ナナカマドの仲間たち 13.

13.太洋の一喝

 出航の準備は整った。夏休みだから時間だけなら山ほどある。その意味ではいつでも出航できるのだが、事はそれほど簡単ではない。
「出航、いつにする? そこが問題だよな」
「あしたじゃダメなの?」と常男が言った。
「おまえはノウ天気でいいよ」
 武が常男の肩に手を置いて、顔をのぞき込むようにして言った。
「どういうことだよ?」
 ムッとした顔で常男が問い返す。
「おまえ、イカダで海まで行って来ますって、親に言えるの?」
「えっ、…そうか。まずい…かも」
「かも? その程度? おまえがそれを口にしてみろ。その日のうちに、おまえのおやじが手をまわし、村長のおぼっちゃま以外のギロチン首が七個並ぶことになるんだよ」
 武の表現はオーバーだけど、「イカダで川を下って海に行く」と言ったら、「おや、そうかい。気をつけて」と送り出す親がいる? 普段は子どもの遊びに口出ししないうちの父ちゃんだって、ポカリと一発飛ばして来るかも。
「おれんとこなんか、一発じゃすまねえよ」と源治が言った。
「うちは母ちゃんだ。メシを三日は抜かれるな」と武も言った。
 弱音を吐く男どもに、山んばの子孫かも知れないミッコが言った。
「何言ってんのよ、あんたたち。そんなこと恐れているんだったら、何でイカダなんか作ったのよ!」
 武が情けない顔でうなずいた。(あなたのおっしゃることは、ごもっともでございます)という、ミッコへの服従の姿勢である。
「そうは言うけどよう…」と源治が言った。「おまえって、四人きょうだいの中の一人娘だろう。それが『イカダで海へ』なんて言える? 娘がそんなこと言い出したら、えらいことになるのと違う?」
「そりゃなるわよ。だからそんなこと、親に言えるわけないじゃない」
「何だよ。それじゃおれたちと同じじゃねえか」
「そうじゃなくて、ここよ、ここを使うの」と言いながら、ミッコは人差し指で源治の頭をトントンと突いた。
「うっせえ」と源治はその手を払ったが、ミッコは話を続けた。
「一人で怒られるのと、みんなで怒られるのとでは、どっちがいいかってこと。源治なんか家でも学校でも怒られっ放しなんだから、十分学習ずみじゃない。比べてごらんよ」
 源治は「ふん」とそっぽを向いたが、ミッコ党の武が指を鳴らした。
「そうかあ! みんなで怒られたらいいってことね。集団家出だよな。帰って来てから、がん首そろえてゴメンナサイ! いいんでねえの?」
「風力を八分の一に減らすってことかあ」と里っぺもうなずいた。
「やっちゃおうか、光っちゃん」
「里江ちゃんがやる気なら、あたしだってやるわよ」
 男は六人、女は二人。数の上では少数派だが、重要場面における女の力はあなどれない。本人がどう感じているか知らないが、ミッコの側にはイソギンチャクの武もいる。
「よ〜し!」と源治が腹を決めたみたい。このまま女どもに引っ張られては、自称「番長」にキズがつく。弱音は禁物。先頭に立つ者こそが番長だ─みたいに思ったのだろう。ここに源治は、世紀の大宣言をしたのである。
「やるぞ! 集団家出の冒険作戦決行だ!」
「おーっ!」とおれたち男のはしくれも、あと先もなく呼応した。決断力のあるおれたち。結束力の強いおれたち。協調性の高いおれたち。雰囲気に弱いおれたち。すぐ流されるおれたち。格好だけはつけたがるおれたち。女の尻馬に乗ってしまうおれたち。太洋だけは異質だけど…。
 おれたちは、大作戦を秘密のうちに実行するための相談に入った。
「まず、集団家出の決行日をいつにするかだ」
「一応、心の準備もあるから、いきなりあしたというのは無理よね?」
「一日置いて、あさっては?」
「あさっては土曜日だから、そのつぎの日がいいよ。日曜の方が『ピクニックに行くから』とか言いやすいじゃん」
「日曜もヘッタクレもないだろう。夏休み中だぞ。毎日が日曜日じゃねえか」
「だったら、やっぱりあさって?」
 ああだこうだ言い合っていたら、そこまで黙っていた太洋が「順序が逆だろう」と、いくらか強い口調で言った。
「順序が逆?」
 はてな(?)のマークを頭に浮かべた顔が七つ。
 太洋が、疲れる連中だ…みたいな顔でおれたちを見た。
「決行日を決める前に、やるべきことがあるだろう。決行日を決めるのは、その結果を見てからのことだろう」
「やるべきこと?」
「まだ何かあったっけ?」
「あのね、イカダにだって乗り方があるんだよ」
「乗り方?」
