ナナカマドの仲間たち 11.

11.「イカダ冒険団」結成!

 秘密基地ができて以来、放課後の遊びは、何をやるにも一度秘密基地に集合してから始めていた。夏休みに入った今は、約束をしているわけでもないのに、朝九時にはほとんどの顔がそろう。
 遅いのは信之。やつは「少年おやじ」だ。毎朝の新聞を一通り読み終わってからやって来る。たいてい最後に来て、「うん、『二十四の瞳』という映画が公開されて、それがなかなかの評判らしい」とか、「都会の女は今、ナスもカボチャも髪を短くしているらしいぞ。うん、〝ヘップバーン刈り〟とか言うらしい」とか、「永井荷風が、三千万円記入の預金通帳を落としたんだと」などと、その日の新聞ニュースを知らせてくれる。でもね、レベルにズレがあるから、話題が噛み合わないことが多い。
「長いイカ? 何それ」
イカじゃないよ。永井荷風っていう文化勲章の作家だよ」
「作家かあ。三千万円ったら、常男のおやじよりも金持ちだなあ」
「常男のお父さんだって負けてないわよ。おカネのほかに、この辺の土地をゴッソリ持っているんだから」
「だったらミッコ、おまえ、将来常男と結婚すれば?」
「だめだよ源治。ミッコには武がいるんだよ。おれ勝てないよ」
「ばかやろー」と、武が常男の頭をボコンと叩いた。ミッコは余裕で笑っている。
 夏休みの秘密基地は、毎朝こんな道化みたいな会話があってから、「さて、きょうは何するべえ?」ということになる。
「台風で流れ出た倒木が、黒尾川のよどみには、まだいっぱいあるわよ。何かに利用できないかしら」
「秘密基地、もう一つ作るか?」
「いらないわよ。家庭不和のもとじゃない」
「あれはどうかなあ? うん、あれなら源治に引っ張ってもらわなくても、全員が乗って走れるし、作ることも簡単だし…」
 信之が、一人で〝昭和のエジソン〟ぶっている。
「八人が乗って走る? そんなの流木で作れるわけないじゃない。それも吉松が言ったような、源治をエンジンに見立てた〝リヤカー自動車〟的な発想じゃないの?」
 ミッコの指摘にも、信之は澄まし顔で続ける。
「作れるんだなあ。しかも、全員乗って二百キロ先へも行ける」
「あんた、この中では頭一つ抜けてると思っているようだけど、ダ・ビンチやエジソンにはかなわないのよ。ダジャレで車は走らないしね」
「そうかなあ」と信之は、まだとぼけている。
「参考までに聞いてあげるわよ。それ、どんな乗りもの?」
「車輪がない乗りもの」
「空でも飛ぶの?」
「空は無理だな」
「じれってえなあ。どこを走るのか早く言えって!」
「水の上」
「水の上? 水上スキーか?」
水上スキーは引っ張る何かが必要だろう? 水の上ではその役を、うん、源治に頼むわけにもいかない。ではどうする。うん、水は低きに流れる」
「あっ、イカダ!」と里っぺが叫んだ。
「キンコンカ〜ン! イカダなら簡単に作れるし、それで黒尾川を下れば、黒尾川から千曲川、さらに信濃川を経て、日本海へも出ることができるんだな、うん」
「大きく出やがったなあ、おまえ。沖でクジラと遊ぶ気か?」
「遊ぶんならハワイがいい。バナナ千本食えるもん」
 バナナ千本はおれの発想。源治もおれも〝イカダ下り〟は冗談として受け止めたのに、ミッコはそうでもないらしい。
「それ、ちょっとおもしろそうね」
「おもしろそうって、クジラと遊ぶ方? バナナを食う方?」
イカダよ。ねえ、それ作って、ほんとうに海に出てみない?」
「本気かよ?」
 武はミッコの心を測りかねている。ドジらないためには、彼女の本心をつかんでおく必要があるのだ。
イカダで海まで、一日じゃ着かねえぞ」と源治がけん制した。
「一日どころか、うん、一週間はかかるでしょうなあ」と信之。
「そんな時間のかかる遊びを、ペロリと提案するんじゃないよ」
「いいじゃない。どうせ夏休みなんだから」
「夏休みだからって、おまえ、まさか…」
 源治も武同様、ミッコの心を測りかねている。
 アッケラカンは里っぺだ。
「それ、いいかもよ。小学校最後の夏休みだもん、何か大きな想い出を作りたいよね」
