心一つに立ち上がれ!14.


烏帽子山廃線決議の撤回ねえ。おっしゃることは分かりました。分かりましたが廃止決議の撤回となると、あれは議会が決めたことだから、あたしなんかが申し出ても…」
「地区長さん!」
「えっ、何?」
 心美ねえちゃんが一歩進み出た。
「おっしゃる通り、その件は議会が決めたことです。では、地区長さんにお伺いします。地区長さんご自身は、烏帽子山線の廃止をどう思っていらっしゃるんですか?」
「おれかい? そりゃおれだって、あの鉄道は失くしたくないよ。けど心美ちゃん、これは法に則って議会が決めたことなんだ。民主的ルールの中でのことなんだよ」
「そうです。民主的ルールに則って決められたことです。ですから、わたしたちも民主的ルールに則って、廃止議決の撤回を提案したいのです。当時は知らなかった新事実が見つかったんです。それが住民の意思を左右するものだとしたら、再考の提案があって、しかるべきだと思いませんか?」
「新事実?」
「つまりね」と、今度は勝蔵さんだ。
廃線の条件は代替バスの運行だけど、その条件で鉄道を廃線にした地区を調べたらね、ことごとくが大失敗に終わってるってこと。代替バスの利用者が予定の半分にも満たないで、結局はバスも廃止。結果として沿線一帯が孤立化し、壊滅状態に追いやられたってこと。そんなの地区長、許しておけるの?」
「沿線一帯が壊滅だあ? オーバーなことを言うな」
「オーバーじゃなーいっ!」
 耳元での勝蔵さんの大声に、地区長さんは、目ん玉が顔の奥深くにまぎれ込んじゃうほど目をつぶり、両手で耳を抱え込んだ。
「バカ! こわれるだろう耳が!」
 勝蔵さんは無視して続ける。
ディーゼル廃線は、この破暮を孤立化させ、おれたち破暮民族は、ニッポン国から切り離されてしまうってえの!」
「ニッポン国から切り離される? アホかおまえは。どうジョキジョキ切るんだ。ここは本州の内陸だぞ。地図に穴を開けるのとは違うんだ。寝言だったら寝てから…わっ! わわっ!」
地区長さんが話の途中で引っくり返った。
門左さんも「ひゃーっ!」と叫んでヨロヨロよろけた。この人が七五調じゃなかったのは、よほど驚いたからだろう。
ぼくも驚いた。みんな驚いた。だって、ヒュ〜ッ ドロドロドロ〜の音がしたかと思ったら、一心じいちゃんが、青白いコバルト色の光りをヒュワ〜ッと発したのだ。
「いや、すまんすまん。ユウレイってのはねえ、少しでもムカッとすると、本人の意思とは関係なしに、音や光りが勝手に放射されてしまうんだよ」
「えっ、すると、そのムカッてやつは、あたしにですか?」
「そうだよ。おまえだよ。おい伝五郎」
「へっ」
「立て」
「ハイっ」
 地区長さんがバネ人形のように立ち上がると、その顔に自分の白い顔を押し付けるようにして言った。
「おまえ、日本国憲法第十一条を知っているか?」
「第十一条ですか? え〜と、それ、何でしたっけ?」
基本的人権の享有を謳っているところだよ。国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられないと謳っている。あまねく国民は、平等であらねばならんと謳っておる。枝豆ばかり数えていないで、たまには六法全書を開いて見ろ。おい伝五郎、改めて聞くが、孤立化って平等かい?」
「いえ。平等じゃございません!」
「だろう。なれば不平等を世に問わねばならん。さあ、どうする伝五郎?」
「どうしましょう? …ひぇっ!」
 じいちゃんが、またピカッと光ったのだ。
「まったく当てにならん男だ」
 じいちゃんは、生前見せたこともない鋭い目で、地区長さんを睨みつけている。真夏というのに、空気が氷のように張りつめてゆく。
「そうねえ…」と赤イボ先生が言った。
「孤立化はいかんねえ。孤立化したら医療も死ぬる。こうして出かける往診も、線路のサビの中へと消える。叫びを上げるときかも知れん」
「そうですよ!」と、心美ねえちゃんがこぶしをにぎった。
「孤立化は、すでに始まっています! わたしの同期は、一人も村に残っていません。こんな状態の中で代替バスまで滅びたら、わたしも心之助も、若い世代は村を出るしかないじゃないですか。残るのは大正・昭和の残影だけ。哀れな屍を、日々重ねるだけになっちゃうんです!」
