心一つに立ち上がれ!16.

 心美ねえちゃんが、赤イボ先生のズボンの中から抜き取った越中フンドシとは…。幅約三十センチ、長さ約一メートルの布。一方の端には、ヒモが縫いつけられている。
使用法は、布の部分をうしろに垂らし、ヒモを腰に巻いて結ぶ。つぎに垂らした布を股から前に回して、先端をヒモにくぐらせ前に垂らす。それだけ。使いなれると風通しがよく、モノの出し入れも簡単だということで、トランクスやブリーフの時代になっても、手放せないでいるおじいさんたちが多いとか。
心美ねえちゃんは、赤イボ先生のズボンから引き抜いたフンドシを見せて言った。
「ほら、これ、応急の旗になりますよね」
「応急ってあなた、鼻にテッシュをねじ込んで鼻血を止めるわけじゃないでしょう。栄えある国旗がそれですか?」と校長先生が難色を示すと、「何でもかんでも形式にこだわり過ぎるんだよ、ロハ先生は。新しい国の国民になったんだから、古い考えは捨てて、身も心も新国民に成り切らなくちゃあ」と勝蔵さん。かつての先生に対して、どこまでも遠慮がない。
「まったくきみは口が減らない。一生の不幸ですよ、きみのような男を生徒に持ってしまったこのわたしは」
「その生徒と先生の関係も、むかしの国でのことでしょう。新生国となる身なんだから、過去の栄光になんかしがみつかないの」
「うるさい!」
 とうとう怒鳴った校長先生を見て、勝蔵さんがきょう初めて笑った。
「目クソ鼻クソだなあ、この二人の関係は」
「でも地区長さん。そういう関係って、一方の方がいなくなると淋しくなるものではありませんか? 心の中では求め合っていらっしゃると思いますよ」と大原さん。
「飛んでもありません」と校長先生は即座に否定したが、勝蔵さんはニヤニヤしている。
「まあ、わしとフンドシの関係も同じだな。抜かれると淋しい。ス〜ス〜するもの」
「いまから馴れておいたらいい。おばけになったら、フンドシなんぞ使わんもの」
「えっ、一心さん、そのペラペラの下はフルチンなの?」と地区長さん。
「そうだよ。見せるかい?」
「およしになって下さい」
大原さんが暴走老人の会話にストップをかけた。
 心美ねえちゃんは、抜き取った越中フンドシのシワを手でのばしている。
「真ん中のあたり、少し汚れているなあ」と一心じいちゃんが言うと、「そりゃまあ、じかに接する部分だし、あっはっはっは…」と、赤イボ先生は気にしていない。大原さんが無言で二人に背中を向けた。
「デザイン、どうします?」と、心美ねえちゃんが地区長さんに尋ねた。
「そりゃ、三代目だな」
「何だ、ただの丸投げかよ」
「おや、勝蔵、おまえがやりたいの?」
「そうじゃないよ。丸投げするにしても、もっと考えて投げてくれって言っているの」
「どう考えるんだ?」
「坊主がやるのは冥土送りだよ。おれたちは、国を殺すんじゃなくて産むんだよ。ここは鈴木じゃないだろう」
「辛辣だなあ。おまえが言わんとすることは分かったけど、その言い方はないだろう」
 住職さんの抗議にも、勝蔵さんはカエルの面。
「でも地区長さん。勝の意見は、それはそれで正論かも知れませんね。坊主が誕生の世話っていうのもねえ」
住職さんって人格者だなあ。
「ふ〜ん。方丈くんは、だれがいいと思うわけ?」
「わたしは心之助くんですね」
「心之助?」
「ええ。心之助くんは絵が好きだし、好きだけに上手ですよ。見たことありません? よく一人で写生してるじゃないですか」
「おお、見た見た。おれが見たとき、牛のクソを描いてたなあ」
「違うよ。描いてた牛がクソしたんだよ」
 ぼくはムッとして言い返した。
「そうだったかい。そりゃすまんかった。じゃ、旗の件は心之助に任せるわ」
「その言い方が軽いんですよね。心之助くん、一心民主国にふさわしい旗を頼むよ。旗の寸法を整えるなら、ほら、ここにハサミもあるからね」
 住職さんがカバンから出したハサミを見て、大原さんが口を挟んだ。
「それ、お料理に使うハサミではありません?」
「ええ、そうです」
「ええ、そうですって、食べるものを切るんでしょう? それでおフンドシを?」
「でも、切ったものは、たいがい火を通すわけですから」
「たいがい?」
「しおからのゲソやノリなんかは、切ったまま食べますけど、まあ、その程度ですから」
「…」
 大原さん、だまってしまった。
「国旗のつぎが国歌か。うん。これは専門家がいるから問題ねえな。七五調の先生、国歌の作詞、頼んますよ」
「おっと 合点 承知の助」
「いいものをね」
「あたりき 車力よ 車曳き」
「いいのかなあ、この乗りで」
「恐れ入谷の 鬼子母神
「あのねえ」
「何か用か、九日十日」
「何だろう?」
「何が南京 唐茄子カボチャ」
「しょうがねえなあ、この人は。ともかくつぎに進もう。国旗担当と国歌担当はそっちに専念だな。はい、心之助と門左先生、あっちの駅舎の中で、さっそく創作作業にかかってちょうだいね」