「櫂の使い方や波のとらえ方、呼吸の合わせ方。まだみんなは、何一つとして練習してやしないだろう」
イカダに乗るために? ぷっ」と源治が吹いた。
「笑わせるなよ。イカダなんか、戸板に乗るのと同じだろう。乗り方なんかありゃしねえよ」
 これには武も笑って言った。
「そうさ。見ろ、このまっ平でみごとな作り。うちのポチは水が大の苦手だけど、これだったら尾っぽをふりふり跳び乗って、ボルガの舟歌なんかを歌い出すって」
 このことだけについて言えば、太洋以外の七人の気持ちに大差はない。それというのも、深山村の秋祭りの一つに『手作りイカダ大会』というのがある。村のはずれのサギ湖に自作のイカダを持ち寄って、見た目の美しさやユーモア性を競うイベントだ。ここで求められるのは「速さ」や「安定性」より「美しさ」や「ユーモア性」だ。審査基準がそうだから、結果として性能面はおろそかになり、不安定であろうと、奇抜さを演出したイカダが上位を占めることになる。優勝イカダは、いつ引っくり返ってもおかしくないようなものばかりだ。それなのにおれたちは、内心で期待している沈没場面を、ほとんど見ることがない。イカダとは、そもそもがそういう安全な乗りものなのだと、おれたちは毎年の大会で見せつけられていたのである。
 それらに比べたら、おれたちのイカダは安定面で際立っている。幅もあるし長さもある。沈没なんて考えられない。心配ごとを上げるとすれば、イカダではなく、八人目の乗組員が常男だということぐらいだ。
「おれたちは、毎年あの大会を見てるんだ。櫂さばきがどうのと言う前に、このイカダを引っくり返す方がむずかしいって」
イカダに乗ってみたことあるのか?」
「乗らなくても、見てりゃ分かる」と武が言ったとき、これまで見たこともない爆弾が破裂した。
「ふざけんなっ!!」
「うぉっ!」とおれたち。胃袋にドスン!
「やりもしないで、知ったふうなことをぬかすんじゃないよ!」
 あの温厚な太洋が、血相変えて怒鳴ったのだ。
 全員ビビった。
「そんなに怒るほどのことかよ」と源治は言ったけど、語尾が消えかかっている。太洋の迫力に完全に負けていた。
 太洋は、おれたちを突き放すように言った。
「水を甘く見る気なら、おまえたちだけで行ったらいい。おれは降りる」
 みんなは黙った。やつの目力に押されて反論ができない。重い空気がその場を包んだ。
「おれは帰る」
 太洋が立ち上がって背を向けた。
「待って」
 常男だった。踏み出そうとした太洋の足が止まった。
 常男は太洋にではなく、おれたちに向かって言った。
「海を知ってる男の忠告なんだ。おれは練習したらいいと思う」
 救いの言葉だった。ミッコが常男の言葉を引き継いだ。
「考えてみれば、あんな簡単な自転車だって、いきなり乗れる人はいないもんね」
「だよな。イカダだって乗りものなんだ」─と、これは言わずと知れた武の言葉。
「やってみたらいいのさ、うん。うまく乗れたら、それはそれで一つの成果なんだから」
 何事も丸く収める信之の言葉が、その場の流れを決定づけた。
「じゃあ、きょうは午後から練習航海。その結果を見て大冒険の決行日を決める。なっ、太洋、それでどうかなあ?」
 源治が、言葉を選ぶように言った。
 太洋がふり返った。
「それならいい」
 いつもと同じ平常心の言葉が返った。ホッとするおれたち。
「ほかに、決めることあるか?」と、源治は、ことさら何事も無かったような言い方をした。何事も無かったかのような顔をしているのは、おれたちも同じだ。だからダジャレも突っ込みもない。
「旗を作らない?」とミッコが言った。
「旗?」
イカダに立てるのよ。だって世紀の大冒険なんだから、それを象徴するものって欲しいと思わない?」
「欲しい!」と叫んだのはおれ。モノには何にでも名前がある。もちろん船にも名前がある。イカダにだってあっていい。日本海を目指すのだから、その大冒険にふさわしいもの。大冒険を象徴するもの。そんな何かがあっていい。
「だれが作るの?」
「もちろん里ちゃんよ」
「うん、里っぺは絵がうまいからなあ」
「県展で金賞だもんな。よし。旗作りは里っぺの担当。いいよな?」
「あたしでよければね」
「よければじゃないの。おまえがいいの。時間はないけど、かっこいいやつ頼むぜ」
 将来の夢は画家という里っぺだから、自信があるのだろう。旗の製作を、あいつは快く引き受けた。
「じゃあ、午後から初の練習航海だ。昼めしのあと、またここに集合しようぜ」
「じゃあな」とおれたちは、いったんわが家の昼めしに戻った。