のときでした。すでに十八年、そうした時間的経過もありましたが、その方をお探しできない別の事情もありましたの」
「おや」
「孤児院を出た二年後、わたくしは一つのチャンスをいただいて、スクリーンに立つことになりました。そのとき、映画会社の方針で、わたくしの過去が封印されてしまったのです」
「置き去られたという過去をですか?」
「はい。生い立ちの秘密を〝見ざる言わざる聞かざるの箱〟に閉じ込めたのです。いまも、じつは封印中なんですの」
「でも、それを、いまお話になってしまわれましたよね」
・・・・○・・・・○・・・・○・・・・○・・・・
 番組は続いていたが、ボクチンはその場を離れた。離れながら、(それにしても?)と思った。
(あの話、リボンさんと何か関係があるのだろうか?)
 どうにも気になる対応なのだ。
 台所では、きょうの朝食当番のコロとプーコが、食事の支度にかかっていた。
「コロちゃん、おはよう」
「あっボクチンさん、おはようございます」
「プーコさん、おはようございます」
「おはよう。おや、ボクチンさん、何を首ひねっているの?」
 ボクチンは四十二歳、コロは十二歳、プーコは六十三歳。何だか、どれもおかしな呼び名だが、この農園ではこれが普通。農園にいるスタッフすべてが、じぶん以外の仲間の本名は聞かされていない。みゆ先生の方針によるものだ。呼び名はすべてじぶんからの申告で決まる。ボクチンとコロの名は、学校時代の愛称である。プーコは、太目の体を小さくしながら、「わたし、プーコでいいです」と申告したことから決まった。
「リボンさんが少し変なんですよ」
「リボンさんが? どんなふうに?」
「おはようございますって言ったのに、お返事をいただけなかったんです。テレビにすっかり気を取られていらしたからだと思うんですけど」
「それは変ねえ。テレビぐらいのことでお返事を忘れるようなリボンさんではないはずだもの」
「ですよねえ」
「覗いてみようよ」とコロが言ってから、赤い舌をペロッと出した。
「お行儀悪くない?」
「そうね、お行儀は良くないけど、リボンさんのことも心配ですから。ちょっとだけ覗いてみましょうかねえ」
 年長のプーコがそう言ったので、ボクチンも「そうしましょうか」と同調し、さっそくテレビのある談話室に三人は向かった。
 談話室の扉をそ〜っと開ける。体をこちらに残したまま、三人は串ダンゴを立てたみたいに首だけを談話室に突っ込んだ。
「…?」
 三人は、開けた扉をそ〜っと閉めた。無言のまま台所に戻ると、目を丸くしてお互いの顔を見合わせた。
「見た?」
「見ました」
「わたしも」
「どうしたのかしら?」
「どういうことでしょう?」
 テレビは点いていなかった。観ていた番組が終わったらしい。だがテレビの前のリボンさんは、うつむいて、白いものを目に当てていた。ハンカチだろう。あきらかに泣いていた。(続)