ナナカマドの仲間たち 16.

16.刑事が太洋を!

 遭難から三日後の8月19日、常男の葬儀が行われた。
 もちろん、おれたちも参列したが、そこに太洋の姿はない。やつは病院のベッドの中。意識をなくして眠っている。意識が戻る保証もない。
 常男の葬儀だから常男がいないのは当然だが、二人を欠いた「六人組」という立場が、何と淋しく、何と切なく、何と不安なことだろう。加えて(自分たちが加害者だ)─という意識。周囲の目を気にするおれたちは、告別式が終わるまで、海の底の貝みたいに、じっと静かに沈んでいた。
 源治は、この三日間で目がくぼんだ。何もかも心の中に閉じ込めて、ずっと地面をにらんでいた。
 葬儀のあとも変わらない。とうとう源治は、おれたちとも口を利かないまま帰って行った。気持ちは分かる。だからおれたちからも、あいつに声をかけられなかった。
 おれたち自身もドン底だ。事実を曲げた会話ばかりが耳に届いた。葬儀会場そのすべてが針のむしろのようだった。
「海から来た子が、みんなを沼に誘ったそうよ」
イカダ作りをやろうと言ったのもその子だし、そんなオモチャで、とんぼ沼を渡ると言い出したのもその子だったみたいよ」
「村長さん、息子を殺されたって、泣いていたよ」
「あの子、臼田家の大事なあと取り息子だったんだよね」
「何事につけ、よそ者には気をつけんとなあ」
 救いはハッカケだけだった。
「あのね、たった一人を犯人みたいに言わんで下さい。あれはね、みんなの総意でやったことでね、予測もつかん天災でしゅ。それにね、よそ者ちゅう言葉もねえ。先祖をたどれば、だれもが最初はよそ者でしょうが」
「早乙女先生、あんたはあの子の教師だから、かばいたい気持ちは分からんでもないが、坊ちゃんは死んだんだよ。もっと言えばさ、教え子のことなんだから、あんたにだって、責任がまったくないとは言えんのと違うかね?」
「はい、責任は感じとりましゅ。申し訳ないと思っとりましゅ。でしゅがね、この件であの子を犯人みたいに言うのだけは勘弁して下さい。あの子はそんな子じゃない。一緒に遊んだみんなだって、あの子に扇動されとらんでしゅ。合意の上での遊びなんでしゅ」
 ハッカケは一人でがんばってくれたけど、その場の空気は変わらなかった。
 帰りぎわにハッカケが、「おまえたちは気にしゅんな」と言ってくれた。だけどおれたちは、太洋がかわいそうだとみんなで泣いた。

 事故から五日目の午後だった。焦点の合わない太洋の目が、ぼんやりと天井に向けられているのをミッコが見つけた。
「あっ、太洋の目が! おばさん! 太洋くんが!」
 ズボンの破れをつくろっていた太洋のお母さんが、バネじかけの人形みたいにピコンと立った。
「まあっ!」
 まさしくわが子の目が開いている。お母さんはベッドの太洋の手を取ると、その手をにぎって泣き出した。
「よかった、よかったよ! あんた生きててくれたんだね。あんたが死んじゃったら、母さんはね、どうしたらいいかと…。だって母さんにはね、今の母さんにはね、あんただけなんだよ。あんたしかいないんだよ!」
 お母さんの声が、窓の外の八月のセミを黙らせている。
 病室には、太洋とお母さんのほかに六人がいた。ミッコ、武、信之、里っぺとおれ。この五人の心の中では、小さなつぼみがふくらんで、花弁が今にも開こうとしていた。ところが、残る一人の心の中は違っていた。咲こうとして花のつぼみを、踏みにじろうとしているのだ。
「どけっ」と、男は武を手荒く払い退けた。
 私服の刑事だった。やつはベッドの上から太洋を見下ろし、百年のかたきを見るような目で言い放った。
「気がついたか!」
 太洋の目がチラリと動いた。まだ完全ではないうつろな目。その目に刑事が言葉を浴びせた。
「おまえの目は開いてよかったな。開かない目もある。永遠にな。常男ぼっちゃんだよ。亡くなったぞ。だれのせいだ? おまえ、海の男だとかと威張っていたそうじゃないか。だからって、泳げないぼっちゃんを嵐の沼に連れ込んだのは、どういう了見なんだ?」
 太洋のお母さんが、バサッと床にひれ伏した。
「すみません! ほんとうにごめんなさい! お許しください!」
「カン違いしちゃあ困る。これは捜査なんだよ。死人が出たんだ。調べないわけにはいかないんだよ。あんたの息子にはね、少しばかりの嫌疑がかかっているんでね」
 憎々しげに言い切ると、刑事はその目で太洋をグサリと刺した。
「ぼっちゃんが泳げないことをおまえが事前に知っていたなら、それは立派な殺人だ。どうなんだ? えっ、おまえ、ぼっちゃんが泳げないこと、知っていたんじゃないのか?」
 何てことを! 決めつけちゃっているじゃないか!
