小説『木馬! そして…』2.

2.

「わたくし、去年のこの日に決めたことがあるんです」
「一年前に決めたこと。どのようなことでしょう?」
「つぎの誕生日が来たら、あることを打ち明けよう。そう決めたんです」
「そして迎えたその日がきょう…」
「そうです。その日がついにやって来たんです。それも偶然というか、こうして生番組への出演のお話までいただきましてね。とても運命的なものを感じております。神さまが、そうした場を作って下さったということかも知れませんね」
 ゲストの顔があまりに生真面目だったので、司会の女性アナウンサーは、声を出さずに頷いた。
「わたくし、捨て子だったんです」
「はあ?」
「函館の町外れの小さな祠の前に置き去りにされているのを、通りかかった人に発見されたんです。生まれたばかりの赤ちゃんでした」
 大女優の思いがけない告白に、マリーが「へ〜え」と言って幸子を見た。マリーとしては、幸子が相づちを打つものと思ったのだが、幸子は画面に目をやったまま無言だった。関心がないわけではないらしい。イスからその身を乗り出している。
 画面の中では、心なしか司会者の戸惑いが見える。こうした話の展開になることを、事前には聞かされていなかったのだろう。テーブルの上の進行表をチラチラ見ている。(予定していた話題を一部変更しなくては…)と思っているのかも知れない。
 元町あかりは話を進めた。
「わたくしを発見したのは、たまたまそこを通り掛った方でした。わたくしを近くの医院に運んで下さったそうです。ところが、よほど弱っていたようで、特別な治療が必要だということになり、救急車で大病院に移されたんですね。わたくしを発見して下さった方も、救急車に同乗して病院まで付き添って下さったそうです。この木馬は、その方が『この子のお守りに…』と言って病院の看護師さん、当時は看護婦さんと言っていましたけど、その看護師さんに手渡してくれたものだそうです」
「お守りに…ですか?」
「はい。その方は、こうおっしゃったそうです。これは、どのような状態にある命でも、それを守り通してくれる木馬ですよって」
「すごい木馬なんですね」
「発見されたときのわたくしは生死も危うい状態だったそうですから、その方の口からとっさに出た、ある種の慰めごとだったのかも知れませんけどね」
「でも、こうして命が守られたわけですよね」
「そうなんです。結果が示してくれたのですね。ですからそうした事実だけは、決して忘れてはならないことだと思っております」
「その方とはその後?」
「お会いしておりません。この事実を知ったのは、わたくしが孤児院を出ることになった十八歳のときでした。すでに十八年、そうした時間的経過もありましたが、その方をお探しできない別の事情も、そのあとから生まれたりしたものですから」
「おや」
「孤児院を出た二年後、わたくしは一つのチャンスを頂いて、スクリーンに立つことになったんですね。そのとき、映画会社の方針で、わたくしの過去が封印されてしまったのです」
「置き去られたという過去を…ですか?」
「はい。生い立ちの秘密を〝見ざる言わざる聞かざるの箱〟に閉じ込めたのです。いまも、じつは封印中なんですの」
「でも、それを、いまお話になってしまわれましたよ」
「はい。いまこの瞬間に解禁したわけです」
「解禁…。この発言をなさるについて、事務所とかは…」
「わたくしひとりの判断です。所属事務所には、何も伝えてありません」
 思いがけない話の展開。チラリと幸子を見たマリーが、(どうしたのだろう?)という顔をした。いつものように番組を楽しんでいるふうには見えない。口を引き締め、眼差しも鋭く、画面に喰らいついたままである。
 画面の中の元町あかりも、真剣な眼差しで話を続けている。
「とっさの慰めごとだったとしても、わたくしはいまこうして、元気に生きておりますよね。だとすると、あれは単なる慰めごとではなかったのではないか。その方がおっしゃったように、この木馬がわたくしを守ってくれたのではないか。そうであるなら、このままにしておいていいわけがありません。だから、去年のお誕生日の日に決めたんです。一年たったら封印を解き、木馬の恩人をお探ししよう。お探しして、心からのお礼を申し上げよう。そして、この宝物を命の恩人の手にお返ししよう─と。公共の番組で私情を述べることは許されないことかも知れませんが、一言だけ言わせて下さい。この木馬をお貸し下さった方、あるいはこの木馬にお心当たりがお有りの方、この番組をご覧でしたら、ぜひぜひ、ご一報をお願いしたいのです」
「ということだそうです。元町さんの命を救ったこの木馬、お心当たりがお有りの方は、ぜひ、ご協力のほどをお願いいたします」
  ・・・○・・・○・・・○・・・○・・・・ 
 この日の番組は、いつにも増して密度が濃く、二十分という時間がまたたくうちに過ぎてしまった。
「あの人が捨て子だったなんて、すごい告白でしたよね。わたし、あの勇気には感動しちゃうな」
 興奮気味に話すマリーの言葉だったのに、母からの返答は、番組が終了したこの時点になってもない。(どうしたのかしら?)と幸子を見ると、何やら、盛んに首をひねっている。
「ねえ、どうしたの?」
「…」
 まだ無言。
「ねえ、お母さん!」
「えっ? あっ、何?」
「きょうのお母さん、何か変。元町あかりの身の上話に感じ過ぎちゃった?」
「あら、何かおかしかった? ごめんなさいね。ちょっと別のことを考えていたものだから…」
「別のこと? 元町あかりのことじゃなくて?」
「ええ、まあね。子どものころのおもちゃのこととかをね」
「子どものころのおもちゃのこと? お気に入りの番組を見ながら? 元町あかりの話、聞いていなかったんですか?」
「半分ぐらいかな」
「ひど〜い。すごい話だったのに。いつもと違う顔で見ていたから、どうしたのかなあとは思っていたけど、そういうことでしたか」
「そういうことだったの。ごめんなさいね。さ〜て、きょうは日曜日。忙しい一日のはじまり、はじまり。朝食の支度よろしくね。わたしは水やりをしてきますから」
 あきれ顔のマリーを残し、幸子はハーブの温室棟へと水やりに向かった。(続)