ナナカマドの仲間たち 14.

14.『深山流艇八星号』

 その日の午後、おれたちのイカダがとんぼ沼に浮かんだ。自然の中にあって、自然から得た自然の申し子のようなイカダ。サギ湖の競技会に出るどんなイカダよりもかっこいい─と、おれは思った。
 三本のつかまり棒の後方の一本には、旗ざおがくくりつけられ、そこでひるがえっているのはおれたちのシンボル旗だ。里っぺが昼めし時間を利用して仕上げて来た。
「これをおまえ、たった二時間で?」
「天才的だなあ」
 その早さには驚いたが、でき上がりにも驚いた。
 旗づくりを里っぺに託したとき、おれは、普通の四角い旗を想像していた。ところが里っぺの旗は、父ちゃんの古くなったランニングシャツを、そのまま利用するという奇抜なアイデアに富んでいた。肩にかかる部分にさおを通し、落ちないように肩の部分を洗濯ばさみで固定させる。こうするとシャツの中を風が流れ、旗が鯉のぼりのように泳ぎ出すという寸法。
 デザインは、シャツを横にして、上からオレンジ、ホワイトブルー、グリーンの三色に塗り分けてある。長方形なら、ドイツやオランダのような三色旗といったところ。背中の側も同じデザインになっている。文字も入っている。オレンジの部分には『深山流艇八星号』という文字が横一列に書き込んである。ホワイトブルーの中央には、これも横一列に黄色い星が八つ並んでいる。
 最初に旗を広げたとき、源治は「えっ、これが旗かよ」と言った。ほかの連中の反応も同じようなものだった。おれも最初は(これが?)と思った。だけど不思議なことに、見ているうちに新鮮なイメージがグイグイ魔法のように湧き出して来た。それを後方のにぎり棒にくくりつけたら、旗の魅力は爆発的に開花した。三色旗が筒状の生きものとなって、見事な泳ぎを見せたのである。
「いけるじゃん!」と源治が叫んだ。みんなからも評価の言葉がつぎつぎ飛び出した。
「ほ〜う、いい感じだよ」
「うん、冒険船にはバッチリだ」
「でもこれ、何て書いてあるの?」
「ミヤマ・リュウテイ・ハッセイゴウ」
「意味するところは?」と信之が聞いた。
「オレンジは、太陽が輝く空を表したつもり。ホワイトブルーは、希望や積極性を意味したつもり。黒尾川の水の意味も込めてるけどね。グリーンは、心のやすらぎと調和の色ね。あたしたちを育む大地のつもり。八つの星は、その一つひとつがあたしたち。『深山流艇八星号』は、読んで字の通り。深山村の激流を走破する八つのスターの船ということ。八人が結束して七つの海を目指すぞ─という強い意志の表明よね」
「へ〜え、すげえじゃん。『深山流艇八星号』かあ。かっこいいなあ」
「へへへ、おれたちスターってわけね」とおどける武。
「汚ねえスターだなあ。喜んでも、よだれまで垂らすなよ」
 ミッコが両手を腰にあてがい、しげしげと旗を見ている。
「ほんの二時間で、よくここまで仕上げたものねえ。シャツをそのまま使うなんて、並みの発想じゃないよね。デザインもすっきりしているし。里江ちゃん、やっぱり絵の素質が光ってるよ。夢が一歩一歩、向こうからやって来ているよね」
「ありがとう。光っちゃんの言葉だから、素直にうれしいな」
「おれだって、いけるじゃんってほめたんだぞ」
「あんたたちの言葉は、風の中の枯れ葉みたいなもんだから…」
「何だ、それ?」
「舞い上がったかと思うと、どぶに落ちたり、闇に消えたり。振り向いたら、もうここにはないってこと」
「何だよ、もう!」
 夏の風がハタハタと、おれたちの象徴旗を吹き流している。
「さあ、乗るべ。まずおれからだ」
 勉強以外のことなら何でも先頭に立ちたがる源治が、ここでも当然のように先頭宣言をした。