 地区長さんの指示で、ぼくと門左さんは駅舎の中のベンチに移った。と言ってもホームに隣接しているから、ホームを見通せるし話も聴き取れる。
地区長さんは、つぎのテーマに移った。
「つぎはと…総理大臣ね。だれか、総理になりたい人、いる?」
 だれも手を上げない。
「いねえか。せっかくの機会なのに。ロハ校長、どう? 校長より総理大臣の方がえらいと思うんだがねえ」
「ええ、その肩書きは魅力的です。でもそれ、選択の余地がありませんよ。一発で決まりですもん」
「一発で決まる?」
「そりゃそうですよ。地区長であるあなたが横滑りすればいいことですから」
「おれが? そりゃダメだ。英語がしゃべれねえからサミットに出られねえ」
「英語なんかいいですよ。当面の外交相手はニッポンですから」
「そうは言ってもあんた、自民党さんや民主党さんの意向もあるだろうし…」
「ありませんよ、そんなもの。決を採りましょう。わたしが議長を代行しますよ」
 校長先生は立ち上がると、地区長さんを横に押して、自ら議長の立ち位置に立った。
「せんえつながら議長を代行いたします。ではみなさん、これより採決によって総理大臣を選出したいと思います。まずは地区長が適任だと思う方、挙手をお願い致します」
 校長先生は自らも手を上げ、地区長さんへの賛同をうながした。
「あれっ?」
どうしたわけか、だれも手を上げない。
「何? どうしたの?」と、思いがけない結果が出て、校長先生はあせり出した。
おもしろくないのは地区長さんだ。
「だからおまえ」と言ったきり、だまり込んでしまった。こうなると校長先生、身の置きどころがない。
「はい」と、心美ねえちゃんが手を上げた。
「あっ、はいはいはい、心美ちゃんどうぞ」と校長先生、逃げ場を求めて飛びつく。
「本来なら地区長さんだと、わたしも思います。でも新しく誕生する国に必要なのは、知名度ではないでしょうか。その意味で、ここは知名度の高い大原さんにお願いしてはと、わたしそう思うのですが」
「なるほどね。本来なら地区長の席にある人だけど、新興国だから戦略的にね。うん、それ、いいですね。ねっ、地区長」
 地区長さんは返事をしない。
 新たに白羽の矢を立てられた大原さんは、あせることもなく「いけませんよ、そんなこと」と言った。
「わたくし、きょう初めてみなさんとお会いしたんですよ。初対面でいきなりそんな大役なんて、いけませんわよ」
 ああ言えばこう言うのが勝蔵さんだ。
「初対面? 何おっしゃるの。あなたとおれたちが会ったのは、ニッポンでのこと。ここはもうニッポンじゃないからね。あなたはまさしく建国メンバー。初対面もへったくれもないって言うの。おれも大原さんの総理大臣案にさんせ〜い!」
 まさに〝勝蔵さん流〟のへりくつだけど、勝蔵さんのへりくつは、いつでもタイミングがドンピシャだから、へりくつと分かっていても、ついそのへりくつに流される。
「うん、わしもそれでいい」と赤イボ先生が大原総理案を支持すると、ぼくの脇で国歌の歌詞を考えていた門左さんが、わざわざしゃしゃり出て行き一席たれた。
「うりざね顔の 富士びたい
 目はパッチリと 鈴を張り
 口もと尋常 腰やなぎ
 雪の肌こそ わが総理」
 言うだけ言って、門左さんはスタスタ戻る。
「そうね。やっぱり総理大臣なんだから、それにふさわしい人でないとね」と茂平さんが思ったままを言ったものだから、地区長さん、またムラッとしている。
 勝蔵さんのへりくつを憎む校長先生も、地区長さんの件でしくじったばかりだから、この場はすんなり流したいところ。
「素晴らしい。満場一致ではないですか。アメリカのリーガンも、フィリピンのエストラダも、元俳優からの大統領就任でしたが、わが国もまた、銀幕の女王を晴れて総理大臣に迎えようとしています。さあみなさん、拍手をもって大原総理を、わが国の初代総理に推挙しようではありませんか!」
「よーし!」という勝蔵さんの声とともに、全員からの拍手が沸き起こった。地区長さんの拍手は、ピタピタッと二度叩いただけだったが…。
 こうなると、脚光を浴び慣れている大原さんだから、気遅れはしない。つつましやかではあったけど、初代総理大臣への就任を受けた。
「ではここからは、ふたたび地区長に議長をお願い致しまして…」と校長先生。
「うるさいんだよ、あんたはイチイチ」と、むくれている地区長さん。
 その地区長さんに大原さんが「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「えっ? あっ、はいはい。議事進行でしたよね」
「はい」
「はいはい、けっこうですよ」
 たった一言で息を吹き返した地区長さん。おとなって解らない。