「大正・昭和の残影だけ…」と、校長先生がつぶやいた。
「今ですよ。是故空中無色 無受想行識。みほとけも叫ばれています。立ち上がるのは、今この時だと!」
 住職さんにも力が入った。ホーム上の機運がグングンと盛り上がって行く。門左さんは、そうしたタイミングを逃さない。
「線路はさびても 心はさびぬ
 男地区長の 心意気
 破暮の友の 兄となり
 つくす誠は 気高くて
 香る誉れの 伝五郎」
「よう! 名調子!」と、茂平さんが門左さんの肩を叩いた。「ゲボッ」とのめる門左さん。でも、うれしそう。
「わたくしは、この地もニッポンと思っておりました。ここがニッポンでないのなら、わたくし自身、もはやニッポン人であり続ける必要はございません!」
「あらっ、どなた?」と地区長さん、地区民ではないらしいご婦人を見て言った。
「大工原と申します」
「大工原さん? どっかで…」
「女優の大原美津江さんですよ」と、住職さんが大原さんを紹介した。
「それ! そうそうそう、そうだと思ったの! 銀幕の女王だ。えっ? でもあなた、あなたまでが烏帽子山線の復活派?」
「当然でございましょう!」
「当然…は〜あ、当然ですかあ。あなたも、そこまで言い放っちゃったんだ」
「目を覚ませ伝五郎! 断じて行えば巨岩も崩れる。大女優の〝当然〟の一言に、危急存亡のときを知るのだ!」
「ぐう〜う!」
どうしたんだろう? 地区長さん、胸のあたりにこぶしをやると、そのこぶしをふるわせ始めた。
ピカッ ピカピカッと、一心じいちゃんがまた光った。そして、地区長さんに言い放った。
「動け! 動くのだ、伝五郎! 伝家の一剣を放つのだ!」
「むむむむむ〜う!」
 地区長さんのこぶしが、いよいよはげしくふるえている。顔が真っ赤に染まってゆく。浮き上がった青い血管が、ぶち切れないかと心配になる。
 そんな地区長さんを見ていて、待ち切れなくなったじいちゃんが、ついに叫んだ。
「ええ〜い! 立て! 立ち上がれ! みなの者! アチが死ぬ寸前、便所でひねり出した策がある。それをやるのだーっ!」
「どんな手です?」と校長先生。
「斬られる前に斬り捨てる!」
「こわっ、だれを?」と茂平さん。
「ニッポンだーっ!」
「ニッポンを?」
「斬れ! 斬り捨てろ! ニッポンからの独立だ〜っ!」
 独立だ〜っ! …独立だ〜っ! ……独立だ〜っ! ………独立だ〜っ!
 声は四方の山に当たり、それがはね返ってエコーとなり、グワングワンと破暮駅のホームを包み込む。
ピカッ ピカッ ピカッと光りを放つ一心じいちゃん。
「そうだ! 独立だ! ニッポンからの分離独立だ!」と勝蔵さんが呼応して、地区長さんの耳元で鼓膜も破れんばかりに叫んだ。
「くくくぅ〜う! うるせーっ、バカヤローッ!」
 地区長さん、勝蔵さんを押し退けると、かぶっていた帽子を地面に叩きつけ、みんなをグッと睨みつけた。
「よ〜し、やってやろうじゃねえかバイローめっ! 独立だ、破暮地区は独立だ! 破暮の国の建国だ! おじけるんじゃねえぞーっ、この野郎ども!」
「あらら…こいつ、来ちゃったかなあ…」と首をかしげてから、赤イボ先生が声をかけた。
「ねえ、伝さん、枝豆、放っておいていいの?」
「枝豆だあ? 国が先だ!」
「でしょうねえ」と校長先生。
 地区長さんは、ベルトから垂らしていた手ぬぐいを抜き取ると、ゴシゴシ顔の汗をぬぐい、「さて」と声を改めた。
「オッホン!」
気取ったせき払い。雰囲気を一転させてしゃべり出した。
「ではみなさん、これより建国会議を開催いたします。あっ、ほら、勝蔵君。あのベンチをこちらへ。あっちにも、もう一つあったはずですよ。それもどなたか、こちらえ」
「はいはい。それはわたしが」と住職さん、駅舎に向かって走り出した。
 二本の長椅子が、地区長さんの前に並んだ。いよいよ建国会議が始まる。会議をリードするのは地区長さんだ。
「はい、年寄り順に前列から。まず赤イボ先生だな。それと、門左さんに一心さん」
「アチは、もはやユウレイだから、座らんでも腰には来ないよ」
「あっそう。では前列もう一人は…大原さんかな。はい。二列目は茂平どんとロハ校長と方丈くんかな?」
「あっ、わたしより勝蔵の方が六日ばかり早く生まれてますから」