「そんなことないよ! 常男はおれたちにも泳げないことをかくしていたんだから」と武が言った。
「そうよ! 常男が泳げないって告白したのは、嵐になったあと、沼の真ん中でのことだったのよ!」
「それでも太洋は、最後まで常男を助けようとしていたんだ!」
イカダを作ろうって言ったのも、それに乗ろうと言ったのも、どれもこれもおれたちなんだ! 太洋はやめろと言ったんだ!」
 口々に出たおれたちの言葉は、訴えると言うよりも、白状であり抗議であった。
「うるさい! おまえたちには聞いていない!」
 刑事は目をむいて怒鳴った。
「すいません! お許しください!」
 太洋のお母さんが謝り続ける。
「謝ってすむ話じゃないって言ってるでしょう。あのね、あんたの息子は、えらいことをしちゃったんだよ。よそ者だから言っているんじゃない。これは適正な捜査なんだ。とにかくだ、どこから流れて来たか知らんが、ふらっと来たやつがいたためかどうか…。村長がご子息を亡くされたことは、事実なんだよ。だから解明が必要なんだ。だれが沼にイカダを浮かべようと言ったのか? だれが向こう岸まで行こうと決めたのか? 全体計画の責任者はだれだったのか? 海の知識を持ったふりをしていたのはだれなのか?被害者である村長さんの疑問にも、警察としては応えていかなくてはならんのだよ」
「申し訳ありません! ですけど刑事さん、太洋はまだ意識をやっと戻しかけたばかりですから…」
「だからこっちは、じっと五日も待ったじゃないか。いいからあんた、ちょっとそっちへ退いといて…」
「ねえねえ、刑事さん」
 ふいに背後から声がかかった。刑事もおれたちもふり返った。ドアの内側に立っていたのは、いつ入ったのかハッカケだった。
「うん? だれ、あんた」
「ハッカケ」
「何?」
「刑事さん。あなた、聞いとったら太洋を犯人みたいに言っとるけど、逮捕状でも出とんの? 捜査令状でも持っとんの? よそ者とかって、ここに来たもんは、み〜んな最初はよそ者でしょうが。刑事さんはどっから? あたしねえ、ションベンたれのこっからここにおるけん、刑事さんを知らんのよ。あなた、いつ、どっから?」
 この質問に、刑事は一瞬言いよどんだ。
「いや、本官は…、まあ、よそとかじゃなくて、これ、仕事だから…。で、おたくさんは?」
「だからハッカケって言ったでしょ。この子らの担任」
「ああ、なんだ、学校の先生ね」
「そう。その『なんだ』というやつ。あたしのことは『なんだ』でも『かんだ』でもええ。だけんねえ、ええと思えんことがある」
「何のことかね?」
「何一つ裏づけもないまま、偏見だけで人を見ること」
「何一つ裏づけもないまま? 海から来たんだよ。海を知るのはこの少年だけなんだよ。海を知らんもんだけで、海を目指そうなんて発想は、成り立たんのと違うかね?」
「ほう、なるほど」
「しかもこの子は漁師の子だ。船にも乗って育っているんだ。水の上なんか屁でもないとね、それぐらいの気だったに違いないんだ」
「ほう、ほう、ほう」
 ハッカケが二度三度とうなずいた。
 刑事が〝ほらみろ〟みたいな顔をした。相手が折れたと思ったらしい。
 ハッカケが言った。
「刑事さんの発想はしゅばらしい」
「ダテに刑事なんかしとらんからね」
「ほうほう、なるほど。ところで、それって刑事さん独自の発想? それとも、警察としての見解?」
「もちろんわたしの見解であり、それは、同時に警察としての見解でもある」