 女ってすごい。源治は強いけど、やつのおやじはもっと強い。そのおやじよりも強いのは、源治の母ちゃんだ。おれの家でも、いざとなったときの決断力は、父ちゃんより母ちゃんが上。風呂を薪から灯油に換えたのも、置きごたつを掘りごたつに換えたのも、母ちゃんの決断だった。もしかするとこの村は、山んばが支配した里かも知れない。日本国の親分も、元は卑弥呼とかいう女だったそうだから。
 女二人が色気を見せたイカダ作り。冒険王を自認する源治としては、おだやかではいられない。(このままでは組織を女に乗っ取られる)…と思ったのだろう。ここで源治は、心にもないハッタリを噛ませた。
「よし! おまえたちが望むなら、一丁、やってやろうじゃねえか!」
 本心ではない。そこが源治の読み違い。ミッコたちが「あれは冗談よ」ぐらいに言うと思ったのだ。まさかミッコと里っぺが、真顔でうなずくとは思わなかった。
 うなずくミッコを見てあわてたのは武だ。反射的に「おれもやる!」と叫んでしまった。たとえ火の中、水の中。ミッコとならばどこまでも─。ああ、いじましくもあり、痛々しくもある。
 想定外の流れの中で、源治の鼻の穴がふくらんでいる。
 それまで黙って聞いているだけだった太洋がポツリと言った。
「黒尾川にアユはいるの?」
 信之が「いい質問です」と教師ぶった言い方をした。
「うん。サクラマスを見たって人がいたらしいのだよ。ただし、見たというのはその人一人だけ。ほかに見た人は現れてはおらん。してみると、うん、真実を知るのはその人物と神のみということになる」
 信之のおどけ口調に対して、太洋は名探偵シャーロックホームズって感じでしぶい。推理を解きほぐす口調でつぶやいた。
「なるほど…。真実なら、つながっているってことになる」
「そう。可能性は十分ですな、ホームズくん」
 何じゃい、こいつらの会話? 二人は何を話しているんだろう?
 キョトンとするおれたちを見て、信之が説明してくれた。
 ヤマメという魚は、山に残るものと海に下るものとに別れる。成魚となっても川に残ったものはヤマメのままだが、川を下って海に出たものは、そののち、大きなサクラマスとなって生まれ故郷に帰って来る…というのである。となると、サクラマスがいたということは、一度川を下って海に出てから、ふたたび山に戻った魚がいたということで、それが事実なら、この黒尾川につながる一級河川全体に、魚の遡上の障害となるような滝やダムはないということになる…ということらしい。
 えらいやっちゃ。サクラマスも信之もえらいが、そうしたヤマメという川魚の特異性を、海の男の太洋も知っていたということで、まったく太洋って、えらいやっちゃ。…うん? もうひとつ、えらいこっちゃぞ。「真実なら、つながっていることになる」と言った太洋のこの言葉。聞きようによっては、イカダによる川下りに太洋も興味を示している─と受け取れないか?
 みんなにも変化が生まれている。ひょうたんから駒が転がり出した感じがする。冒険話が途中から、トントン進み始めたのだ。
 これには理由がある。「太洋だけが知っているほんものの海というものを、自分たちも見てみたい」─という気持ち。写真でしか見たことのない大きな海。常男は「映画で見た」と自慢したけど、ナマの海は映画なんかじゃ味わえっこない。音をたてて寄せ来る波。水平線を越えて地球の裏へと渡って行く船。飛び交うカモメ。青空に弧を描くトビウオ。「エイッ」と反り返る巨大なシャチ。入道雲。潮の風…。ほんものの海は、太洋一人のものではないのだ。
 ─イカダを作って太平洋へ─
 信之のこの発想が、おれたちの夢を大きくゴロリと転がした。
 何をするにも、やっかいなのは臆病者の常男だ。
「おまえは映画で見ているから、いまさら海なんが見たくないよな」と武が探りを入れたら、「おれだってナマの海が見たいよ!」と鼻息の荒い答えが返った。
「ということは、おまえも行くの?」
「あたりきだい!」
「分かったよ。おまえも一緒ね」
「あたりきだい!」
 曲がりなりにも、八つの心を一つにした『イカダ冒険団』が結成された。