 ところが、「イカダに乗り方なんてありゃしねえ」と大口をたたいたわりにパッとしない。ギロリとイカダをにらみつけ、腰を落とし、「イヨッ」と岸から飛び乗ったと思ったら、バランスをくずし「おーっ、とっとっと…」と反り返り、両手をぐるぐる回している。まるでサーカスのピエロだね。水に落ちたら演技賞ものだと期待したが、あいつ、何とか踏みとどまった。
 つぎは武。源治に負けまいと勇んで跳んだが、着地点がずれてイカダは大きくかたむいた。
「わっ、バカ、ゆらすな!」
 源治はふたたびピエロのような仕草のあと、何とかつかまり棒にしがみついた。一方の武は、食い過ぎたヒキガエルみたいにドタッと腹からイカダに張りついた。
 三番手はおれ。「えい!」と気合を入れて跳んだけど、「わっ、わーっ!」で水中にドボ〜ン! みんなを「キャッキャ」と喜ばせちゃった。
 おれが落ちたのを見た常男は、跳ぶのをやめ、ワニみたいにずりずりイカダに這い上がった。
 ミッコには、武が当たり前のように手を差しのべた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 聞いちゃいられない。
 里っぺに手を貸したのは源治。何となく二人して照れている。常男が、それを不愉快そうに見ている。
 七人目の信之は、みんなの失敗を教訓としてソロリと乗り、ふらつくところを武に支えられた。
 最後は太洋。ヒョイと跳び乗る。イカダはゆれることもなく、波を作ることもなかった。
「あらまあ、さすがねえ」
 ミッコや里っぺは素直に感心したけれど、源治と武は、じつは感心しているくせに、(見ていませんでした)みたいな顔を空に向けている。そんな二人を見たミッコが、「かわいいよね」と言い、里っぺは「まだうぶ毛の季節だよね」と笑った。
 太洋が言った。
「船はバランスだよ。一人でもバランスを欠いたら、こんなイカダ、簡単にひっくり返るからな」
「分かったよ。船長はおまえだ。以後命令に従うであります!」と源治はおどけて敬礼をしたが、水の上では先頭に立てないくやしさが、いくらかその顔に現れている。
「最初に聞いておくけど、泳げないやつ、いるか?」
 太洋のこの質問に、「バカにすんない!」と叫んだのは武だ。それはそうだ。山にだって泳ぐところはいくらもある。つい先日も、みんなして黒尾川で水遊びをしたばかりだ。風邪っぽいからと、常男だけは岸から見ていたけど─。
「水がこわくて生きて行けるか!」と叫んだのは、いま敬礼したばかりの源治だ。
「そうよ。産湯からして黒尾川の水だったんだから」とミッコも威勢がいい。
「犬かきなら負けないぞ!」とおれが言ったとたん、「かっこわりーっ」の声が飛び、笑いも起こった。ちぇっ、言わなきゃよかった。
 ポンポンと出る抗議の言葉を、太洋はニコニコ聞いた。
「だったら安心だ。もしイカダが引っくり返ったら、周囲をよく見て、一番近い岸を目指すんだぞ」
「分かってらあ!」
「一年坊主じゃねえぞ!」
 いちいち文句を返すおれたち。
「じゃあ、いまから向こう岸まで横断する。万が一、真ん中あたりで引っくり返ったら、最低でも百メートルは泳ぐことになる。気を引き締めて行こうぜ」
「くどいってえの」
「漕ぎ手は左右に三人づつ。源治と武とミッコは右。吉松と里っぺとおれが左。信之と常男は発声担当」
「何、それ」と常男が口をとがらせた。役不足と思ったらしい。
「おれの声に合わせて〝せーのーっ〟って発声するんだよ。つかまり棒につかまったままでいいからな」
「それだけ?」
「あとは、体を左右に倒してイカダのバランスを取ること。これ、すごく大事なことだからな」
「大事かあ。うん、分かった!」
「漕ぎ手は、おれや常男たちの声に合わせて漕ぐ。リズムの乱れは転覆の原因になるから、かけ声に呼吸を合わせることが第一だ」
「おれの声に合わせること。そこが基本だ」と常男が言い足したので、みんなは思わず吹いてしまった。