「ほ〜う。そうなると問題だ〜あ。いや、あたしの身内の問題ってことね」
「身内の問題?」
「そう。これ、あまり言いたくないことだけん、刑事さんの仲間に、あたしの兄貴がおるのね。あたしは三十、あっちは四十八。十八歳も上の兄貴がね」
「名前は?」
「早乙女忍」
「何課に勤務? 派出所かな?」
「そう。最初は派出所で…。いや、そんなことはどうでもええの。問題は、それが警察の見解だとしゅると、兄貴までがこの子に嫌疑ありと言っとることになる。となれば、そんなバカ長男、八男坊のあたしとしては、しゅぐにでも電話で抗議しなくちゃね。刑事さん、無線持っとる?」
 刑事が人差し指をワイパーのようにふった。
「ない。じゃあ一階の公衆電話からかけるかねえ」
「ちょっと待って」
 歩き出したハッカケを、刑事が呼び止めた。
「電話って、何課にかけるつもりなの?」
「総務課かなあ? それとも…秘書課ってあるのかなあ…」
「ちょっとあんた、秘書課なんかにかけたって…。えっ? 秘書課? 秘書課って…」
 刑事がギョロリと目を天井に向けた。ピコピコッと何かを感じたようだ。
「…あらっ? もしかして早乙女忍って…。わっ、署長! 早乙女署長!」
 そんな刑事におかまいなく、「とにかくバカ兄貴に電話して来っから」と、ドアのノブを引こうとしたハッカケの手を、刑事があわてて引っつかんだ。さらにその手をグイッとたぐり、ドアからハッカケを引き離した。
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ、先生! カン違いしとらんでしょうか? これはですよ、公の立場にある村長からの疑問を受けた本官が、本官の責任においてやっていることなんです。ねっ、だから署長への報告は、そのあとということなんです。署長には、まだ何も報告しとらんことなんですよ」
「でもあなた、さっき、この子に嫌疑ありと言っとったがね」
「嫌疑? この子に? 言ってません」
「確かにさっき…」
「言ってません!」
 刑事は、首をはげしくふった。
「だって…」
「言ってません! それ、聞き違いです。問題解決にはこの子の元気、元気が戻ればすべて解決。元気がかかっているって言ったんです。嫌疑じゃありませんよ。元気元気、元気ですからね」
「元気? 問題解決には、この子の元気がかかっているって?」
「そうです、そうです。そう言ったんです。元気です、元気です」
「嫌疑じゃなくて、元気でしたか。そりゃ失礼。早とちりでした。兄貴の前でバカやっちゃうところだった。いや、あたしとしたことが、あっはっはっは…」
 ハッカケが笑い出すと刑事も無理に笑って見せた。それから、しわくちゃに丸めたハンカチを取り出すと、刑事はおでこのあたりをゴシゴシふいた。
「いや、あたしのドジは置いといて、刑事さん」
「はいっ!」
「この子の元気快復を祈って頂き、まことに感謝でしゅ」
「いえ、なに、その…」
「まことにありがとうございました。はい、気をつけ!」
 自分で自分に号令をかけ、直立不動の姿勢を取ったハッカケは、「ご苦労さまでした!」と刑事に向かって最敬礼した。
 あわてたのは刑事だ。自身も直立不動となって最敬礼のお返しをする。そして「では本官は、あとが控えておりますんで、これにて失礼をば!」と叫ぶと、右手は敬礼のまま、刑事は尻から病室を飛び出して行った。
 ハッカケは余裕だ。
「ご苦労様で〜しゅ!」
 大きな声で刑事を送り出すと、おれたちをふり返り、「行っちゃったわ」と片目をつぶった。