「いいんだよ、そんな細かいことは。はい、一心さん、勝蔵、心美ちゃんはイスの後ろに立ってちょうだいね」
「ぼくは?」
「おお、心之助か。これは建国会議だから、おまえは好きにしてていいよ。参政権まだだからな」
「えーっ、何それ!」とぼくは叫んだ。
同時に「意義あーり!」と勝蔵さんも叫んだ。
「不平等を正そうとする者が、不平等を発するのか!」
「うるさい! ここでの議長は、アリストテレスが何と言おうと、このおれだぞ」
「何でアリストテレスなんだ?」
ソクラテスでもいい。信長でも秀吉でもいいんだよ」
 そのとき、一心じいちゃんが青い光りをパッと発した。ヒュ〜ゥと聴き取りづらいかすかな音。どこからともなく生温かい風。異様な風を感じた地区長さん、何気なく一心じいちゃんに目をやると、その目がギカギカッと光った。地区長さん、あわてて右手をヒラヒラさせて言った。
「うそうそうそ。冗談ですって。人間村宝をそまつにしてはいけませんよね。はい、心之助くんもイス席のうしろね。おっと、うしろじゃ見えないか。じゃあ前に来なさい。おれの前…うん、そこそこ。ホームに座っちゃいなよ。…はい、いいですか? いいですね。では始めます。あれ? 建国って、何からやったらいいんだい?」
「国づくりの出発点は憲法でしょう」
「そう、その通り。さすが校長。まずは憲法だ。でも憲法って、何だか、うじゃうじゃと長いんだよね。どんな憲法があったかなあ?」
「ですからそれは、ほらあなた、第九条とかですよ」
 校長先生がいかにも教師らしくそう言ったのに、勝蔵さん、あっさりそれを否定した。
「そんなの、いらないよ。憲法は一条一本だけでいいって」
「ですからきみは、へりくつ野郎と言われるんです。一条しかない憲法の国が、どこにあると言うんです」
「よそに無ければ無い。そう考えるのは短絡居士」
「それきみ、かつての恩師に対する言葉?」
「自分から恩師と言うやつはおらん…いや、ここにいたな。あっはっはっは…」
「おばけも笑うんだ」と、茂平さんが一心じいちゃんを見て言った。
「ふ〜ん。一条ですむなら、手間が省けていい。勝蔵、おまえの言う一条って、どんな一条か言ってみな」
 地区長さんは、気どってみたり、地を出したり。一つのパターンに収まらない。
 議長の指名を受けた勝蔵さん、新憲法案をペロペロッと言った。
「国民こぞって平等にして国内外を問わず、また民族の違いを問わず、いかなる場合においても友好を第一義とすべし。これに反した場合、国民の三分の二以上の意を以て、違反者は当国国民としての権利を失うものとする。以上」
 パチパチパチと、心美ねえちゃんが手を叩いた。
「それいい! すっきりしててすてき。わたし、それに賛成しま〜す!」
「賛成しま〜すって、第九条はどうするの?」と校長先生、勝蔵さんの側に回った心美ねえちゃんをギロリと見て言った。
「えっ、それは…」
 答えにつまった心美ねえちゃんに代わり、勝蔵さんがあっさり言う。
「第九条は〝戦争の放棄〟なんだから、特に規定する必要なんかないね」
軍国主義か、きみは? あっ、そうか! ドンドンパンパンの花火職人だからだな」
「あのね、友好を第一義とすべしと言っているの。ねっ、民族を超越した友好があるんだから、戦争なんか起こりようがない。おれはそう言っているの。こんな調子で、学校教育は大丈夫かなあ」
「きみっ!」
「ダメだよ、勝蔵。いらんことまで付け足すんじゃない。見ろ、ロハ校長の鼻の穴がパカパカしてるだろう。会議が進まなくなるじゃねえか」
「あっ、そうね。議長。いまの後半部分を、速記録から削除願いま〜す」
「だれも速記なんかしてねえよ。え〜と、何だっけ? 余計なこと言うから、分かんなくなるじゃねえか」
憲法は一条のみ!」
「あっ、それ。憲法は一条だけという提案ね。うん、なるほど。友好精神があれば、戦争も犯罪も起こり得ない。言えてるわな。ハイ。いかがでしょうか? 憲法は、さっき勝蔵がペロペロしゃべった一条だけという案」
「さんせーい!」と心美ねえちゃんが叫んだので、ぼくも、よく分からないけど「さんせ〜い!」と叫んだ。すると賛成の風が吹いて、パラパラと同調の手が上がった。結局のところ、校長先生をのぞく全員の手が上がり、条文が一条だけという憲法案が可決された。