ナナカマドの仲間たち 5.

 5.ふしぎな魅力
「海の男」と名乗ったわりに、太洋は木登りが好きだった。太洋がいないとき、おれたちは大きな木を片っ端から見上げて回った。片っ端と言ったって、ケヤキやサワグルミの何本かを見上げるだけのこと。何本目かの茂みの中に、たいてい太洋の姿があった。
 太洋を見つけると、おれたちは声を合わせて「おーい!」と呼んだ。すると高いところから、「おーう!」と太洋の声が返った。
「そんな高けえところで何してる!」
「地球を見てる!」
「地球の何を見てんのよ!」
「海だよ!」
「海だあ? ぷふっ、海は見えたか!」
「まだ見えない!」
「ぎゃっはっはっはっ…」
 おれたちは、腹を抱えて大笑いだ。この村から海なんか、百年待っても見えやしない。
「バカは高かい所に登るって言うけどよう」と、源治が半ば感心したふうにつぶやくと、「あれじゃ、まいごの海坊主だな、うん」と、哀れなタコを見るように信之が言った。
「おもしろいじゃない。あんたたちにはないタイプよね。刺激だなあ」とミッコは案外楽しそう。
 ミッコの言葉に、すぐ反応するのが武。
「じゃあ、おれも高けえ所に登ろうかな」
 ミッコの気を引きたいのだ。あきれた源治が、「バカって伝染病だっけ?」と信之に話をふると、信之は級長らしく大真面目に答えた。
「そうだよ。まいごの海坊主がバカの菌を持ち込んだんだ、うん」

 あるとき、茂みの中から固く丸めた紙っ切れが落ちて来た。木の上から何かが落ちれば、あいつの仕業に決まっている。だからおれはあてずっぽうに、「やいコラ、汚ねえぞ! 鼻紙なんぞ落とすな!」と怒鳴ってやった。
 するとやっぱり、返って来たのはあいつの声だ。
「おう。ぬれてて、ごめんごめん」
「だから、汚ねえって言ってるだろう!」と源治がやり返すと、「悪かった。それ、かわいたら、使ってもらっていいからな」と来たもんだ。
「けっ! なんだよ、あいつ!」
 開いた口がふさがらない。おれたちは大樹を見上げて、口々にののしってやった。
「ふざけやがって!」
「鼻たれ野郎!」
「バカのバイ菌を持ち込むな!」
「あいつ、B型かなあ?」
「B型はあたし!」
大自然をだね、うん、海坊主のたれ流し汚染から守りましょうよね!」
「おまえ、その言い方、級長を意識し過ぎてない?」
 みんな口ではいろいろ言ったけど、でもなぜだろう? 源治も武も、あいつを木から引きずり降ろそうとは考えないし、信之や常男も半分ニヤニヤしているし、ミッコや里っぺなんか、絶対におもしろがっている。
 そうなんだ。おれたちはあいつを、これっぱかりも憎らしいとは思っていない。それどころかおれたちは、きのうからきょう、きょうからあしたへと、日を追うごとに、あいつのとりこに成り下がってゆく。あのふしぎな魅力は、一体どこから来るのだろう? もうおれたちは、あいつなしでは遊べなくなってしまった。

 おれたちは、冒険遊びが好きだった。そそり立つガケをよじ登ってイワツバメの巣をのぞいたり、月夜の森に空飛ぶムササビを見に行ったり、ときに、お化け屋敷の探検もした。
 太洋は、おれたちが提案する遊びは何でもやったし、何をさせてもおもしろがった。イワツバメのときは、里っぺがあやうくガケから転落しそうになったし、おばけ屋敷の探検では、常男がおしっこをちびったけれど、太洋はどんなときでもスッパリしていた。ここが生まれ育った土地かのように、何から何までスイスイこなす。何てことだ。元祖山育ちのおれたちは、太洋にほこれるものが何もなかった。
「ねえ源治」とミッコが言った。
「何だよ」
「あんた、山のこと、何か、太洋くんに教えてあげた?」
「しつこいんだよ」
「けどよう、源治じゃなくても思うよな。クモも平気、カマキリOK。ヤンマ獲りも、結局あいつが一番だったしな」と武がタメ息をつく。
「ちがわい。ヤンマ獲りはおれが一番だったんだぞ」
 常男が武に喰ってかかった。
「何言ってるのよ。それはルール上でのことじゃない。あんたが実際に獲ったのは、網を使った一匹だけ。太洋くんは、網もなしに三匹獲ったのよ。えらそうなこと言えないじゃない」
「きついこと言うなよ、里っぺ。ルール上のことにしても、常男が一番を取るなんて、これからの人生で、もう一度あるかどうか分からないんだ。そうだよな、常男。うん。あれはやっぱりおまえが一番。それでいい。うん、そういうことにしておこうよな」
 信之はそう言ってからも、まだ「うんうん」と、一人でうなずき続けている。
「何よ。あんたの方がよっぽどきついじゃない」
「そうかい?」
 要するに、里っぺも信之も常男をかばっていない。
「とにかく、あの男は普通じゃねえよ」と源治が言った。
イワツバメの巣をのぞきに行ったときなんか、岩場を忍者みたいにかけ登ったし、おばけ屋敷のときなんか、飛び出したコウモリを見て喜んでやがる。常男がしょうべんちびっているというのによう」
「それを言うな!」
「一度ぐらいは山のことで、太洋をギャフンと言わせたいよな」
「山の名折れだなんて息まいてたの、だれよ。結局あたしたち、ずーっと名折れっ放しじゃない」 
 太洋がいないときのおれたちは、こんな話でタメ息ばかりだ。
「このままじゃ深山村は名折れの村だ。常男、おまえの父ちゃんは村長だから、名折れの代表だぞ。赤っぱじの代表の子でいいの? おまえ」
「えっ、おれ、はじかきっ子ってこと? まずいよ、それ。何でもいいから、あいつにギャフンと言わせることをやらなくちゃ」
 行動することを苦手としている常男だが、この件では何らかの行動を望んでいる。
「小魚一匹に遊ばれている七匹のサル。うん、喜劇みたいな悲劇だなあ」
「自分のことでしょう。ひとごとみたいに言わないの。あんたは級長。サルじゃないんだから、もっと真剣に山のブライドを守る策を考えなさいよ」
「ミッコも少しは考えてるの?」
「あたしはサルだもん」
 目クソ鼻クソみたいな話だ。
「あいつにだって苦手があるはずだろう。だからさあ、あいつの苦手なものを考えたらいいんじゃないの?」とおれが言った。
「そうそう。それよ」と里っぺが相づちを打った。
「それが分かれば勝負になるわよ。でも、太洋くんの苦手って何だろう?」
「勉強かなあ?」と、常男が読み解くように言った。
「アホ。それをおまえが言えるかよ」
 源治は常男の頭をこづいてから、「まあ、おれも同じだけどなァ」とつけ足したが、事実だから、だれも否定しないし笑いもしない。
「思うに、太洋くんの苦手は海にないものよ」
「そうそうそう。ミッコの言う通り。やつの苦手は海にないもんだ」と武。
「それが何だと、おまえは思っているの?」
「そこまでは分かんねえよ」
「おまえなあ、ミッコが言ったからって、考えもなく、すり寄るんじゃないよ」
 武をたしなめている源治自身も、名案を持っているわけではなかった。